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短編小説「こどもの森」

そこは、どこだ。ここは、どこなのだろう。

私は、一軒のありきたりに古く、それなりに整備された一軒家にいた。ガラス戸は、少しばかりの庭と雨よけの屋根がついた駐車場に向けて開け放たれていた。私の家ではない。それだけは、私の表面を覆う薄い緊張からわかる。子供の声がする。自分のいる廊下から、声がする広い和室に入る。すると、そこには大きな一枚板のローテーブルが中心に置かれており、その周りを子供達が囲んでいた。

「トイレ、長かったね。」

「うんちだろ!」

親しげに私に接する子供たちは、10人ほど。下は5、6歳、上は16、17歳に見えた。全員が制服を着ており(もしくは学校指定の体操服)それぞれ違う学校に通っているのだとわかる。女の比率の方が僅かに高い。私は、すぐにその状況を飲み込んだ。そうだ、きっと私はこの子達と「定期的に」会っているのだ、と思う。子供たちに紛れて私のパートナーもいた。彼は、子供達と一テンポ遅れて私の方を見た。何も言わないが、その微笑みをみて私は愛情を感じる。だいじょうぶ、彼がいるなら。そう思わされる。


中学生くらいの女の子が昨日の暴動について話し始める。

「昨日のは、最悪だったよ。」

「コンビニに行った?」

「行った。そしたら、店中ひっくり返されてて、ジュースは全部飲みかけにされてた。少しずつだけ全部飲まれてた。」

「随分面倒くさいことするもんだ。」

「おかげで私さ、隣町のコンビニまで行かなくちゃならなかった。早く奴ら、次の街へ行かないかな。」

「次の週には、移動するって回覧板回ってたよ。」

子供達が、そんな話をしている。私は、暴動について何も知らない。だから、ただ頷くだけにとどめていた。すると、彼が私に声をかけた。

「コンビニへ行ってみよう。」

すると、小学生の男の子が割り込んでくる。

「じゃあ、僕たちの自転車使いなよ。ブレーキはどれも壊れていないはずだから。」

「ありがとう。」

私は礼を言って立ち上がる。膝小僧に、畳の筋がくっきりと刻まれている。それほど長く、私はその場に座っていたのだろうか。


彼と駐車場に置かれたいくつもの自転車の中から、自分の体の大きさに合うものを選んだ。タイヤに空気が入っていることを確認する。彼が、ペダルに足をかけて一度こちらを振り返ってから漕ぎ出した。私は、安心し切って彼の後ろを追う。自転車は、想像より「速く走った」。


迷路のような住宅街を彼と自転車で走る。どうやらこの街は、山の近くの田舎の中では栄えている方の街なのだとわかる。その証拠に、住宅街をわずか3分ほど進むと車の行き交いの多い大きな道路に出る。そして、道を挟んだ向かいにコンビニが見えた。信号を渡り、コンビニに入店する。

すると、確かにそこは荒れ果てていた。男性の店員は、諦め切った虚な目でこちらを見るも「どうとでもしてくれ」と言うようにすぐに視線を移す。そして、無意味だとわかっているふうに床に散らばった商品を拾い始めた。

「ひどいね。」

彼が、楽しそうな声で言う。

私は、店員に聞かれたら申し訳ない気がして、少し声色を落として言う。

「暴動ってなに?」

「僕も知らない。」

「知らないんだ。」

「この街の成り立ちはこの頭にちゃんと入っているんだけれどね。暴動が何なのかは知らないんだ。」

「そう言うものなんだね。暴動って。」

彼は、頷き「ほら」と言ってジュースの棚を指差した。そこには、商品はあるものの確かに女の子が話していたように開封され、全てが少しずつ飲まれたジュースが並んでいる。せっかく入店したのだから何か買おうかと思っていた私でも流石に誰が口をつけたかもわからないものを飲みたいとは思わなかった。

「帰ろう。」

そう言って彼は、コンビニをでる。私は、その背中を追った。


自転車で走り出す。コンビニから子供たちのいる家までは5分もかからない。きた道を彼と正しく戻っていく。信号を渡って、大きな道を横切り、再び住宅街の中へ。しかし、どうにもこの自転車は早すぎる、と私は思い始める。もしかすると角を曲がれないかもしれないと言う予感と同時に不安が押し寄せてきた。彼の自転車も随分と早く進んでいるようだった。私は、必死に彼の背中を追う。

「あ。」

すると、何度目かの曲がり角で曲がりきれず、彼とは違う道を曲がってしまった。私は焦るも、脳内に家までの順路は簡単にスケッチされている。彼に追いつくためには次の突き当たりを左に曲がればいいのだ。そうすれば合流できる、と自分に言い聞かせる。


しかし、突き当たりには左がなかった。右にしか道がない。整備がされ切っていない住宅街にはよくあることだ。私は、「そうだ。右に曲がって、次の通りも右。そして迂回するようにぐるっと元の道に戻ればいいのだ。」と思う。焦りからか、ペダルを漕ぐ足に力が入った。早く合流しなくては。彼も心配するはずだ。


