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美食は不要不急ではない

「健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない」これは健康の定義である。

動物にとって摂食は、生命維持する為に栄養素を得る必要不可欠な営みだ。

動物は地球の進化の過程で、氷河期を迎え暗黒の闇の中で嗅覚情報により摂食対象物を探し判断していたと考えられる。やがて世が明け光が差すと夜行性から活動の場を昼間に移すようになりその判断を視覚情報に頼リ始める。また次に実際にその対象物に触れることで触覚情報による判断を会得する。つまりは感覚情報を利用して摂食対象物を探していたのである。

感覚情報は対象物を認識するだけに過ぎない。その対象物を口内で咀嚼することで食感を感じる触覚と口中で味覚を感じ、嚥下することで初めて体内に栄養素として吸収することが出来るのである。

しかし、動物はその対象物が飲食可能か判断せねばならない。なぜなら、時にその摂食対象物は生命を脅かす毒物もしくは腐敗物であることもある。嚥下すれば体内に取り込まれ、有益な栄養素であれば身体の形成に役立ち、毒素であれば病もしくは生命を絶つことになる。

日々栄養素か毒素かを賭博的に取り込むのではなく、経験した摂食可能な対象物の感覚による情報を脳が記憶する。やがて視覚、嗅覚から脳内の過去の記憶をたどり、ある程度その可否を判断する習性が出来る。が、やはり最終判断は味覚になる。味覚で異常を感じれば吐き出すことで自らの生命を守る。最終的にはこの脳が摂食対象物を飲食可能かどうかを判断しているのだ。

味覚とは主に舌で感じる感覚で、甘味、塩味、酸味、苦味の味の四面体で考えられていた。本来、酸味、苦味は動物にとって生命を脅かす毒物や腐敗物の可能性を示す傾向にあった。

しかしながら人類は柑橘類の果肉や果皮などからこの酸味、苦味が必ずしもそうでなく摂食可能な物があることを経験したのである。生きるために毒ではない酸味や苦味を食すことを覚えた人類は摂食可能な対象物=美味しい物という図式で美食という概念と記憶を生むことになる。栄養よりも美食、つまり心地よい味わいを求めるようになる。

ではこの心地よい味わいとは何なのか。味覚とは近代、味覚の四面体で説明のつかない旨味を日本人が見つけたことで現在では5基本味といわれる。人類はその欲望は与えられるたびに常により多く、さらに心地よくを求める欲張りな動物である。単純に満腹中枢が刺激されることでその欲求は満たされない。人類にとって美味しいとは甘味、旨味、塩味、酸味、苦味の5基本味がバランスよく口腔内で交わった時に美味しいと感じやすくなる。すでに人類はこの5基本味ではなく、油味なるものの存在も確認されている。

しかし、美味しいと感じる事は何も味覚がすべてではないのである。味覚のセンサーは100万個、嗅覚のセンサーは1000万個と言われている。人間の骨格は進化の過程で口と鼻が繋がった。このことが非常に重要になってくる。味覚と嗅覚は別に感じる事すら非常に困難なのである。風味つまりは味覚と嗅覚が非常に重要になってくる。美味しいと感じるには味覚の5基本味がバランス良く口腔内に交わり、香りと相まって程よい食感(触覚)がある時に美味しいと感じる可能性が高い訳である。進化の過程を振り返ると、人類は視覚で得た情報を嗅覚で認識し、触覚で口内に取り込み咀嚼し、味覚で再認識し嚥下し、すべてが心地よいことで人類の美食は成り立つのである。

また、近代人類は他の動物と違い一定の脳が発達し、生命を伸ばすことや維持する術を知った。これは他に対する「友愛」である。しかし、動物本来の野生は衰えることなく他の生命を奪い、食すことで己の身体の栄養素にし、生命を維持する側面も持ち合わせている。つまり他を攻撃し、自身の意のままに支配するという正反対の行動である。

人類にとって摂食好意は栄養素を身体に取り込むだけでなく、美食と食欲と言う欲求を満たすことで精神的安定をもたらしている。

精神的な安定を得ることで他を攻撃的に刺激したり争わず、優しさを持つことが出来るのである。単に栄養素を取り込むだけでなく、人類が進化の過程で知り得た美食を通じてよりそのことが効果を発揮するのである。つまりは人類にとって美食は、友愛を維持する為に精神安定を得る必要不可欠な営みなのだ。

そして、その必要不可欠な営み無くして健康だとは言えないのだ。


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