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答えは本人の中にしかないよね

一昨日の夕方。
洗濯物をたたみながら私は息子と話していた。
というか、私が一方的に話をし、息子はちょうど食べようとしていたものをスプーンで口へ運びながら、視線は下に落としたまま黙って話を聞いていた。

息子には〝朝起きられない〟という弱点がある。
特に中学生以降、この弱点は改善どころか強化され続け、彼の学校生活には致命的。
中学、高校は、毎朝ギリギリで登校ならばましで、度々遅刻。
その数が多過ぎて、担任からもよく自宅に連絡がきた。

この起きられない問題、どうしたものか……
以前から息子本人も頭を抱えている。
これは生活習慣というより、体や体質に何か原因があるのではないか? と思ったりもするが、どこに相談すればいいのかもわからない。

そしてそれは大学生になっても変わらない。
入学の一年目だった昨年、息子は殆ど授業には出席しなかった。
結果成績は散々で、今年度からはかなり頑張る必要があるようだ。

本人も履修登録をしながら、今年はマジでやばいと言っていた。
が、蓋を開けてみると昨年と同じ。
私も息子に頼まれているので、朝、声をかける。
それに返事が返ってきても、ベットに起き上がる姿を見届けても、後できくと本人はそのことを覚えていないという。重症だ。正直私も疲れた。

そもそも本当に大学に通いたいと思っているのかな。
この人、大学に行きたくないのではないのか。
あまりの行かなさに、そう思うことがあった。
本当に行きたいのなら、行かなければと思っているのなら、遅刻ギリギリでも起きてくるのではないか?
それだけではなく、大学生になってから息子の生活はめちゃめちゃだらしがない。

4月になり、やばいと言いながら昨年と変わらない生活をしている息子と、もう一度進路について話をしたいと思った。
息子の意志を確認したかった。
そして冒頭の場面。

これから大学に通い卒業する意志があるのか、どうしたいのか。
大学は完全に本人の意志だということ。
親として子供がやりたいことは可能な限りサポートしたいと思っている。
けれど、本人がやりたくなかったり、やらないのならば、そこにサポートは必要ないと思う。

などを親の考えとして伝えた。
私も息子に対して「いい加減にしろ」と思っている部分もあり、そこから話しているので、言葉も口調も冷たい。

一通り話したあと、これをきいてどう思う?
と息子に訊いてみた。

黙ってスプーンを口に運んでいた息子が言った。
「ずっと考えていたんだけど、休学したい」
(なんと?!)
入学当時から、在学中に休学して海外に行きたいとは言っていたけれど、今ここでそうくるとは想定外だ。

ポツリポツリと息子が続ける。
「大学入る前は、ウチの大学の今の学部に入れば
 やりたいことが勉強できると思って
 凄い面白そうだったんだけど、
 入ったら思ってたのと違った。
 楽しみだった授業も本当につまらなくて
 大学入って、漸くやりたいことが
 勉強できると思ってたけど相変わらずだった。
 このままだと今年も行く気にならなくて
 多分留年する。
 でも、卒業は絶対するって決めてるから、
 やめる選択肢はない。一年休学したい」

そして、息子にはやりたいことがあって、まずはそれを独学でいいから勉強したいということだった。

大学にオレのやりたいことはなかった。
ということか。
まあ、そんなこともあるだろう。

一旦休学して、やりたいことに関わることで落ち切ったモチベーションを取り戻し、崩れた気持ちや態勢を立て直したいというのもあるのかもしれない。(これは私の想像)

聞いてみないとわからないものだ。改めてそう思った。
大学に行きたくないんじゃあないの? とは思っていたけれど、選んだ道にそこまで違和感を感じていたとは知らなかった。

小さい時から〝やりたくないこと〟はとことんやらない人だ。
ブレずに自分の気持ちにもの凄く正直に生きていると思う。

「中学や高校の科目は面白いのもあったけど、オレには必要なくてつまらないものがホント多かった。
だから大学に行ったら、やっとやりたいことを授業で受けられるのが楽しみなんだよ」

そうだ。昨年、受験が終わった時にそう言っていたのを思い出した。

それで高校生活を終えて、ワクワクして入った大学でガッカリして、でも取り敢えず通おうと思ったけれど、行けば行くほど興味を失い足が遠のく。
そんな感じだったのかもね。

イヤもうホント、マジですか? と思う。
あーなんでスムーズにいかないのか。早いとこ自立してくれ。

そう思う私がいる。

でも、子供達には本当にやりたいことに出会って欲しいし、人生を存分に楽しんでもらいたい。
〝やりたくないこと〟を止めるのは
〝やりたいこと〟へ方向転換する為の大きな舵きりだと思う。
いいぞいいぞ、やりたくないことは無理してするな。
自分で責任がとれればいいではないか。
人がどう思うかではなくて、自分がどう感じるか。それが一番大事。
自分に正直に生きればいい。

という私もいる。

息子にとって大学の授業がどのくらいつまらなくて、どのくらい興味がわかないのかは、私にはわからない。
私にとって食事の支度をするのがどれほど苦痛なのか、誰にも理解されないように。


ふと、スティーブ・ジョブズの話を思い出した。

大学入学後、興味のない必須科目を履修するのが嫌で、わりと直ぐに大学をやめている。
養子だったジョブズは、決して裕福とはいえない育ての両親が、自分の為に貯めた学費を無駄に使うのが嫌だったそうだ。

でも、中退した後も大学のキャンパスをウロウロし、カリグラフィーなど興味のあるクラスを聴講する、もぐりのちゃっかり学生としてしばらく過ごした。
その時に学んだカリグラフィーの知識が、その後のアップルコンピュータに生かされることになった。

確かそんなような話だ。

そしてジョブズは言っている。
「好きなことをやれ」と。

そうやって生きて、その先にあるものを実際に体験したからこその言葉だろう。

そんなわけで、やりたくないことはやらない息子19才は、これからどんな人生を生きるのか。
休学して生活がどう変わるのか。ちゃんと起きるのか。何時に起きるのか。
ジョブズに対して母のこだわりは小さい。

いずれにしても、息子のこの選択もそのうち一つの点になる。
今までもそうだったように、いつか振り返った時に、
「ああ、あの点はこの道に続いていたのか」
となるだろう。
そのドラマを私は横で見続けるのだ。

私も言ってみようかな。
「食事の支度、もうしたくないです」

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

今日も幸せな一日でありますように!


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