すると、迂回していたはずが住宅街を抜けてしまい土の道を走ることになる。辺りも暗くなってきたと言うのに。道は一本になっていく。森の匂いがすぐそこまで迫っていた。自転車は、もはや自分で操れないほどにスピードを上げていた。ブレーキを確認し、私は愕然とする。


そんなものは、はじめから付いていなかった。


ついに、森へと突入し恐怖を感じ始めた私の前に3本の道が現れた。それは、おそらく途中で曲がっており、その先の様子は入り口から確認できない。なんとか、ハンドルを切って一番左の道に入る。右に向かって曲がった道を抜けると、開けた場所にでる。そこは、森に囲まれた神社だった。私は、そのまま止まることができずに鳥居を抜けて再び森の中に突入する。頭の中では「戻りたい!」と叫びながら。


森の中で、子供の声がする。一人ではない、おそらく多くの。想像しているよりももっと多くの声だ。私は左右を見る。すると、木の隙間で幼い子供と高校生くらいの子供が抱き合っているのが見えた。その奥では、小学生くらいの子供達が追いかけっこをしている。森の奥に進めば進むほど、子供の数も増えていく。自転車は、さらに速く走り出し、彼らは私の視線の隅をシュンシュン!と流れていく。

「お姉さん。」

男の子の声が、前方から聞こえてすぐに後ろに消えていく。

「そろそろ、もっと増えてしまう。」

次は女の子の声。

「帰らんと!!!!!!」

数人の幼い子供の叫び声がした。その瞬間、キキー!とブレーキのない自転車が勢いよく止まった。周りからは100人以上の子供たちの視線。皆が本当に心配そうな目で私をみている。私は、このチャンスを逃すまいとすぐに自転車の方向を変え元来た道を走り出した。ペダルを漕ぐ足が、悲鳴をあげている。しかし、それを無視して力を振り絞って漕いだ。私は、命の危険を感じていたのだ。こんなに心細いことは経験したことがなかった。ずっと、彼がいた。ピッタリと彼にひっついて生きてきたのだ。

どんどん速度をあげて道を戻っていく。向こうから子供達がどんどん森に向かってやってくるのが見えた。皆が私を見て驚いた目をしてから、慌てて道を開けた。「急いで!」「がんばれ!」「間に合わない!」そんな声が私の背中に追って届く。心臓の音が耳の近くで暴れている。


やがて、神社に戻ってきた。私は、少しホッとする。そして、再び3本の道が現れた。あの3本の別れ道は「どれを選んでもここに繋がっていたのだ」と今になって知る。すると、再び自転車が止まった。漕ぎ出したいのに、そのペダルはびくともしない。

「どうして!」

恐怖が怒りとなり、叫んだ私の背後に気配がする。私は、勢いよく振り返った。すると、神社の鳥居の下を二つの影がくぐるのが見えた。目を凝らす。それは、宙にわずかに浮いて移動していた。さらによく見ると、それはひな祭りの殿様と姫様を腰の高さまで縦に引き伸ばしたかのような姿をしていた。その二つの人形のようなものがゆっくりとこちらを見た。私の心臓が凍る。私は、自転車を捨て走り出す。3本の道は、同じ道に繋がっている。私は、そのことを信じて真ん中の道に飛び込んだ。足は鉛のように重く、思うように進まない。後ろを振り返ると、人形の影が同じ道を入り、私の背後に迫っていることがわかる。走る。走ることだけ、それしか許されていない人間のように私は走った。もう、後ろは振り返らずに。


住宅街まで走り切ると、背後の気配が消えた。私は、膝に手を付いて肩で息をした。おそらく、「本当の危険」からは逃げきれたのだと思う。私は、両足を引き摺るようにして歩き出す。ここは、どこだろう。そこは、どこだったのだろう。


そして、記憶のかけらを一つ一つ拾いながら、あの大通りに出た。時刻は、体感で19時を過ぎた頃だろうか。見覚えのあるコンビニエンスストアが見える。私は、吸い寄せられるようにコンビニへ向かった。ガラス張りから見えるのは、昼間のように諦め切った目をした違う女性の店員だ。いまだに、彼女は荒らされた店内の商品を拾っている。私は、駐車場の車止めに腰を下ろした。細い雨が降り始めていた。これから、どうやってあの子供たちの待つ家に戻ればいいと言うのだろう。私は、彼を信じ切っていて、その帰り道をほとんど覚えようとしていなかったというのに。ここから、動けない。彼が、探しにきてくれるまで、ここにいることが何よりも安全なのだと思う。子供たちの声が聞こえた。私は、自分の膝小僧を見つめたまま小さな希望を感じる。もしかすると、彼が子供たちの協力も得て、みんなで私を探してくれているのかもしれない。今にも眠りたかった。そのまま、子供の声が近づき、私の見下ろす地面に二つの影を落とした。力を振り絞り、私はその頭をあげた。


あの殿様と姫様が、私を見下ろしている。


「暴動だ!!」

遠くから男性の野太い声が聞こえた。その声が、彼の声ならば私はもう走らなくてもいいというのに。