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演劇を好きって言うのを怠けたツケ


演劇に興味のない人に対して、「演劇が好きだ」と言うのを避けてきました。

趣味を訊かれたら、ほぼ百パーセント、「映画」って答えます。

なぜか。

「演劇」の話題で盛り上げられる自信がないから、です。


個人的経験則に基づく推論ですが、演劇を見ない人って、「ロミジュリ」、「劇団四季」、くらいしか思い浮かばないのではないでしょうか。

平田オリザって、ロシア系の美少女かと思っちゃいますよね。(?)

それだけならまだしも…、「演劇やってる」って言っただけで、まるで恥部を晒したみたいに扱われたこともあります。「へー女優じゃん」って言いながら、ジト目で見られる。。おぞぞ。


そんなこんなで演劇の好きなところを語らず、すでに演劇好きな人とだけ固まって傷を舐め合っていたもんだから、

いざ演劇が悪目立ちしたとき(コロナ前後のなんやかんやです。お察し。。)に、為す術がなくて、うっすら途方に暮れました。


で、

演劇に興味がない人に語る言葉も、術も、まだ見つかってないんですけど、

ひとまず、手を動かしてみようってことに相成りまして候。

私のような若輩者が筆を取るなんて烏滸がましいとも思いつつ、若輩者だからこそ言いたいこと言っていいんでねえのとも思っている次第でありんす。(緊張で語尾がゴビゴビ。)


本日のテーマ 演劇って奥ゆかしい

…奥ゆかしいって、自分で言ってる時点でアウトじゃん。と思われた方、ごもっともです。でも今は作品が上演しづらいという非常時なので、あえてズーズーしく言語化します。


演劇をやる人、いわゆる役者、女優って、「私を見て!」という人ばかりだと誤解されているフシがある気がしています。


でも、それは、ちがーう!!!と言いたい。


役者っていうのは、あくまで「代弁者」なのです。

「私を見て!」っていうのは、役者ではなくて、単なる目立ちたがりの人です。


あと、役に陶酔してなりきっちゃう人も、ちがーう!!!…と個人的には思っています。

役者は、役を客観的に分析して、どうしたら「役が」魅力的に見えるか、常に理性的に考える生き物だと…あくまで個人的には思っています。


例えば、失恋した女の役だったとして、

役者がその女の失恋に感情移入してウワンウワンやってたら、観てる方はウンザリしてしまう。

でも、その役者が冷静であれば、「なんでこんなイタイ台詞言わにゃならんのじゃ…」と分析して、「あ、こういう事情があるのかも」と正当化して、それを舞台で表現できる…だから、役が魅力的に見えると思っていて。


と、いうのも、

秀逸なお芝居のシナリオって、言いたいこと全部をセリフ化していないんです。


「私は悲しい」って言うかわりに、背中を向けるだけだったり、ため息をひとつつくだけだったり、


セリフがない余白の部分を、お芝居の背景を、言葉以外で表現する、これが醍醐味です。そういうところも、奥ゆかしい。


もっと言うと、映画ほどには観客の視線を誘導できませんから、人によっては見逃してしまうような、細かい機微もあります。


演出家や役者やスタッフが客観的に解読したお芝居を、

さらに客観的に観客が受け取って、

一つの物語が自由な解釈で広がっていく。。



だめじゃ〜ん。

全然客観的に書けてないじゃ〜ん。。

これじゃ演劇大好き人間の演劇大好きポエミーだよ。恥ずかしいよ。

言語化、頑張ります。












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