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【千文字書評】生き物の死にざま~子孫を残さない生き物

人間は、生物の一員である。生物として、”正しい”生き方と死に方はなんだろう。

”正しさ”にとらわれがちな思考癖がある自分が、そんな関心で手に取ったのが、この本である。

この本は、雑草生態学の研究者である稲垣栄洋氏の著作。氏には、「「雑草」という戦略 予測不能な時代をどう生き抜くか」といった著書がある。

200ページほどの本書の中に、29の生き物の死にざまが、エッセイ風につづられている。

稲垣氏が文章に卓越しているのか、よい編集者がついているのかは分からないが、生き物を少し擬人化してその生きざま・死にざまを描いていく叙述は、本当に読みやすい。

生き方・死に方は生き物ごとに全く違う

読んでいて、まず思ったのは、生き方・死に方は、生き物ごとに全然ちがうということだ。

たとえば、マンボウのように、大量に子ども(卵)を産む代わりに一切の世話をしない生き物がいる。

その一方で、ハサミムシのように、母が卵を必死で守り、そして最後はふ化した子どもたちに食べられて死んでいくような生き物がいる。

タコも、母はやはり必死で卵を守り、子がふ化したら死ぬ(食べられるわけではないが)。さらにタコの場合、父となるオスも、メスとたった1度交接をしたら死んでしまうのだ。

また、アブラムシの場合、子どもを産む者と”兵隊”とに分かれ、兵隊は他のアブラムシを守るだけで一生を終える。

「子孫を残す」だけが生命の在り方ではない

この本を読むたびに、「生き物としての”正しい”生き方・死に方」みたいな、分かりやすい解答があるわけではない、と思わされる。

それと同時に思うのは、「子孫を残す」だけが生き物の全てではない、ということだ。

上記の兵隊アブラムシのように、群れを守る戦いで一生を終える者もいる。

また、タコのような生き物の場合、オスはメスを巡って熾烈な争いを繰り広げる。その戦いで敗れ、自分の子孫を残せないまま死んでいくオスも多い。

種としては、全体的に”遺伝子を未来につないでいく”という方向に向かっているのだろう。しかし、一個体としてみると、必ずしも、生き物だからといって誰もが子孫を残すわけではない。

絶滅した生き物

ここで、少し飛躍して、僕は、「絶滅した恐竜や、古い生物たちは、何のためにこの地球に存在したのか」ということを考えた。

生命が、ただ種を未来につないでいくだけが存在目的だったら、絶滅した生き物たちは、そもそも、存在しても存在しなくても、どっちにしても無意味だったことになる。

しかし、なにかそこには、違和感をおぼえる。

ここで思うのは、そもそも、生き物に究極的な「意味」や「正しさ」を求めるほうが、間違っているのではないか、ということだ。

人類も、あとどのくらいかは分からないが、恐らくいつかは絶滅するだろう。

しかし、では人類が、あるいは「自分」が存在したことに意味がなかったのか。

なにかそこには、人間的な尺度を越えたものがあるような気がするのだ。



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