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陽気なクローン(フィクション・創作)

 何もかもが嘘まみれであった。この陰鬱な曇り空も、流れ星も眼下の海も、私が生まれた日付も両親の存在も、さらには飼い犬の存在さえもである。
 私はクローンだったのである。疑いは紛れもない現実のものとなって、私の輝かしい青春、これから始まったであろう冒険に満ちた夏休みの計画は、全てが水の泡、夢まぼろし、本当は存在してはならなかったものへと形を変えて、文字通り音を立てて崩れていくのであった。

 その異変に気付いたのは、5月の雨の日の日曜日のことである。日課の飼い犬の散歩をしていた時にその違和感は訪れた。要約すると犬はサイボーグであったのだ。雨に必要以上に濡れたせいか、あるいは耐久年数の問題か、それは急に動かなくなったのである。
 時が止まったような硬直。今までと何も変わらない表情のまま立ち止まって動かないのである。
 体を解剖したわけではないのであるが、とても生身の動物が起こせる現象では無かったのだ。
 私は固まって動けなくなったそれを、傘で隠しながら先程、家の犬小屋まで運んで収納したはずであったのだ。
 しかし不思議なことに、それは今少し雨が止んだ夕方には、今までと同じように普通のペットの動物として、小屋の鎖に繋がれて動いているように見えるのである。
 このことはまだ、誰にも話してはいないのであるが、誰かに話す勇気などはない。
 何か私は、根本から勘違いをしているのか、或いは何かに騙されてこの世に存在しているのではないかという、小さな疑問が沸き、その思考から抜け出せなくなっていた。
 あまり大きな声では言えないのであるが、両親の離婚に伴う親権問題の通知書なるものを、私は隠れて、いや隠れずとも先日、書類を見てしまったのである。
 「クローン条約の締結に伴い両親の離婚の際、所有権は本社に一時帰属することになる。」との条文であった。「所有権復帰に伴う再契約の書類」「再契約時の金額」「契約破棄の場合の手続き」…
 「契約破棄の場合の法律上の問題」「未成年者の場合の手続き」「リセットもしくは…」

 そう言われると私には思い出せる記憶というものは、中学入学の時の物しか無かったのである。
 両親に言わせると小6の時に大きな怪我をしたという話は聞いたことがあるのではあるが、何か聞いてはいけないことのような気がしていて、あまり深く尋ねたことはなかったままなのだ。今となればその全ての現象に納得がいくのだ。

 「私は廃棄されるのであろうか…」

 契約更新金額は千万?億?であったであろうか。一桁違えば大きな違いであるが、その時は自分の命につけられた金額を、真っ直ぐに落ち着いて見つめることなどできなかった。

 加えて一言付け加えることが、この往生際に許されるのであれば…

 モテ期だったのである。この期に及んで告白すると、私は人生始まって以来、未だかつてなかった程のモテ期が到来していたのである。到来している最中なのである!
 今このまま、親の都合で、またはクローン会社の都合で、この銀河系で一度あるかないかのこの黄金色に輝くタイムラインを、どこの誰にも邪魔される覚えはないのであるし、そんな権限もこの時代にあって良いわけはないのであった。

 私は密かにこの家を出る計画をひとり誰にも悟られないように立てたのだ。

 「来週からの部活の合宿の前に友達の家に泊まり込みするから、もう明日からしばらく家を出るよ!」
 母親に明るく、そう言い残して私はこの家を出る決意をしたのであった。
 明日私はこの家を出るのだ。書き置きなどは遺さないまま。


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