コーチング受けてみて人生の財産を手に入れたよってはなし4

じゃじゃ馬のように働いた先にはきっとご褒美がある

そうでしょ?だって、子供の時からそう習った

社会はそうだって、平等であり

頑張った分だけ自分に帰ってくる、いじわるはしてはいけない

誰かのためにやさしさを



「嘘つきの大人たちめ」

なんて皮肉すら言う発想もなかった
今思えばああいえばよかった、こういえばよかったと思うが

そういうものかと
素直にそれを飲み込んだ

それは深く深く私の中に落ちそして溶け
そしてそれは、私になった


今日も理不尽と戦っています
私は私であることを悪とし
私は私でないことを良しとしました

私でなく、○○の私、○○あってこそです
○○の社員です
○○に所属しています
○○である私です

即ち、私個人の行動と意見は捨て○○にふさわしい人間になります


例えそれが、私個人を否定するものであってもです


「(演じ切るのだ、なりきるのだ、偽物がいずれ本物になる)」

その場のふるまいに注意を払うが
上記をできない人間が多い、それがたとえ大人であっても
役人であっても役職であっても何であっても


心を持たない人間となれと言われている気分だ
吐き気がする、反吐が出る


そんな上の個人の意見は尊重されるのだから


私はラインに立たされた人間
ラインに沿って行うのだ

「そんなのは適当で良いんだよ」


客先で大きな声で上は言った、新人に
あきれた


「その適当がいずれ何につながるかご存じですか、何を生むかご存じですか」


「何を大げさな、このくらい、ねぇ○○さん」


へらへらと笑う


「彼はまぁ、適当ですから。あなたと違って、それもまぁ"良さ"ではないですか」


「その失態、損失の尻ぬぐいは目の前の彼、そして私です」

後日、新人を連れ会社を歩いた
ひとりひとりを教えた

「画面越しでわからないけど、必ず人がいる。決して一人で完結する仕事は存在しない
人が必要とするから仕事がある
それがわかっていれば、彼のようなことを言わない
 
 
これすらも私個人の意見であり、これを選ぶが選ばないかは
君の自由


君はどちらになりたい?どちらでもない?」


どこまで届いたかわからない
こう表現するしか知らないからだ


あのコーチングから1か月
心の整理をして、苛立つ回数は圧倒的に減った

けど、根本は解決していない

傷口が広がらないよう処置した程度だろうか


私が正しいというわけではない
良し悪しではない
滞りなく求めるものを出す
それが今の私の役目

以上も以下もない


組織は大きすぎて小さいほころびなど気にしない
それが大きな穴や血栓ともなれば向くだろうが
もしくは、その部分ごと切り取れば良いのだから


この事態に気づくも直属が気づいていない
その乏しさが羨ましい
不安を感じることなく今日まで働いているのだろう
これからも

いらだちは減ったがいっぱいいっぱいになることは減らない
瞬時に来る問題の塊をどう対処するか

それが仕事だけでなく人間の問題もあるのだから


「あー今だけ許して下さい、褒められたい、成果を出した分だけ
恩恵がほしい、報酬がほしい
お金じゃない目に見えないものだけど

じゃないと、自分の存在意義を疑う、疑っている」


そして私の悪い予想は的中した


「丸々上から切られる、今の仕事を引き継ぐ準備をしてください、期間は半年です」


悪い予想ばかりあたるんじゃねぇ
この年齢でこの問題に直面するなんて
2年しか経っていない私に責任と仕事と量と質と

何も伴ず、コーチングの日を迎えました



「今日は何について話す?」


柔らかい空気に甘えてよいのか

自分を律し押さえながらコーチングは始まりました

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