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私の病気について

今日は9月30日、おそらく満月であろう月がとても綺麗です。蚊取線香を焚いて、窓を開けて、夏の残り香を少しでも楽しみたい。2023年、私には夏が存在しませんでした。7月に倒れて以来この2ヶ月以上ずっと寝ていました。朝、というか昼過ぎにやっと起き上がり恋人が作り置きしておいてくれた食事を摂り、また寝て、夜ご飯を作ってもらい、調子が良いときは気分転換にたまに外食に連れて行ってもらう、そんな生活でした。とにかく意識があるだけで辛い日日が続き「もう消えて無くなりたい」という思いが脳裏に焼き付いて離れない。自暴自棄になって夜中にひとりで酒をがぶ飲みし、我を忘れられたはいいもののパニックになって大声で叫びながら家中暴れて家具や食器を破壊し、それはもう悲惨な日日でした。「でした。」の過去形で片付けられるものではなく、これは今も続いていて治したいけど今後も治るものではない。そしてこれからもこの症状が続くなら死にたいと思っている所存でございます。


7月から仕事に行けなくなってしまいました。朝起きて支度をして家を出る直前まで身体が動いたのだけれど。

仕事、楽しかったんです。自分の好きな職種を幸運なことに選ぶことができたんですが、楽しくて自らのキャパシティを超えて働いていたことにまるで気がつきませんでした。それと重なってラクガキ集の制作と販売。これも幸いなことにたくさんの人に知ってもらえて&購入してもらえてとてもうれしかったです。しかし「購入手続き~梱包、配送までの作業をできるだけ自分ひとりで完結させたい」という謎のこだわりがあって、それが想像以上に大変だったんだと思います。やっている最中は夢中で気付きませんでしたが、酔って家に帰って恋人に「もう休みたい、毎日仕事と配送作業に追われて心も体も休まらない、もう死にたい。」と泣きながらこぼしていました。そのとき助けてもらっていたら、休んでいれば…と思うけれどどちらも自ら蒔いた種には変わらず「最後まで自分だけで成し遂げなければ」という変な責任感に囚われていたことが壊れてしまった原因に繋がっていると思います。

昔からそうだったんです、本来ならできないことも体調が良いときは頑張ればできてしまう。できないと思っていてもものすごく頑張ればできてしまうから周りからできるのが普通の人にされてしまう。新天地の長野県に引っ越して新しい仕事を見つけられて色んなことが普通にできているような気がして、順風満帆で有頂天になっていました。でもその「普通」を保つためにものすごく自分をすり減らしていたんだと思います。


私は「広汎性発達障害」という障害があります。生まれつきの先天性の障害なので「治る治らない」の問題ではなく死ぬまで付き合っていく障害です。精神科に10年以上通っていて、障害者手帳2級を交付してもらえることになった際に最終的に云い渡された障害名です。学生時代、閉鎖病棟・解放病棟、ふたつの精神病棟への入院も経験しました。特に閉鎖病棟のさらに奥、保護観察室という今でも思い出しただけで吐きそうになるくらいの部屋に閉じ込められたりもしました。

どんな症状があったっけ…自分でも数え切れないくらいあるのでググってみました。「広汎性発達障害、生まれつきの脳の微細な異常が原因と考えられている神経発達障害の一種です。 コミュニケーション能力が弱く、独自のこだわりに強くとらわれるために社会生活が困難になりやすい特徴を持ちます。 以前は、自閉症やアスペルガー症候群と呼ばれていた障害がこれに含まれます。」だそうです、ざっくり自分にも当てはまるような気がします。

人と関わることが好きだけど苦手なんです。自分のコミュニケーション能力について初めて自覚したのは予備校の頃だったかと思います。例えば友人Aと友人Bがいてそれぞれと一対一なら普通に話せるのだけれど、私とAとBが一緒になった瞬間すごく頑張らないと会話に入っていけない。一対一ならボールを投げてきた相手にボールを投げ返してその繰り返しで成り立つじゃないですか。でも3人になったときどっちからボールが飛んでくるのか、どこへ投げ返せばいいのか、二人へ返すのか、一人にだけ返すのか、返しても受け取ってくれないときは…とにかく頭の中でものすごくたくさんの思考が巡って、考えているうちにどんどん会話は進んでいって、その結果会話の内容にうまく追いつけず言葉が出てこないことがしょっちゅうありました。

この作業はものすごく精神がすり減ります。私と関わったことがある人はきっと多分、別に、私がそんなに風変わりな変な人だとは感じないと思います(多分…そう信じたい笑)でもそうするために無意識にすごく頑張っているんです。正直目の前の人が何を話してるのか理解できないことがたくさんあって、でもさすがに「今のってどういう意味ですか?」とは聞けないから「この行間に含まれる意味はなんだろう…」と頭をフル回転させて人とコミュニケーションを取っています。結果、楽しく過ごすために無理しないといけないからたとえ好きな人と会ったとしても「あー楽しかった、でもすごく疲れた…」ってなることのが多いです。

