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終わりのないソシャゲー【脱依存】

僕はゲームをすることが好きだ。小学一年生の頃、父にDSを貰ってから今日に至るまで様々なゲームをプレイしてきた。
そして僕は、ゲームに熱中すると依存しやすいことも経験上重々承知している。

例えば小学生の頃。1日1時間と決められていたゲーム時間ではどうも満足いかなくて、何とか親の目を盗んでリビングのパソコン台の下の棚からゲーム機を盗み、自分の部屋に持ち帰ってプレイしようとしていた。上手く持ち込めた夜は、時間を忘れて何時までもマリオカート(DS)をしていた。
また、ある時は起床時間の1,2時間前に目覚まし時計をかけ、早朝にゲームをすることもあった。しかしたいていの場合、親の勘なのか、或いは僕がゲームに夢中で自分の立てる微かなボタンの連打音などに気づいていなかったのか、急に部屋に入ってきた母にばれて暫く禁止になってしまうのであった。

また、中学生の頃。デスクトップのパソコンを自分の部屋に譲り受けた僕は、当時既に最大の流行は過ぎ去っていただろうアメーバピグ系のゲーム(特に庭づくりができるピグライフ)に夢中になる。些か完璧主義が過ぎる部分があるのだろう、イベントなどは中途半端に終わらせたくなかった。従って、出来る限り一定の時間で回復していくスタミナを無駄にしない為に、スタミナの回復上限の手前でログインし、スタミナを使い切ってから他の現実世界での作業(宿題や身支度)に取り掛かるという生活を繰り返していた。
今でも覚えているのは1年生から2年生にかけて。その頃の僕はあまりにもハマり過ぎて、夜中でもスタミナが上限MAXに回復する2時間半ごとにわざわざ起きて、真っ暗な部屋でPCを起動していた。もちろん、親にはばれないように。今こうやって書いてみると自分の異常性に気づくわけであるが、当時はとにかく期間限定のイベントで欲しいものがあれば、課金以外のどんな手段を使ってでもそれを手に入れようと注力していた。それぐらいに熱中していたのだ。部活も、アメーバピグの為にサボる日々が続いた(部活自体もともと好きでなかった)。

成長期に十分な睡眠をしなかったことは、今の低身長に。
夜中暗闇でのゲームは、今のド近視に繋がっている。

そして高校時代以降。スマートフォンを手に入れた僕は、ソーシャルゲーム(以下、ソシャゲー)に手を出す。色々試してみた中でも、あるパズルRPGゲームを気に入る。そのゲームは、時々人気のアニメともコラボイベントを開催することがあり、その度積極的にイベントやガチャで手に入るキャラクターやらを目的に時間的リソースを割くことが続いた。
高校生からはアルバイトを始めていたこともあって、ついには「課金」にまで手を出してしまう。期間限定イベントが開催している間だけに引くことのできる豪華なガチャに使うためである。
しかし、ガチャは依存性が高すぎる。一回目引いた時にいいキャラクターが出てしまった為、「もう一回」を期待して再度課金してしまうのだ。仮に二回目で失敗しても、「三回目が…」となる。完全にゲーム開発者に翻弄されている状態だ。それがなんだかんだ昨年まで続く。

もちろんずっとではない。ソーシャルメディアのように、自分の依存体質とそれがもたらす悪影響―時間の無駄遣いやすべきことの先延ばし・現実逃避、外出の減少等―に気づき、アプリをアンインストールをしたり、他に趣味を見つけてそちらへ注力したり、努力をしていた。しかし、なんだかんだ暇を持て余すとソシャゲーの「今しかない」特別感、「今再開しないと限定キャラクターが手に何かに入らず追いつけない」焦燥感に負けてしまい、必死に追いつこうとまたいつものリズムに戻ってしまっていた。

しかし、現実での課題が山積みになっていく中で、これ以上現実逃避の手段としてゲームに時間を浪費していたらマズい…さすがに人間的に堕落してしまう…と、別の焦燥感を抱く様になり、昨年の後半に再度アプリをアンインストールした。
そして今回は、現時点で一度も再インストールしていない。
また、そうしたいと思う感情もないままである。

ソシャゲーから距離をおいて、改めて気づいた生産性のなさ。
むしろ、ただ時間的・経済的損失を繰り返しているだけということ。
その背景には、「終わりがない」特徴が挙げられると思う。
例えばDSのマリオは、一度ソフトを買って「全クリ」すれば、それ以上新しいものはない。毎月新しいイベントが開催されるわけでもなければ、制限時間内に何かを繰り返してポイントをためることもない。自分のペースで、ゴールに向かってゲームを楽しむことができる。明確な終わりがある為に、いつかは飽きてしまう。でもそれでよい。ソフトを購入した価格分、或いはそれ以上に楽しめれば、十分価値のある消費行動であったといえる。
しかし、ソシャゲーには終わりがない。新しいキャラクターの追加、イベントの開催、システムの変更、連続ログインボーナス、素材集めなどなど…
プレイすると決めた限り、永遠に目新しいものに出会うことができる。
(途中でサービスが終了してしまうことはあり得るが。)
これが一番の依存の原因だと思われる。

アメーバピグも、似たようなものであった。ソシャゲーといって構わないと思う。しかし、これら終わりのないソシャゲーはもうやめることにする。
「全クリ」のないゲームには、いつまでも「全体的な達成感」が存在しないし、運営側の都合に翻弄され続けるからである。
時間もお金も無駄になってしまう。

ソシャゲーに労力を費やしても、僕たちは一生満たされないのだ。
まるで、自己肯定感を他者の承認のみに頼って保とうとするように。
まるで、他者との比較優越にのみよって喜びを感じるように。
まるで、好きな人が振り向いてくれることをただ熱心に願うだけのように。

さようなら、ソシャゲー。




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