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今、孤独で苦しんでいるあなたへ(1)~わたしが鬱になった~

2013年頃から7年間、わたし自身が鬱状態だった時の経験を綴ります。

まさか自分が鬱病になるなんて、全く想像もしていませんでした。
思ったこともありませんでした。
けれども、あとから振り返ってみると、そこに繋がる点はたくさんあり、
結局わたしは、自分自身に無理をさせ、負担をかけすぎていたのだと理解できます。
わたしの場合、鬱に落ちる可能性は、長い時間をかけて準備されていったのでした。
そして、最終的にわたしの心が折れるきっかけになる出来事があり、鬱の穴に落ちたのです。

鬱状態はとてもつらいです。
心も体も、いつも何かずっしりと重いもので覆われているような感じがあり動けない。動きたいという気力がない。起き上がれない。
何もしたくないのではなくて、
「何かをする」という一切の気持ちが消滅してしまったような感じでした。
全てのものへの興味や関心が消え、心のスイッチが完全に切れて動作をしなくなり、何を見ても、何を聞いても、心が全く反応しない。
そんな状態でした。

その時長女は中学1年、下の息子は小学4年生。
ここに書くことも憚られるのですが、
子供達に対する愛情さえ、湧いてこなくなっていたのです。
感じないのではなくて、感情が空っぽでした。
「わたしは壊れてしまったのだろうか」
「わたしの中から、感情というものが消滅したのだろうか」

ただ布団にくるまって横になりながら、
「このままの状態で、あとどのくらい人生が続くのかな。先は長いな」
そんな風に思っていました。

鬱は心の強制停止ボタンだと思います。
これ以上今の状態を続けたら、その人の危機なのだと思います。
だから、生命維持機能が、もうその場で無理をさせないように一旦停止をしてしまう。

わたしがそうなった原因は「長い時間をかけて準備をされていった」
と書きました。
ひとつひとつお話しするには情報が膨大なので割愛しますが、
わたしは何か出来事が起こった時に、気持ち、感情、思いなどを含む全てのことで、自分自身のケアを一切せずに、周りへの対応を優先していました。
自分のことは、いつでも何とかできる。まずは目の前の誰かのことを優先しなくては。そう思い続けてきました。
目の前の誰かとは、家族です。

例えるなら、ケガをした時に、自分の手当てはせずに、相手の手当てだけを全力でし続けて、再び自分がケガをしても、これはただの切り傷だから大丈夫、あとで何とかできる。と誰かのケガの手当てに走り回る。
そんなことを繰り返してきたのです。

これはわたしがいい人です。とか、家族のことを考える優しい人です。
と言っているわけではありません。

わたしは、とても心配性だったのです。
こと家族に関しては、特に。
夫や子供達はもちろん、わたしの親や、義両親や、自分にとって大切な人達が大変な状況だったり、悲しんだり、困ったりしている姿を見るのがとてもつらい。
家族には、笑っていてほしいし、幸せでいてほしい。
だからその為に頑張り、奔走し続けました。
まぁ、これはそう珍しいことでもないかとも思います。
勝手な予想ですが。

父の死、息子の不登校、夫の失業、長女の健康のこと、義両親の死など、数年間の間に大きな出来事がいくつも起こり、その都度対応をしながら、家族に寄り添ったり、そこへわたし自身も人間関係で壁にぶつかったり、抱えきれないほどに色々なことがありました。
でも、これらが起きたことがわたしが鬱になった直接の原因ではありません。
家族に問題が起こった時に、そのことに対応しながら、わたしもとても苦しかったり、辛かったりするわけですが、家族のケアや問題解決が最優先で、

(1) その苦しい自分自身の精神面のケアを一切しなかったこと。
   自分の気持ち、感情を後回しにし、そのままにしたこと。
   その余裕もなかったこと。
(2) その苦しさを、身近な誰にも言えなかったこと。
   一人で抱えていたこと。
(3) 一人だけ、少し話を聞いてもらっていた人がいたけれど、
   信頼していたその方の一言で傷つき、心が折れ、
   その方への信頼が消え、精神的に完全に孤独になったこと。

主にこの3つが原因だったと思います。
特に(3)は決定打でした。
しつこいですが、それを言ったその方が原因ではありません。
それでわたしの気持ちが完全に「孤独」になったことがとても大きかった。
悲しくて、ショックで、傷つき、絶望を感じました。
絶望を感じたくらいなので、かすかにあったかもしれない
一縷の望みが消えたのでしょう。
その後から起き上がれなくなり、鬱の穴に落ちました。

もし今、精神的にキツイと感じる状況にある時、
まずご自身の心の健康と安全を優先してほしいです。
いや、そんなこと言ったって、と思うかもしれませんよね。
わたしも、つらい、キツイ、苦しい、と感じながら、
動くことを止めず、誰かに頼ることもできなかった。
そして心は、突然にパタリとスイッチを切りました。
どこか、誰か、あなたの話をそのまま聞いてくれる人はいるでしょうか。
あなたを励ましたり、ガンバレと言ったり、元気づけてくれる人ではなくて、ただただ、あなたに寄り添い話を聞いてくれる人。
話せてよかった。ホッとした、となる人。

わたしのように、限界まで走らないでくださいね。

Love & Peace,

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