恋人と過ごす時間が心地良く、楽なのは私が質問したら逐一答えてくれるからかもしれません。私は人が表情や態度で表現しようとしている(?)ことの意味がよく理解できません。甘えではあることは百も承知ですが私は恋人に「今怒ってる?」「嫌いになった?」と死ぬほど尋ねます。言語化して言葉にして伝えてくれないと入ってこなくて不安なんです。こんな質問は友達や知り合いにはしないほうがいいのは分かるのでしませんが、こんな質問にいちいち答えてくれて不安を取り除いてくれる恋人には感謝しかありません。


二次的な障害として自傷癖もあります。7月に入って死にたくなってから3回くらい自分の身体を切りました。2回は左腕、1回は左脚。脚を切ったときは辛くてどうしようもなくて、コンビニでカッターを買った帰りの路上で「でも腕を切ったら半袖で目立つしなぁ…」と思うくらいに理性は働きながら、気付いたら膝に近い太ももに思い切り力を込めて切っていました。でももう二度とやらない…そのときは泥酔していてあまり気が付かなかったけれど履いていたサンダルが何故かずるずる滑ってうまく歩けなくなりました。多分、脚の可動域の近くの血管を切ってしまって今までで一番出血が酷かったです。まさか自分の太ももからふくらはぎを伝った血で滑っているとは思わなかったけれど、思い返してみればボタボタ血が地面に落っこちていくのは感じていました。

そのあと車で捜索に来た恋人に回収され、後日「ひろを家に連れて帰るとき車内が異常に生臭かったんだよね」と云われました。「カッターでちょっと切ったくらい」と舐めていたけれど次の日素面になって傷跡を見たらそれはそれは非道かった。一番でかいキズパワーパッド2枚分でなんとか覆えるくらいだったけれど、それを交換するとき傷口がありえないほど臭かった。嗅いだことのある臭い。魚が腐った臭いがして「我我は海から来たんだなぁ…」なんて馬鹿げた思想にふける余裕が何故かありました。1ヶ月くらいはビッコ引きずってまともに歩けなくて困ったなぁ。(そのまた後日、恋人から「血まみれのひろを回収に行くのは本当にしんどいから本当にもうやめて…」と忠告を受けました)

私に自傷癖があると知っている友人に愚痴交じりにこのことを話したとき改めて尋ねられました。「ヒロミがそういうことをするのをやめろとはもう云わないけど、なんでそういうことするの?」直接的な「腕を切る」という単語を使わなかったのは彼女なりの優しさなんじゃないかと思います。私はその質問に「自分への罰と戒めです」と答えました。誰かに迷惑を掛けながらでしか生きられない不甲斐ない自分に罰を与えなければいけない。普通に生きられない自分は戒めを受けるべきだという考えが頭の中を支配してそれを振り払うことができないんです。

「悪いことをしてしまった代わりに自分を痛めつけるから許してもらいたい」というセルフパニッシュメントです。もし本当になにか悪いことをしたならそんなことをしても何も解決しないこと、そしてそれが歪曲された考えだと頭では理解しています。ただ感情が大きく揺さぶられると私の脳は過剰に反応してしまう。自分の行動(自己嫌悪)と自己同一性はかけ離れているものなのに簡単にリンクされてしまい、その結果、心の痛みを言語化する努力を放棄し、自分を傷つけて「あなたにも見える傷口からこんなに血が流れている、すごく痛いから許してほしい」という無責任に可視化された傷を作りだして許されたいんだと思います。



思っていることをつらつらと書いていたらこんなに長くなって10月13日になってしまいました。特にオチとかはないし、別に現状を振り返りたいとか自分を知ってもらいたいとか何もないです、意味も何も。ただ書きたいから書いただけ。でも少しは自分の今の状況を客観的に観られたような気がします。死ぬまでこのままなのかー、嫌だなぁ。生まれ変わったら精神障害がない健常者として過ごしてみたいです。みんなそれぞれ色色あると思う、でも私には私しか分からないことがあって、私が想い描く「普通」の状態に頑張らないでなってみたかった。普通に生きてみたかったです。

今はなにもしてません、絵も描いてないです。夏に比べたら症状は良くなってきていると思う。毎日時間が過ぎていくのをただ待っています。生きることをあきらめたくないけど、今は死にたい。これから先どうなるかは分からないけれど。

2023/10/13 ホリウチヒロミ

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