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妄想日記「はちまきさん」

村瀬らら 16歳 高校生

わたしの住む町には「はちまきさん」と呼ばれる女性がいる。はちまきさんは、町に唯一ある商店街のせんべい屋さんでパートをしている。なぜ、彼女が「はちまきさん」と呼ばれているかというと、その名の通り彼女がいつも鉢巻をしているからだ。そして、それはせんべい屋の制服でも何でもなく、スーパーで会っても、電車で会っても鉢巻をしているのである。これだけ聞くと、危険人物のように思えるかもしれないけれど、はちまきさんはこの町の人に愛されている。その証拠に、彼女を見かけて「はちまきさん、こんにちは」と話しかけない人はいないし、彼女に会いたくてせんべい屋に通う人も多い。とにかく彼女は、この町のシンボルであり、渋谷で言うハチ公みたいな存在だった。

かくいう私も、はちまきさんの隠れファンだ。だから、いろいろな人から聞くはちまきさんの話は、興味のないふりをしてしっかり頭の中にメモしてある。まず、なぜ彼女が鉢巻をするようになったかというと「高校の受験日に鉢巻をしてテストを受けたら見事合格したから」らしい。それも、模試ではE判定の「合格はほぼ不可能」と言われていた高校を受けて合格したのである。以降、彼女はここぞという日には鉢巻をするようになった。初めてのデートの日も、お葬式でも、就活の時も。そして、結婚する頃には「面倒くさくなって」毎日鉢巻を巻くようになった。以降彼女は、本物の「はちまきさん」になったのである。一見奇抜になりそうな鉢巻だが、彼女のつけている鉢巻は手作りで、いつもその日の洋服の色や柄とリンクしていて、おしゃれに見えるから不思議だ。私は、そんなはちまきさんのカリスマ性とオリジナリティに憧れているのだ。なぜなら、私は彼女とは真逆で、地味で、いなくなっても誰にも気付かれないような存在だったから。

はちまきさんも、きっと私の名前までは知らないだろうと思う。週に一回、「お使いで、頼まれて来てます」みたいな顔をしてせんべいを買いに来るぶっきらぼうな高校生としか思われていないだろう。本当は、こんなにはちまきさんと友達になりたいのに……!!!!「これ、焼き立てだから食べてみて。サービスね」とはちまきさんが渡してくれたせんべいを冷めるまで公園で眺めていたことも、はちまきさんが妊娠したと聞いて近所の神社(安産の神様ではなかったけれど)にお参りに行ったことも、彼女はなにも知らないはずなのである。それは、時に私を寂しくさせたし、時に安らぎをくれた。

そんなある日、4時間目の国語の授業の最中に1人の男子生徒が、机の下で携帯を見て突然叫んだ。

「はちまきさん、赤ちゃん生まれたって!!!」

気だるかった教室の温度がグッと上がり、みんなが口々に「えええ!!」とか「男の子?女の子?」とか叫び始めた。「おーい、授業中だぞー」と言いながら先生も「で、どっちなんだ?」と聞く始末。私は、何も言わなかったけれど内心、心の中で沢山汗をかいていた。ドッドッドッ、と心臓の音が聞こえる。

「えーとね……女の子だって!!」

男子生徒がそう言うと、教室中がさらに盛り上がった。「赤ちゃんも鉢巻つけるのかな」「絶対可愛いよね!」とか言いながら、みんな内心男の子でも女の子でもどちらでもいいのだと私は思った。なぜなら、はちまきさんの子供なら「かわいい」のである。私は、すでにはちまきさんの赤ちゃんを大好きになれる自信があった。そして、一度止まった授業も再開し「もー、今日いきたかったとこまでいけなかったから、はちまきさんに文句言いに行かないとな」と先生が笑って授業が終了した。次の授業までの休み時間は、みんな「いつお見舞いに行こうか」という話でもちきりだった。私は、次の授業で使う教科書を取り出しながら、ページの端にみんなのお見舞いの日程を書き込んでいく。みんなが行かない日で、はちまきさんの迷惑にならなさそうな時間帯を脳内で計算する。そして、ちょうど3日後の放課後すぐにお見舞いに行くことにした。

3日後、人から盗み聞きして知ったはちまきさんの病室の前を私は行ったり来たりしていた。お腹にも優しいリンゴをいくつか買って来たものの、いざ病室の前に立つと自分が場違いな行動をしているようにも思えてくる。きっと、はちまきさんは私がお見舞いに来ても嫌な顔はしないだろうけれど……「だれ?なぜ?」みたいな微妙な表情をされてしまったら、私は結構傷ついてしまうだろう。すると、後ろの方で足音がした。

「ららちゃん?」

慌てて振り返ると、そこにはなんとはちまきさんが立っていた。

「……あ、わたし……」

予想外の出来事に固まっていると、はちまきさんが近づいてきてこう言った。

「うれしい。ありがとう。」

私は、目尻が熱くて思わず下を向いた。はちまきさんが、私の名前を知っていて、お見舞いを喜んでくれたという事に感動していたのだ。数秒、ぐっとお腹に力を入れて涙をこらえてからもう一度顔をあげた時、私はあることに気付いて「あっ」と叫んだ。はちまきさんのその額には、鉢巻が巻かれていなかった。

