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はじめのご挨拶!〜noteに書き始めるにあたり〜②

(この記事は①、②の2部構成です。)

<2009年、日本初の現代サーカス専門書がついに完成!>

 当時、日本にまだ存在しなかった現代サーカス専門書をつくらなければ!という情熱だけで、新聞社をやめてフランスに飛び、強引に3か月間、席をもらった「オール・レ・ミュール」(フランス国立サーカス大道芸情報センター)。

※トップ写真は、元フランス国立サーカス学校CNACの校長だったベルナール・チュラン氏に勧められ、本の取材のためにチュニジア国立サーカス学校を訪れた時の写真。向かって私の右隣がチュラン氏。始まったばかりの嬉しさに満ちた学校だったが、その後「アラブの春」を機に閉校となる。

ですが、事務所にいることはほとんどなく、情報をもらっては旅立って取材して戻る、という繰り返しでした。オール・レ・ミュールのディレクターですら、3か月間私が何をしているのか把握できていなかったし、「頑張っているのはわかるけど、実際に本が出版されなければフランスでは認められないよ」と言われていました。

 3か月が終わるとき、その間取材したリストをディレクターに見せたところ、あぜんとしていました。こんなに多くの場所で、時にはチュニジアまで飛び、取材を繰り返していたことを、オール・レ・ミュールのメンバーが知ったのは滞在期間が終わろうとしていた時でした。
 大げさではなく、平均すれば、見開き4ページごとに数百キロの旅をして取材をした賜物です。

2009年、ようやく幻の本が生まれました。
人生を賭けた本といって間違いがなく、その後は、本がひとりで歩き始めてくれました。

<現代サーカスを、この地から創る!>

それから、干支がひとめぐりしてしまいました。

その間に、自分は2つの芸術祭で働き、2011年に瀬戸内(香川県)に移住し、じっさいに自分たちで現代サーカスの作品づくりを始めます。
始めてみると、足りないものだらけ。そもそも現代サーカスを知っているアーティストも少なかったので、海外からアーティストや技術者を読んで、興味のありそうな日本人アーティストと引き合わせながら、国際創作を続けました。それは、海外の経験を日本のアーティストや私たちにもたらしてもらうためでしたから、いずれは、日本人のアーティストとスタッフだけで世界に発信する作品を創っていきたい、という目標のもとに立てたプロジェクトでした。

2014日仏共同創作「キャバレー」カミーユ・ボワテルらと

(2014年、初めての本格的な国際共同創作「キャバレー」。演出Camille Boitelカミーユ・ボワテル)

瀬戸内で10年がたち、念願の常設の練習・創作センターができ、プロアーティストの瀬戸内移住が始まっています。

日本発の現代サーカスをつくる、そのために、創作や滞在制作の経験を積むだけでなく、人材育成、拠点運営、経済的自立のための営利事業の同時経営、皆に愛される文化になるために必要な地域連携など、あらゆる角度からの取り組みが必要になりました。

「サーカスに逢いたい」からひとまわり、ようやく、重い車輪は動き出したようです。
この間に、瀬戸内サーカスファクトリーがヨーロッパ拠点の世界ネットワーク「シルコストラーダ」のアジア初の正規メンバーに認定されたり、アジア7カ国で立ち上げた「CAN(サーカス・アジア・ネットワーク)」に携わるなど、世界との連携も進んできました。

10年を駆け抜け、改めて現代サーカスの「いま」を自分の目線と経験で描き出してみようと思いました。
noteという、12年前にはなかったツールを使って、よりフレキシブルに広がりをもって、情報を蓄積しながら発信できればと思っています。

いくつかのテーマを設定し、テーマごとに発信する予定で、定期マガジン化をめざします。

これから、どうぞよろしくお願い申し上げます!

一般社団法人瀬戸内サーカスファクトリー 代表理事 田中未知子

参考)
「サーカスに逢いたい~アートになったフランスサーカス」(2009年現代企画室刊。在日フランス大使館助成)※現在はAmazon等で購入可能です。


はじめのご挨拶!〜noteに書き始めるにあたり〜 <記事おわり>

瀬戸内サーカスファクトリーは現代サーカスという文化を育て日本から発信するため、アーティストをサポートし、スタッフを育てています。まだまだ若いジャンルなので、多くの方に知っていただくことが必要です。もし自分のnote記事を気に入っていただけたら、ぜひサポートをお願い申し上げます!