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怒りの感情を持ち続けられる人は才能だと思う

こんにちはセトセイラです。

突然だが、SかMかと聞かれたらあなたはどっちタイプだろうか?

私は、いつもこの答えについて考えてしまう。

好きな男性にこの質問をされたら「ドMです?」と答えたい願望にはあるが、自分の意見をズバズバと提示することも多いので何とも言い難い。

そんな自分の中に眠る、高揚感のお話。

Twitterのアンチで妄想ゲームをした結果面白くなってしまう

Twitterに力を入れ始めて1年半くらい経つ。私のフォロワー数はありがたいことに現在3100名ほど。

上には上がどこまででもいる世界なのでそんなに大したこともないが、それでも3000人をも超える人に少しでも興味を持っていただけるというのは奇跡に近い。

そんなTwitterの世界はフォロワー数がだいたい1000人を超えてくると、いわゆるアンチと呼ばれる人が出てくるという人も多いだろう(※絶対ではない)。

こんな私の弱小アカウントにもちょこちょこアンチがいて、例えば写真を上げれば「ブス!」とコメントが飛んでくることもある(※アンチの特徴はコンテンツに対する感想がほとんどで論破はあまり見られない)。

初めてアンチが出てきたときには「ついに私にもアンチが!?」とある種の喜びを感じたりもしたが、そんな喜びもすぐに疑問へと変わっていった。

「Twitterに力を入れたい、教えてよ!」なんてことを友人から言われるのだが、私はどうしても「Twitterは興味本位でやると消耗するからあまりおすすめはしない」と答えてしまう。

そんな中私がSNSを辞めない理由は、消耗ではなく発見が多く見つかるのが楽しいというところにある。

「よく、アンチコメントに消耗しないのか?」と友人間に心配されるのだが私は正直に言うと稀に興味が沸くくらいだった。

私は、幼い頃から自分の理解を超えた人に対して興味が大きくあった。自分の知らない世界を見る度に、あれこれ考える時間が好きなのだ。

勉強なんてものには全く興味が持てなかった私だけれど、人の心理についてはとても興味があった。「なぜこの人はこんな言葉を選んだんだろう」「なぜこの人はこんな感情になったんだろう」私はひたすら自分の中にはない概念の中で生きているものへの興味が止まらなかった。

Twitterのアンチはそれで言うと、理解できない人というジャンルにハマることが多い。

わざわざ捨てアカウントを作るという労力を払ってまで暴言を残そうと考える人は、どういう人生を送った結果なのだろうかなんて考える時間は嫌いじゃなかった。

最近、友人がこんな事を言っていた。

「暇な人の娯楽は、怒りと否定でしか刺激が得られないんだよ。だから、昼のドラマはあんなにドロドロしてる。」

私はこれを聞いて少し納得するものがあった。昼ドラの話は置いておいて、そもそも人はその行動が好きでなければ大きな労力は払わない。それで言うと、否定や怒り、暴言コメントはそもそも彼らにとっての娯楽だと考える方がしっくりくる。

そう考え付くと「ブス!!」と言葉が飛んで来たり「お前臭そうだなw」とかメッセージが飛んできた日にゃ画面の向こう側の人はもしかしたら、全裸で何かしらの興奮を覚えているのかもしれないと考えてみた。娯楽や性癖の類じゃなければ、わざわざ知らない人にそこまでの労力を払ってコンタクトを取りにきたりはしない。

性癖!!!な、なるほど!!

画面の向こうは・・・裸なのか・・・。

SNSに現れた想像を超えるアンチはもはや変態

SNSをやっていると、アンチコメントが飛び交うのはまぁよくある事だが、ちょうど1年くらい前にこれまた斜め上をいくアンチが現れた。

彼はある日突然現れて、当時私が毎日配信していた動画配信ルームに毎日遊びに来た。

最初は私の動画配信のコメント欄に性器の名前を連呼したりと何日か荒らしに来た。この手の荒らしは「やだぁ~」みたいな感じで女の子が顔を少しでも歪めたり心を乱せば満足なのだ(※私の偏見)。

個人的にはブロックしても良かったのだが、言うほど心も乱れなかったのでしばらく放置をしておいたあげく、せっかくなので「コミュ障すぎてこういう活動しちゃう人はなかなか今の時代多いよね」というトークテーマに切り替えてルームを盛り上げた。これでアンチも満足だろう。良かったな、話題の中心だぞ。

すると、アンチはその日からトークルームいっぱいに応援コメントを毎日書き残していくようになった。

「セトセイラ最高だよ」
「セトセイラ面白いわ~大ファンだわ~」

よく分からないが突然の心変わりか?害はないのでそのまま放置していた。それがいつの日か、私も情が芽生えて「よ、また来たね!」とあいさつを交わすようになっていた。そこから私応援専用のTwitterアカウントを作ったりしてくれて、応援レベルも加速を上げていく。

