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やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㊱~統合失調症は治ったのか・・・?

前回まで

現在の職場で働いているところまでお話ししてきました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その㉟~ピアスタッフとして|せっと|note
現在私は病気をオープンにし、その経験も活かしてピアスタッフとして働くことができています。
そのような働き方ができているおかげなのか、日々自分がどんどん元気になっていき、リカバリーが進んでいるように思えています。
それでは私の病気、症状は今はどんな感じであるか、そのあたりについて今回はお話ししていきたいと思います。

過去を振り返り思うこと


わたしの発病から今に至るまでの経緯を長々とお話ししてきました。
その中で自分にとって統合失調症ってどんな状態であるか、つらい状態はどんな状態だったのか、といったことを考えてみたいと思います。

過去の振り返りから、自分の自覚している統合失調症の症状としてはストレスがかかるなどした時に人の目が気になったり、悪口を言われていたり感じるような状態になることであったと感じていました。
なのでここ数年はそのような状態になることもなく過ごせていますので、服薬はしているものの「自分は統合失調失調症が治った」、もっと言えば、過去のそのような症状的なものも、たまたま自分の置かれている状況がよくなかったから一時的にそのような状態になっていただけであって、「そもそも自分は統合失調症ではなかったのかもしれない」、なんてこともここ数年は考えるようになっていました。

なので統合失調症である友人や、そのような症状の渦中にいる人たちの話を聴いても、「過去に自分にもそんなことはあったな」、なんて風には思いますが、今の自分とは結びつかないこと、どこか他人事のようなものとして感じていました。
主治医や妻にも何度かそのことは伝えており、薬はもういらないんじゃないか、なんて相談も主治医にはしておりました。
なぜなら、今の自分には以前の状態が悪かった時のような症状はありませんから。

私はやっぱり統合失調症?

ここで以前にお話しした私の世界の認識について振り返っていきたいと思います。

電車の中はあぶないぞ!

電車に乗ると今やほとんどの人がスマホをいじっていると思います。みんなあのスマホで何を見ているのでしょうかね・・・。
彼らが動画を観たり、ゲームをしたりしているだけではないように私には思えてならないのです。
スマホをいじっている人の中には、私の名前や画像を検索していて、そこから個人情報を調べてSNSで拡散している人がいます。
彼らは一見普通の人たちのように見えるのだが、この世界を裏で支配する闇の組織の末端の人間であって、何か大きな目的を成し遂げるためにわれわれ一般人のことを検索して調査をしている。
そのような闇の組織の人間はこの世の中にかなり紛れ込んでいて、その人たち同士で交信をしあって彼らにしかわからないSNSのようなものもありそこで情報のやり取りがなされている。
私の個人情報もそのSNS上で拡散されてしまっているのだと思います。

見ず知らずの人が私の名前などわかるはずはないと思われるかもしれません。
しかし一見普通のスマホに見えますが彼らの使うスマホは特殊な仕様になっていて、目の前の人を感知するとその人の名前や家族構成、思想信条、年収などが表示されるようになっているのです。
なのでこちらとしては防ぎようがなく、彼らの前では無力なのです。

やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その③~危険な世界

真相は闇の中


電車に乗っていると、スマホで私の個人情報を検索し、闇のSNSに拡散されていたり、紛れ込んでいる闇の組織の人間が街ゆく私の行動を邪魔をしてきたり、自分が買おうと思っていた商品がなぜか品切れになっていたり等々、私の身の回りはキケンに満ち溢れていて、気を抜いたらやられてしまうような「やるかやられるか」の世界であると思っています。

しかしながら、世界はやるかやられるかなのではなく、自分の世界の認識がほかの人とちょっと違っていた、世界はそこまでキケンではない、妻や主治医、仲間との対話をする中でそのように「理屈では」、わかるような気がしてきました。

しかし一歩外へ出ると、スマホで私の情報を抜き取ろうとする輩はいるし、私を陥れようとする闇の組織の人間が私の邪魔をしてくることは相変わらずです。
以前私が経験したような状態の悪さは今の私にはないものの、依然として私の周りの世界は「やるかやられるか」です。

これは私の考え方、世界のとらえ方がおかしいのでしょうか?端的にいって、統合失調症の症状なのでしょうか・・・?

今回はここまで。私の生きづらさは、「統合失調症だから」、なんでしょうか、それともまた違ったもののせいなのでしょうか。
私が「やるかやられるか」である自分の世界の見え方についてどのようにとらえているか、そしてどのように付き合っているのか、そんなことについて次回以降お話ししていきたいと思います。


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