見出し画像

【小説】誰にも出会えなくても

20歳のとき、彼はある女性に恋をしました。

彼女と出会ったのは、大学のゼミ。

「男たちがダメにした世の中を、これからは女たちが良くしていくんだ」

理想に燃えた瞳で、彼女はそう語りました。

彼は、そんな彼女の情熱的な姿が好きでした。

だから、「付き合ってほしい」と告白しました。

「少し考えてから、返事をするね」。

彼女はそう答えました。

彼は、彼女と一緒に多くの本を読み、ジェンダーの考え方を理解しようとしました。

大学の学食やカフェで、彼女のアルバイトの愚痴や、今後の夢を聴いたりする時間が、至福のひとときでした。

年頃の男として、彼には「彼女を抱きしめたい」という欲求も強くありました。

でも、彼女が男の暴力性について語るのを聴いて、そんな想いは表に出さないよう努めました。

そうしてしばらくたった頃、彼は改めて告白の返事を尋ねました。

すると、

「ねえ、〇〇くんにとって、付き合うってどういうことなの?」

と問い返されました。

この質問に、彼はとっさにうまく答えられませんでした。

そんな彼を見て、彼女は言いました

「私たち、今のままでいいんじゃないかな?」。

それから彼女は、彼と距離を置くようになりました。

そして数ヶ月後、別の男性と付き合いはじめました。

彼は、彼女の気持ちが理解できませんでした。

ただ、

「要するに、彼女にとって自分が魅力がなかっただけなのだろう」

そう思いました。

だから、「しかたない」とつぶやきました。


彼は30代のとき、ある女性に恋をしました。

彼女は、前の彼氏にDVを受け、それがトラウマとなっていました。

当時はちょうど「#MeToo」運動が盛り上がってた時期。社会的にも女性へのハラスメントに関心が高まっていました。

彼女が、安心して笑えるようになってほしい。

そう願い、彼は支援してくれるNGOやカウンセラーを探して紹介したりしました。

その努力もあってか、2年ほど過ぎたころ、彼女の表情に自然な笑顔が戻るようになりました。

そして、彼女は前からやりたかった仕事に転職するなど、徐々に新しい道に踏み出して行きました。

そんなある日。

彼女は、彼に言いました。

「ごめん。あなたは善い人だけど、あなたの体臭が、どうしても私には合わないの」

「今まで、ありがとう」

彼は、彼女の幸せを願っていたので、「しかたない」と思いました。


そうこうしているうちに、彼は40代になりました。

「お前もいいかげん結婚して、孫の顔でも見せてくれないかね」

彼の母は、ことあるごとに彼にそう言いました。

彼は、お母さんに喜んでほしいと思っていたので、マッチングアプリをはじめたり、お見合いサービスに登録したりしました。

そんな中、彼はある女性に恋をしました。

彼女は、1人娘を育てているシングルマザーでした。

彼女の生活の苦労を目の当たりにし、彼は彼女を支えようと決意しました。

シングルマザーでもできる仕事、ということで、彼女は生命保険の営業をしていました。

彼は、自ら彼女の顧客となったり、自分の知り合いを紹介したりして、彼女の仕事を助けました。

生活に足りないものがあれば、さりげなくプレゼントしました。

ときには、彼女に代わって、1日中娘の相手をして遊ぶこともありました。

「ありがとう」

そういって彼女に笑顔を向けてもらえるとき。

娘から「きゃー」と笑って抱きつかれるとき。

彼は、今までにない幸せを感じました。

しかし、そうして彼女の心に余裕ができてきたとき。

彼女は、やっぱり元夫が好きだと気づきました。

「ごめんね。やっぱりあなたは、私の運命の人じゃなかった」

そして、娘を連れて、元夫のもとへ帰っていきました。

その後姿を見送りながら、彼は「しかたない」と思いました。

そんな様子を見て、母も、だんだんと彼の結婚を諦めるようになりました。

月日は流れ、50歳になったとき。

彼は、台湾の南部にある、高雄市に出張しました。

会議を終え、会食に誘われましたが、
「ちょっと気分が悪いので」と、彼は先にホテルに戻ることにしました。

帰り道の乗り換えで、彼はMRT(地下鉄)の美麗島駅を通りました。

構内を歩いていると、ふと案内板に「光之穹頂(The Dome of Light)」という文字が書かれているのを目にしました。

「美麗島駅には、●年にすごく大きなアート作品が作られたんです。世界最大級のガラスアートで、SNS映えスポットとして有名なんですよ」

今日、仕事で会った人から、そんな話を聴いたのを思い出しました。

(これが、そうなんだ)

若いときから、彼はアートが好きでした。

最近は仕事が忙しく、美術館に行く機会も減っていました。でも、海外に来て、解放的な気分になっていたためかもしれません。

ホテルに戻る前に、少し見ていこう。

そう思いました。


アート作品は、駅の自動改札を出てすぐ、コンコースの中にありました。

2本の柱の上に、巨大なステンドガラスの天井画が広がっています。

その下では、たくさんの人が、写真を撮っていました。

そちらに向かって彼が歩いていると、ふと、ピアノの音がしました。

隅に置かれたストリートピアノで、小さな女の子が、たどたどしく鍵盤を弾いていたのです。

曲は、ディズニーの「いつか王子様が」でした。

(Some day my prince will come… Some day when my dream come true…)

女の子の隣では、やさしい目をした父親が、彼女を見守っています。

彼は、胸が締め付けられる想いがしました。


柱の近くに来ると、彼は、天井画を見上げました。

ステンドガラスには、青、緑、赤、黒と、4つの世界が、円環をなすように描かれています。

海に生命が生まれる青の世界。

世界に木々が生まれ、生命が繁栄していく緑の世界。

人間が発展し、そして焼き付くされていく赤い世界。

さそして、宇宙が破滅していく黒い世界。

その黒い世界から、鳳凰が生まれ、また次の世界へ続いていくのです。

破壊があれば、その後で再生がある。

再生があれば、その後で破壊が来る。

円環は、反対から見れば、全く反対の意味になるのです。

ふと、彼は、緑の世界で、宇宙を作り出した巨人の腹から、木が生えてきているのを見ました。

(生命は、ほかの生命をはらんでいて、死んで、循環していくんだ・・・)

彼は、なにかが自分の中にこみ上げて来るのを感じました。


絵を見るのに疲れた彼は、売店でコーヒーを買い、コンコースの先にあるオープンカフェに座りました。

そして、ほう、と一息つきました。

向こうでは、再びあの小さな女の子が、「いつか王子様が」を奏でていました。

(Some day my prince will come… Some day when my dream come true…)

心の中で、彼はその歌詞をつぶやきました。

ずっと、女に愛されたかった。

でも、誰とも出会えなかった。

誰の王子になることもできなかった。

そして今、虚しく、さびしくここにいる。


けれども、なぜか今は、それがそこまで重く苦しく感じられませんでした。

それは、先ほどの絵を見たためかもしれません。

そして今、ここで静かな気持ちでいるためかもしれません。


女から愛されても愛されなくても、人生がうまくいってもいかなくても、僕たちは皆、同じ流れの中にいるのかもしれない。

初めから、救いも破滅もないのかもしれない。

SNS映え写真を撮ろうと観光客でひしめくコンコースの片隅で、彼は今、なにか命と世界の深い流れに自分が浸されているような気がしました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?