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2度目のアウシュビッツ(2013年8月)

初めてアウシュビッツに訪れることを決心する時、「きっと被爆者とアウシュビッツに行くのは人生最初で最後だ」と思ったのだけれど、2度目の訪問は案外早くに訪れた。

2013年、私はピースボートの船旅に「おりづるユース特使」として乗船していた。広島・長崎の被爆者とともに世界各地をめぐり、彼らと共に各地で証言会をつくっていく。前にアウシュビッツに来た頃は「被爆者さんたちのお手伝いをするんだ!」という心持ちだったけれど、今回は「一緒に場を作っていく」というミッションや責任感を抱えていた。

船内生活もとても忙しく、寄港地を訪れるたびに開催する証言会の準備に奔走していた。被爆者とともに旅する「おりづるユース」という役割を新設したこの航海のテーマは「継承」だった。

継承ってなに?
なにを”継承”するの?
私にできることはなに?

自問自答しつつ、周りの仲間たちと何度も言葉を交わしつつ、忙しい旅の中をあっぷあっぷしながら進む。
そんな旅の後半でたどり着いたのがアウシュビッツだった。

1度目の訪問と同じく、そこに示される凄惨な事実の数々に衝撃を感じた。これに慣れることはないのだと思う。
そして、改めて印象に残ったことが3つあった。

Photo by Ari Beser

一つは、中谷剛さんにお会いしたこと。
アウシュビッツの唯一の日本人ガイドの中谷さんに、その存在を知ってからずっとお会いしたかった。中谷さんはゲストとして船にも数日間乗船し、企画に一緒に登壇することもあった。

アウシュビッツでは、「戦争を知らない世代」から「戦争を知らない世代」へと継承する時期がやってきた。ガイドのほとんどがもう戦後生まれだと言う。広島・長崎にもすぐにその時期がやってくる。その時期に向けて何ができる?そんな対話をする企画だった。

アウシュビッツ現地でも、2日間に分けて丁寧に収容所跡を案内していただいた。中谷さんの、淡々としたガイドの口調が印象的だった。何か特定の答えを断じるのではなくて、事実を押さえていくと共に、さまざまな問いを投げかけられる時間だった。

私もいつか広島で、こういう仕事ができないだろうか。
当時はまだ平和公園の案内をほとんどしたことがなかったけれど、訪問者の心の動きや疑問に淡々と寄り添う中谷さんのガイディングに憧れる気持ちが芽生えた。



二つ目は、アリ・ビーザーくんと一緒にアウシュビッツに訪れたこと。
アリは、私より少し年上のアメリカ人の青年で、この航海には被爆者のプロジェクト専属のフォトグラファー・ビデオグラファーとして参加していた。

船を降りて5年後、広島で再開した時の1枚

実はアリのおじいちゃんは、広島と長崎に原爆を投下した両方の戦闘機に乗ったパイロットだった。そのジェイコブ・ビーザーさんの孫として、アリが自分のルーツを、一緒に旅をした被爆者のみなさんに語る時の彼の緊張ははかり知れない。受け入れられるかとても不安だったと彼は言っていたけれど、私もアリも、孫のように被爆者のみなさんに可愛がっていただいた。

被爆者のみなさんとアリと、私たちは旅を通してたくさんの話をした。「和解」というテーマで企画をすることもあった。ただただお酒を飲みながら楽しかった寄港地の思い出話をすることもあった。そして話をするだけじゃなくて、たくさんの難しい現場を一緒につくるプロセスがあった。私は人生でこんなに人と喧嘩したことがないと言うくらい何度も彼とぶつかった。

アリはユダヤ系アメリカ人で、「ユダヤ」のアイデンティティについてたびたび深く考えていた(あれから10年経った今、彼は現代を生きるユダヤの人々のドキュメンタリーシリーズを制作している)。祖父のジェイコブさんが戦争に参加したいと思うようになった動機には、ヨーロッパのホロコーストで親族を奪われた経験が深く関わっているという。

誰と一緒にめぐるかで、フィールドワークの時に経験することは大きく変わる。

収容所跡を中谷さんのガイドで巡りながら、彼は終始、とても苦しそうだった。私たちと同じペースで歩くのは難しくて、時折グループを離れて、自分の心と向き合って、また戻ってくるということを繰り返していた。

自分の生まれ育った民族のアイデンティティ。そのアイデンティティを持つということだけで、疎外され、差別され、あげく地獄のような最期を強制されるということ。

二年前にアウシュビッツを訪れた時に見たユダヤ人のイスラエル兵たちの、ものものしい後ろ姿を思い出した。兵隊の制服に身を包んでこの場に立つ彼らを私が少し怖いと感じたのも本当だけど、彼らの中にもまた、アリが抱えたような悲しさや苦しさが、あったのかもしれない。私はそれが見えていなかったんじゃないだろうか。

Photo by Ari Beser

そして最後に印象に残っているのは、一通り見学を終えた夜に、被爆者のお一人がつぶやいたこと。

「わたしはね、同じことをしていたと思ったよ」

びっくりしてしまったが、彼はどうやら戦後企業戦士として働いていた頃を振り返っているらしかった。
上から言われたことを、疑わず遂行する。それを効率よく積み上げて、成果を上げていく。

ナチス・ドイツの「ユダヤ人を殲滅する」という恐ろしい「成果」に向かっていく無思考の遂行力が、自分が働いていた頃のマインドと重なったと言うのだ。

私は彼の言葉と、その時のなんとも言えない、伏目がちに空を見つめる表情が忘れられない。

きっと誇らしく仕事をしてきたのだと思う。でももしそれが「何につながる仕事なのか」考えることを放棄してしまったら、時として人間はこんなおぞましいことに加担してしまう。

ヒトラーに感情移入することを、心や頭が拒否することがあるかもしれない。でも、このナチス・ドイツの仕組みの中の人々に、自分に重なる部分を見つけてしまうことが、誰しもにある気がする。

それをちゃんと認識しておくことが大事なのだと思う。これは別の世界の、誰か極悪人が起こしたことじゃなくて、たった数十年前、私たちが生きているこの世界で、この社会で起きたことなんだと。それを起こしうる人間性のかけらを、私も持っているのだと言うことを。

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