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妄想日記「狼少女と隠れ非行少女」

箱田むぎ 36歳 小説家

私の中学時代のあだ名は「狼少女」だった。転勤族の親の都合で、都会から田舎の中学へ転校することになった私は、周りから求められる「都会の子」を演じ、その延長線上に「あの読モと友達だ」とか、「おばあちゃんはイギリスで不動産屋を営むセレブである」とか…そんな小さな嘘がいくつも生まれた。正直、こんなに嘘を重ねてしまったのは、私の話を信じてしまう同級生たちが面白かったというのもある。しかし、自分が思っていた以上に田舎のネットワークは広く、そして、深かった。瞬く間に、私の出身校に読モなんていなかった事がばれて、おばあちゃんは静岡にいることもばれた。ご想像の通り、その日からみんなは私を「狼少女」と呼んだ。

狼少女の一日はつまらない。誰も私を見ないし、誰も私の話を聞いてくれない。どうせ、また転校することになるとはいえ、退屈な時間の塊は「人生」を連想させるほど長く感じた。しかし、そんな私の唯一の楽しみは、使われなくなったプールで過ごす放課後のひと時だった。道を挟んだ校舎の向かいのテニスコートを越えたところにある蔦だらけの使われなくなったプール。そこは、テニスコートから見ると、元更衣室の建物に隠れて死角になる場所だった。そして、何よりそこには唯一私の話を聞いてくれる人間がいた。

彼女は、同じクラスの学級委員長で、絵にかいたように真面目な女の子だった。みんな彼女と友達だけど、二人で話すときは少し緊張する、みたいな。そんな一目置かれる存在だった。だけれど、彼女は放課後のプールにやってくると豹変することを、私だけが知っている。放課後の彼女は、裸足でローファーを履き、普段かけている眼鏡も外し、そして、タバコを吸う。私とは違う方法で、同級生たちに嘘をついている「隠れ非行少女」だったのだ。ただ、彼女は私とは違い賢かった。一度、私がこのことをばらしたりしないか心配じゃないのか聞くと、彼女はこう言った。

「だって、あんたの言う事なんて誰も信じないやん」

そういったわけで、ある意味私は彼女に信頼されていたことになる。私としても、彼女がわざわざ私の話をクラスメイトにするとは思えなかったので、利害の一致だった。そして、何しろ彼女の話は刺激的だった。

「セックス、してみたけど大したことなかったわ」

「え、彼氏いたの?」

「ああ、作った。セックスしてみたくて」

「へえ。好きだったとかではなく?」

「うん。でも、別れたわ」

「なんで?」

「なんでって、もうセックスしたからに決まっとるやろ」

「付き合うってそんな感じだっけ?」

「あはは。あんた、そんなこと言うとったら一生処女かもな」

奥二重の涼し気な目を細めて、タバコの煙の向こうで彼女が笑う。眼鏡を外して露わになるその目を見られるのも、教室ではクラスメイトを「さん」付けで呼ぶ彼女が私のことは「あんた」と呼ぶのも嬉しかった。それに、彼女は私の嘘を面白がって聞いてくれる。

「大学は、私立のお嬢様学校に行くことが決まってるの」

「ふうん、なんてとこ?」

「クリスティーヌ・セバスチャン女学校」

「あっはは!絶対、中庭でアフタヌーンティーしとるやん!」

「そうなの。しかも、ピアノとバイオリンが必修科目」

「やば!卒業生、バッハなん?」

彼女にとって、私の話が嘘か本当かはどうでもいいようだった。彼女自身、教室での優等生な自分が窮屈だから、隠れ不良になったというよりは、どちらの自分も半分ずつ気に入っているのだと言っていた。そんな彼女は、私にとってとても大人に見えたし、彼女との時間があるから学校にも休まず通い続けられたのだと思う。だから、「転校」が決まったことを彼女に伝えた時、涙が溢れてしまったのは自分でも意外だった。

「何、泣いとんよ」

「なんでだろ。あんなに、早く転校したかったのに」

「ならええやん」

「私がいなくなっても寂しくないの?」

「ないなあ」

「なんで?」

「クリスティーヌ・セバスチャン女学校のほうが、あんたにお似合いやろ」

「ねえ、ふざけないで」

私は、泣きながら怒って彼女の肩を掴んだ。一度でいいから、聞いてみたかったのだ。彼女にとって私が特別なのだと言って欲しかった。

「淋しいと、言って」

彼女の切れ長の目が、私の目と合う。今、私の顔はきっとものすごく切羽詰まった顔をしているんだろう。でも、もうムキになってしまっていた。そうして、数秒間見つめ合った後、彼女は満足そうに笑って言った。

「嘘以外も、話せるんやん。次の学校ではすぐばれる嘘ついたらあかんで」

「え?」

「でも、あんたの嘘、突拍子なくてなかなかおもろかったからなあ…次の学校でもまた嘘つきたくなったら小説にでもしたらええんちゃうかな。そしたら、お金にもなるし、嘘つき放題やし最高やん」

真面目な顔で、無茶苦茶なことをいう彼女に思わず私は笑ってしまう。

「なんそれ。狼少女から嘘つき小説家になるの?私」

「なんなら、私のこと書いてもええよ」

「隠れ非行少女だって、ばれちゃうよ?」

「大丈夫。嘘つき小説家の話なんて誰も信じないやん」

振出しに戻ったかのような展開に、二人で笑った。誰も、私の話を信じないのと同じように、誰も、彼女の非行を信じない。私たちは、背中合わせの表裏一体だったのだ。

時は経ち、私はとある文学賞を頂き小説家としてデビューした。彼女はというと、単身で貧しい国を周り、現状をSNS上で拡散する活動をしており、有名人になっている。彼女のあげる写真には、銘柄のわからないタバコを咥える焼けた肌の彼女の姿が映っている。私たちは、長い時を経てお互い「本当」になれたのだ。あの蔦に覆われたプールに、いらなくなった嘘だけ脱ぎ捨てて。