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やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑨~自分だけ?

他の人にも聴いてみよう


前回の投稿で、やるかやられるかの世界を生き抜くための私の対応方法を妻と一緒に振り返りました。
やるかやられるかの世界を生きる~統合失調症である私のサバイバル術その⑧~当事者研究|せっと|note
今回は、当事者研究の中で、ほかの人にはどういった感じに世界が見えているのか、話を聴いてみました。

そのことによって、自分の世界の見え方や私の生きづらさについてある程度浮かび上がらせることができたように感じます。
今回はそのあたりの話についてまとめてみました。

主治医と話をしてみる


「世界はやるかやられるかである」、と思っていることを、長年病院にかかってきながら今まで主治医に話したことはありませんでした。その理由については、私が自分が生きている世界について、その見え方について、統合失調症という自分の病気と関係があるとは全く思っていなかったからです。

今回初めて主治医に自分の世界観についてお話ししてみました。主治医はじっくり話を聴いてくださり、私がやるかやられるかの緊張感の高い世界で生きていることについて理解は示してくださりました。

ただそのうえで世界はそれほどキケンなものではないということをお話ししてくださいました。その一方で、長年そのような世界で私が生きてきていることから、「世界がやるかやられるかではない」、とわたしが認識したとしたら大きなパラダイムシフトが生じるであろう、つまり私の世界観ががらりと変わるとしたら大きな戸惑いは生じるのではないかと話してはいたものの、生きやすくはなるのではないかということをお話ししてくださいました。

統合失調症の診断を受けている仲間に話を聴いてみる


統合失調症の診断を受けている仲間の場合はどうだったか、話を聴いてみました。2人とも私の話を真剣に聞いてくださいました。そのうえで世界の見え方には共感してくださいました。
ひとりの方は同じように自分が攻撃をされているように感じたといいます。ただそのことにについては、病気の本を読んだ事でそれは症状だとわかったと話してくださいました。なので本を読んだり、ほかの人の話を聴いてみたりするといいかもしれないとアドバイスをしてくださりました。

また、もう一人の方はやるかやられるかのようには世界は見えているわけではないようでしたが、「自分も外に出るとアンテナがたくさん立ってしまって、いろいろ(人の思いなどを)ひろってしまう」、「車のナンバーなどに注目してしまい、いろいろと意味を考えてしまう」、とわたしと同じように感じていることを話してくださいました。

自分は統合失調症なのか?

主治医の話、二人の仲間の話を聴いてみて、自分の世界の見え方がほかの人とは違うのかもしれない、という風に思い始めました。
ただ主治医にしても、仲間にしても、私の話を聴いて「統合失調症の症状ですね」、とばっさりと切り捨てることなかったのが私にとっては救いであったように思っています。
私の中で、世界がやるかやられるかに見えていることは統合失調症の症状とは関係がないと思っていたものですから。

統合失調症と診断され20数年が経ちます。入院も経験してきましたし、ひきこもっていた時期もありました。
次回から私が統合失調症だと思っていた症状について、どのように発病しどのような経緯をたどってきたかについてお話ししていきたいと思います。
そのうえで私が「統合失調症だと思っていた」、症状や状態について明らかにしていけたらと思っています。

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