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家事分担という概念は存在しない

それは本当に「やりたいこと」なの?

私が妻に何千回も言ってきた言葉です。同じ言葉を何度も繰り返す意味では、もはやモラルハラスメントなのではないかというレベルにこれを繰り返し伝えています。

妻はこれまでご紹介の通り、本当に素直で真面目で正義感があって、かつ、妻日記のどこかにも書いた通り、親や親族や地域の期待から「身を粉にして」働くことを余儀なくされてきました。

結婚後に妻は退職し、今は働いていません。学生です。これまで一切の休みなく学生と労働者を続けてきて疲れているので、もう休憩はいらないというまで、少なくとも「嫌なことを我慢してやるのをやめてもらう」ことを、私から頭を下げてお願いしています。

「頼まれてもいない義務を使命と捉えて毎日イライラ世間様の期待や承認欲求を満たすために身の丈に合わない努力をする」ことが、夫婦関係崩壊の必勝法!

これが私が考える夫婦関係の基礎です。ちょっと角が立つ言い方になり、ごめんなさい。けれども、電車や街でイライラしている人のなんと多いことか。この人たちは一体何のために生まれ、何をして喜ぶのか、前回の記事でアンパンマンの歌を例示しましたが、私はどんなときでもこの自問自答をしています。

前置きが長くなりましたが、妻には「不要な我慢と義務の履行をしない」ことをお願いしており、それが最も顕著なのが家事です。世の中には「家事分担」という概念がかなりはっきり存在すると思いますが、私達夫婦には「家事分担」という考え方はありません。そんな労働のような苦役のように家事に取り組むなんていう選択肢がないからです。家事は楽しいもの、家事は楽しいと思う人がやるもの、それを楽しいと思うのは夫、だから夫がやる、それだけです。

家事は辛くて大変なものなんだ!と言いたい方もいらっしゃると思います。けれども逆に私は「労働って反出生主義を催すほどに苦痛なものなんだ!」と言いたいわけです。しかし、実際には、多くの日本人が仕事で自己実現したり、仕事生活を充実させたい、そこで評価されたいと思うわけです。私にとって「仕事で目標を達成したい」「仕事で輝きたい!」みたいな欲望が「家の中をきれいに掃除したい」「料理を美味しく作りたい」「冷蔵庫の在庫をきれいに維持したい」なんですよね。だから「家事は苦痛に決まってるんだから分担が重要だ」とする風潮自体に、まったく価値観が適合しないんですよね。

私がお風呂掃除と夕飯の準備を楽しんでいる横で、妻はゲームをしています。お互い、好きなことをやっているだけの至って満足な生活。これを「一人が家事をやらされて、もう一人はサボっている」と認知している時点で、相当に「労働至上主義」に毒されていると、私は思います。なんでもかんでも「義務」であり「タスク」であり「苦痛なもの」と感じる脳になっていませんか?にもかかわらず、最も被支配構造が強い「会社労働」に対しては、これらの負担意識が鈍ってしまう。これが現代社会の「ヤバい」ところかなと痛感する毎日です。

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