見出し画像

【舞台】もはやしずか(2022年4月8日9

演技巧者・脚本がそろい踏みの濃密な時間、それを間近で共有できる小さい空間。なんというぜいたくな舞台。こういう芝居があることがエンタメの豊潤さだと思うけど、見た後のストレスが半端ない。

世田谷シアター・トラムは、客席数も少なく座席も固く、ドーンと派手なお芝居というよりはテーマや出演者なども挑戦的な作品が見られるいい劇場だ。

昨年から橋本淳さんの演技が気になっているのを友人が気にかけてこの舞台を教えてもらい、ダメもとでチケットを探したら全然余裕だったので、急遽観劇。平日ということもあったかとは思うが、それにしてもこの豪華な演者で注目の脚本家の作品なのに、何とももったいない。まあ、個人的にはこのサイズでこんな濃密な時間が体験できるなんて贅沢過ぎてありがたいんだけど・・・。東京の文化、どうしちゃったんだ?コロナというのはもう関係ない気がするが。

ちょうどアカデミー賞の殴打のニュースが駆け回っているこの時期に、あわせて「言葉の暴力」という謎ワード(意図はわかるけど)が聞こえてきていたが、今回の舞台はまさに「言葉という凶器」について多くの人がうなずけるようなモヤっとした感情をこれでもかと重ね、そして逆に言葉が空回りする空虚さ(とその空虚さが日常と化す空虚さ)が、「自閉症児」というとてつもない「現実」によってかき回されていく様子を描いている。

「言葉の暴力」って安易に攻め立てる側は、直接的なNGワードなどを想定しているようにみえるし、逆に自身が使う言葉の暴力性について自覚はあるのかな、と疑問に思う。あの、幼稚園の先生が放つ凶器としての言葉の数々は、特定の「暴力性」を具体的に抽出することができず、文脈として全体が破壊力を持っており、受け手がその文脈を自身の想像力で補って必要以上に傷ついてしまうという悪循環に陥る。ただ、これは私の感じたものであって、あの空間を共有していた観客達でも別の感想を持つ人もいるだろうと思う(幼稚園の先生と同じ意見の人も少なくないはず。意見というより障害については事実誤認なんだけどそれも含めて意見、と思ってしまうというか。)

安達祐実がドラマ「大奥」で演じた和宮が個人的には絶対正解の和宮、と思っているので、今回初めて舞台に立つ彼女を見られたことだけでもう満足。そしてやっぱり(当たり前だけど)間がとても良くて、このシリアスな中で爆笑をかっさらっていくところはもうさすがとしか。

全体にこのシリアスと滑稽がいりまじる何とも説明しずらいかつこれこそ演劇、というセリフ群を、とにかく素晴らしい役者たちが舞台上に生々しく立ち上がらせることで、あのトラムの狭い空間がもういやな雰囲気でいっぱいに。よい会話劇って、見ていくうちにどんどん演者と観客が混然となって、「それでそれで?」「それはひどいよ~」「あ~、よかったね~」なんていう当事者気分で2時間を過ごしちゃうけど、今回もまさにそれ。


そして、最後の結末が自分が予想しているのとは逆になったことで、さらなる絶望に突き落とされて終幕。終幕の直前のシーンで、お母さん・お父さんがまさに「言葉という凶器」に対峙していたのに、その後息子がまさに同じ状況を反復しているのに、結局味方にはならなかった。「理解」って、「共感」って・・・、という絶望。他人という地獄。でも、あそこで簡単に「親だから理解できる」みたいな方向に締めくくらなかったのが、この舞台のテーマを貫いていて、すごいストレスですごい絶望だけどすごい納得。

最初の最初、照明を一部に絞るとかの方がわかりやすかったように思うけど、そこは好みなのかな。もしくはもう少し無機質な家具だったらいいのか?ここも好みかな。あと、人形の声は無くても成立したのでは、と思ったけどそこも好みかな。

しかし、客席の埋まり具合とは反比例で、反応がよく、あのシリアスな内容でも滑稽な部分ではちゃんと笑いがドシドシ起きていて、それもまたあの空間のサイズ感が重要だよな、と思う。

こういう濃密な芝居は、何回も講演を重ねて、見る人を着実に増やしてもらいたいし、存在意義がある。グランドミュージカルや大箱の芝居もあり、こういった良質な小品もあることで、エンタメの生態系は健康に保てると思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?