「は、鉢巻は……」

そういうと、はちまきさんは蜂蜜みたいにとろりとほほ笑んで、病室に入る手招きした。

「ららちゃん、時間あるんだったらちょっと話そうよ」

言わるがまま病室に入ると、開け放たれた窓から春の風がカーテンを揺らしていた。そして、その窓辺には透明のアクリル板に四方を囲まれた小さなベッドが置かれている。私は、吸い寄せられるように近づいてベッドの中を覗き込んだ。

「ちいさい…」

その小さな生き物は、赤くてちょっと猿みたいな顔をしていて…想像よりもかわいくはなかったけど想像より小さくてこれが人間なのかと驚く。すると、私の反応を見てはちまきさんが笑いだした。

「ふふふ、思ったよりぶちゃいくよね。赤ちゃんって」

「えっ、いや、なんか、ごめんなさい」

「私も生まれてきた瞬間思ったもん。初対面が血だらけのドロドロって、人生で最も衝撃的な出会い方だと思わない?」

「ああ、まあ、確かに」

私は、しどろもどろになった後ちらりとはちまきさんの方を見る。はちまきさんの視線は赤ちゃんに注がれていて、その横顔は今まで見たはちまきさんのどの表情より柔らかかった。これが、母というものなのだろうか。私は、急にはちまきさんが知らない人になったような気がした。

「鉢巻、してないんですね」

「もうね、いらなくなったの」

「え…!」

私は、思わず大きな声を出してしまってから慌てて自分の手で口を塞いだ。はちまきさん、は「大丈夫」と目配せしてから話し始めた。

「鉢巻はね、私にとってずっとお守りみたいなものだった。鉢巻して高校に合格したのも、本当は鉢巻のおかげじゃなくて、たまたま。その他の時もそう。鉢巻をしていても、していなくても、努力や運の前では意味がないからね。じゃあ、なんで鉢巻を巻き続けたかって言うと…自分に自信がなかったからなの。本当は、あまり明るい人間じゃないし、実は他人と話すのもそんなに得意じゃなかった。でも、それを言い訳に甘え続けられるほど人生甘くないんだろうなってことも心ではわかっていて。でも、「はちまきさん」になれば楽になれた。自然と、笑っていられたし、他人と話すのも楽しいかもと思えたの」

そこまで話してから、はちまきさんは少し重そうにベッドに腰かけた。そして、私の方を見てこう言った。

「ららちゃんはね、昔の私にとても似ているなあって思ってたんだ」

「私が?」

「うん。ららちゃん以外にも、あの商店街にいると昔の自分に似ている人に沢山出会うの。ちゃんと律儀にソックス糊をつけてる女子高生とか、お菓子が欲しいのにお母さんにねだるのを我慢している子供とか、本当は興味がない話に相槌を打ってるとか…そういう人たちをずっとあのせんべい屋から見ているうちにね、私、自分が思っている以上にもう「大丈夫」なのかもって思えてきた。そうして、お腹に赤ちゃんがいることが分かって決めたの」

「…鉢巻は、もういらないって?」

私は何故か、いらないと自分が言われているような気持ちになって急に寂しくなってくる。はちまきさんが、ものすごく遠くに行ってしまう気がする。ちょっと、泣きそうだ。すると、はちまきさんが私の顔を見て破顔した。

「ちょとーなんで、ららちゃんがそんな顔するのー!」

「だ、だって…」

「ららちゃん、お願いがあるんだけれど」

はちまきさんが、私の耳元で囁く言葉を私はどきどきしながら聞いていた。

あれから、1か月が経って私ははちまきさんが働いていたせんべい屋さんでアルバイトをしている。赤ちゃんが生まれたはちまきさんは、今まで通りのシフトで出勤できなくなったからだ。はちまきさんがせんべい屋の店主に私を推薦してくれたおかげで快く迎えてもらえた。程よく焦げた醤油のあまじょっぱい匂いに囲まれて過ごす時間は、私のつまらなかった放課後を鮮やかにしてくれる。

「よ!はちまきちゃん、糊せんべい3枚ちょうだい」

「かしこまりました!すぐ包みますね」

「ついでに、愛も包んどいて!」

「高くつきますよー」

「ぎゃはは!」

近所に住む愉快なおじいちゃん。

「あら、今日のはちまき素敵ねえ」

「ありがとうございます!〇〇さんも、ブラウス素敵ですね。デートですか?」

「もお、ホント上手ねえ!ぬれせんべい5つ頂くわ」

「ありがとうございます!」

社交ダンス帰りの素敵なマダム。

今、私はいろいろな人をはちまきさんの眼となりこの場所から見つめている。いつか、この額に巻かれた鉢巻が「いらなくなる」その日まで。