それから1カ月くらい経ってから、私の元にそんな彼から1通のDMが届いた。

せっかくなので名前を伏せて全文公開する。

○○の遺族の者です
遺言を預かったのでそのまま
文章を書かせて頂きます
セトセイラさんへ
僕は実は脊髄小脳変性症という病気にかかっていました1リットルの涙というドラマと同じ病気です
その現実を突きつけられたのは
高校2年生の5月です長くても15年早くて6年と言われた時は心が真っ黒になりましたそれから勉強だけは
頑張り大学に進学しました
そして今年の夏僕はとうとう歩けなくなりました車椅子生活を余儀なくされました人生ってこんな感じに終わっていくんだと実感したのを覚えています。そして10月とうとう車椅子どころか起き上がるのも困難になりました病院で寝たきり生活が続く中その時YouTubeで流行っていた
生放送中に卑猥なコメントをしたらどういう反応をするのか?という動画を見て僕も面白そうだと思って
showroomをダウンロードしました
スマホで動画を見るのが何よりの楽しみでしたそんな中セトセイラに出会いました今となってはとても失礼な事をしたと思っています
先のない僕の人生と対象にセトセイラさんはこれからの人生に向かって日々頑張っている姿を見てとても勇気を貰えました病院の看護師さんに無理を言って夜中まで起きても良いと言われた時は毎日行って盛り上げようと思いましたしかしここ数日指が動かしたくても動かないのですこの文章も今隣で看護師さんが必死にメモをしてくれています何人かの友達には指が動くうちに手紙を書いたのですがセトセイラさんの時にはもう動きません動かしたくても情けない最期になりますがこれ以上は詮索をしないで貰えるとありがたいです
僕の人生の最期に楽しい思い出をありがとうございました。
○○

いやぁ、びっくりですよ。

「あいつ、死んだのか・・・」

純粋に私はそう思った。なんか騒がしいやつだったけどなんか最初言いすぎちゃったかな・・・。ごめんねと何なら、心を痛めて涙が溢れたりもした。

*****後日*******

昔から交流のある友人にこの話をしたところ、友人がこんなことを言った。


「それさ、詐欺じゃない?今はやってるらしいよ」
「え?なんのために?お金とかなんもとられてないよ!?」
「まぁ要はさ、そいつは女の子の感情が自分の行動によって揺れるのが好きな変態なのさ。最初卑猥なこと言ってセイラが平然としてたから何としてでも心を揺らしたかったんだろ」
「えぇ・・・一か月がかりでそんなことやるような暇な人いるの?」


まさかとは思って何となく気にしていると、一カ月くらいしてからそのアカウントは別の名前で復活していた。


「えぇ、本当に詐欺やん!?」


時間の使い方変態過ぎない!?私の感情をそこまでして動かしたかった!?

たしかに、後日おそらくその人の成りすましだろうなと思われるような別アカウントからのコンタクトがきたりしていて少し面白くなってしまった。

いやぁ、あっぱれ。心揺らされたよ。君の勝ちだ。面白い。


怒りの感情を持ち続けられる人は才能だと思う

人間の感情は、怒り・悲しみ・嬉しい・幸せなどいろいろとあるが、それらは人間に平等に宿っているわけではないと私は考えている。

例えば、お金をたくさん稼いで、衣食住を何不自由なく手に入れた。そんな人の感情の先は、喜び、悲しみ、怒り人それぞれだ。

感情は才能だ。

人は同じ経験や同じ環境で育っても同じようには育たないし、満足度も生まれる感情も違う。

ただ一つ言えるのは、自分の得意とする感情が人にはある。人は、自分が最も楽だと感じる感情に流れやすいのだ。故に、例えば『悲しい=辛い』という式は必ずしも正しいわけではない。

その感情が最もその人にとって楽な感情であり、最も都合のいい感情である場合が多い(※瞬間的な感情ではなく、日常的にどの感情に寄りやすいのか)。

私は、それで言うと『怒り』という感情に対してはとてもためらいがあった。

怒りという感情の答えを紐解いていくと、他人(環境)と自分(自分の思考)とのギャップに理解が追い付かない時に生まれやすい。

「なぜこいつは○○なのに、私は○○なんだ」「なぜこんな所に○○があるんだ」「普通○○なのになぜ○○なんだ」

それ故に、相手に対する怒りよりも「自分が今の状況を整理したい」という欲求への優先順位のが私は高くなりがちだ。怒るという感情が私はそもそもそんなに好きではないので、怒らない道を基本通りたいと本能的に思ってしまうのだ。

故に、私はSNSに現れる万年怒りマウンテン、共通言語は暴言ですという人のエネルギーの源はどこから湧いてくるのかと疑問に思っていた。

そんなある日、友人がSNSで匿名で攻撃をする行為に対してこんなことを言っていた。

「カラオケでストレス発散をするのと、匿名で暴言を吐くのは人としてどうかという問題は置いておいて、全く同じ感覚だよ。」

なるほど。ストレス過多による・・・生命維持としての手段なのか・・・。

少なくとも私がストレス過多でカラオケで発散したいなどという欲求がある時は精神安定剤のようなものだった。唯一自分を保つガス抜き場というか・・・。なるほど。

そう考えると「あ、今日も誰かの生命維持活動に貢献したんだな私。」と妙に感動してしまった。

もちろん、言われた内容が「それも一理あるな」と思わされるものなら考慮することもあるが基本的には自分の人生は自分の問題だと思っているので生き方の基準値は自分自身でいたい。

どの論もその人からみたら正論が通っているのであり、正解なのだ。

故に、自分の論を崩すと人の軸で生きることになってしまう。それはそれでいいのかもしれないが、私にはしんどい。

本当にただそれだけ。

故に、SNS独特の攻撃は言うほど心が乱れない私がいる。


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