見出し画像

Right, there is nothing …… 023

_オロナ◯ン

 この「オロナイン」を患部にぬるときに、「オロナミン」ぬるわぁ、とつぶやくと、関西のひとはたいてい「オロナミンちゃうって、オロナインやぁ」とツッコミが入れてくるのだけど、関西以外のひとだと「えっ、いまなんて言った、もう一度、言ってみて」みたいな返しがくる。あ、きめつけはいけませんよね。たとえば、の話です。

  ええっと、そんなことを書こうとしていたのではなくって、じつは、ひとを感動させるとか、泣かせるとか、笑わせるのって、そんなにたいしたことじゃないのでは、ということなのです。

 えっ!

 またとんでもない誤解を書いているとか、そんなバカな、と思われる方もいらっしゃるかと思いますけど。

 すこし極端な書き方になりましたが、もちろん、感動させたり、泣かせたり、笑わせたりは高度なテクニックが必要となりますが、ある程度は、なんといいますか、テクニックの領域なのですね、と言いたいわけです。

 あくまで極端な書き方なので、そのへんご理解いただけたら、と。

 私は、感動させたり、泣かせたり、笑わせたりするというコミュニケーション、こちらからあちらへとどけるフォームよりも、じつは、こちらでなにがあっても鎮座している " なにもの " かの方が、つまり、最後は、この " なにもの " かの差がクリエイターの差なんじゃないかと思うわけなのです。

 コミュニケーション(感動させたり、泣かせたり、笑わせたり、、)のテクニックを磨き、こちらからあちらへの心配り、あちらの気持ちをおもんぱかることの修行を経たうえでの決戦は、ここにあるのではないか、と。

 便宜上、その " なにもの " かを「オロナイン」ということにするけど、この「オロナイン」の純度の差、いいかえれば、「オロナイン」がなければ、これクリエイターの話ですけど、やはり、やっていけないのではなかろうかと、レベルの高いところではと、そう思うのです。

 コミュニケーションのぶぶんでは、あれとかこれとか、いろいろな手法をためしたりすることで上達してゆき、そのほうが前向きな姿勢なのだろうけど、「オロナイン」はどう死ぬまで自分に素直にうそをつかずに表現に取り組むかだと思う。そこそこをねらうのなら関係ないかもしれないけど、より高いレベルをねらうのなら「オロナイン」をいつも持っていないと。

 で、この「オロナイン」って、なんだろうか、と考えたわけですが。

 いいのが思い浮かばない。よく耳にする言いかただと、人間力とか、個性とか、その人だけのものなのだろうか。効果的なプロモーションをかんがえるとキャラづくりは大事だけど、キャラがあるうえでも、最後は「オロナイン」なんだと、そう思う。

 いいかたは、べつに「オロナミン」でもいいのだけど。

2011年1月29日 セサミスペース M (Twitter


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?