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なんとなくわかる経済学の「効用」(兼:あらB.fm Ep.71の内容の訂正)

あらB.fm  Ep.71出演時の反省点

本記事は、あらBさん(@ark_B)の主催するじゆうちょうアドベントカレンダー2022に、昨年度に続き寄稿させていただくための投稿です。いつもお世話になっております!

さて、今年の8月と12月に、あらBさんが更新していらっしゃるポッドキャスト番組、あらB.fmに出演しお話させていただく機会がありました(Ep.71 Mainstream and HeterodoxEp.78 What are we born for and what do we do to live)。8月にはじめてゲストとして出演させていただいた際(Ep.71)の前半のトークでは、私の大学での専攻である経済学史(経済学説史/History of Economic Thought)についてもおはなしさせていただいたのですが、念願のあらB.fmに初出演する緊張感+自分の好きなことについてオタク語りをするとき特有のハイテンション+経済学のことをあまり知らない視聴者の方にも伝わるような説明をしなければというプレッシャー →自分が何を話しているのかもよくわからないままかなりフワフワ状態で話してしまった という節があり、何箇所か間違った(あるいは間違ってはいずとも、専門知識を持った方が聞けばやや説明が適当すぎると思われてしまう)ことを言っている部分があったり、細かな用語の言い間違えがあったりと、後から自分で聞き返すと赤面してしまうような点が残ってしまう内容となってしまいました。

とくに、フォン・ノイマン絡みの話題(38:30ごろ〜)は、後から聞きかえすとなかなか間違ったことを言っていてかなりやらかしちゃっていました。本記事では「期待効用理論」について、あらB.fmで私が話してしまっていたかなり適当な説明と比べれば、ある程度しっかりとした説明をさせていただくことで、トークの補足ができればと思います。

加えて、あまり地に足のついていない高揚感のなかであらBさんと楽しく経済学について語りすぎてしまったきらいもあり、結果的に、経済学についてあまり知らないほとんどのあらB.fmの視聴者さんにとってはかなり聴きづらい内容になってしまったという反省点も残りました。とっても盛り上がった経済学の「効用」概念についてのトークなどでは、せめて最初にそもそも「効用」概念とは何かという説明を軽くでも述べておくべきでした…。

全体的に非常に楽しくあらBさんとくだを巻くことのできたEp.71での出演でしたが、前半の経済学史トークについてはこうした反省点が残ってしまっており、どこかで挽回のチャンスはないかとモヤモヤしていたところ、今年もじゆうちょうアドベントカレンダーを開催してくださるとの情報が!

ということで、本投稿は、あらB.fm Ep.71前半の経済学史トークにて私がやや雑に話してしまった内容を、経済学のことをあまり知らない!という方にも可能な限り理解していただけるよう補足することを目指して書かれています。大雑把な内容としては、①(あらB.fm内でめっちゃ語ってた)「効用」とはなんぞや? ②効用についてちょっとした補足 ③ノイマン&モルゲンシュテルンの期待効用理論 という構成になっています。ただし、細かな知識には可能な限り触れずに、「なんとなく」どういう話なのかということをニュアンスで伝えることを目的としている点にご注意ください。

そして、あらB.fm内でも話していますが、経済学という学問の良さやその扱う内容の広さ、さらにはその学問の歴史を振り返すことでもたらされる深みを、少しでも多くの方伝えられたら嬉しいです。

もちろん、経済学の歴史を知ることだけでは、現在の経済学がどのようなことをやっていて、どのような成果を出しているのかを完全に理解することは難しいかもしれません。しかし、この投稿を通じて、少しでも「経済学」という学問の背後にある文脈や、人類がこれまでどのようにして私たちの「社会」のなかにあるお金や、食べ物や、サービスや、労働といった諸要素について考え、理解しようとしてきたのかということについて、非常にざっくりではありますがなんとなくの雰囲気を知っていただき、その面白さを感じ取っていただけたら幸いです!

いくつかのことわり書き&文献案内

本題に入る前に、やや細かいことについて補足させていただきます。あまり興味がない方は読み飛ばしてください!

(他のほぼ全ての学問の起源と同じように、)「経済学 Economics」の起源は遡れば今から2300年以上前、古代ギリシアの哲学に求めることができます。古代ギリシア語には都市ポリスpolisとオイコスoikosという区分があり、そのうちオイコス規範ノモスを合成した語として、「オイコノミア」すなわち家政術が考えられていたのです(一説によれば、この語を最初に用いたのは哲学者のクセノフォンであり、このことから時折彼は「最初の経済学者」とさえ呼ばれます)。

クセノフォン(紀元前430〜355)HET Websiteより

この区分は『政治学』を著したかの有名なアリストテレス(紀元前384〜322)にも見られ、(都市ポリス、すなわち多数のオイコスが集まった共同体内における)「政治」を扱う学問としての政治学ポリティクスと、「家政オイコノミア」を扱う学問としての経済学エコノミクスの根っことなっています。

アリストテレス(紀元前384〜322) HET Websiteより

このように、人間はずっとずっと昔から、自分たちの生きる「社会」におけるモノの流通や人間の労働、つまりその「経済的」な側面についていろいろなことを考えてきました。そう考えると、人類のそうした知的な活動の累積の歴史としての「経済学史」(この場合は「経済思想史」?)が扱う領域は非常に広く、長いものですし、そうした先人の知的な活動の熱気に触れ、自分の頭で現在の社会や経済について考えるさいの糧とすることのロマンが経済学史の面白さでもあります。

本当ならば、本投稿ではその楽しさ、経済学(と経済学史)の素晴らしさを全力でプレゼンしたい!!というのが私の本音です。

しかし、紙幅と私の能力の関係から、古代ギリシアから2022年までの経済思想の歴史を説明し、それぞれの時代に芽生えた多種多様な経済学説の面白さを逐一語ることはできません。諦めます。せめて、ここで最初に弁明するぐらいのわがままは許してください。

また、本投稿でこれから扱う内容についても、「ざっくり書く」ことを目的とした試みのため、内容の正確さや緻密さはわりかし犠牲になっていることをご了承ください。責任逃れのようになってしまいますが、本投稿を読んで、よりしっかりと体系的かつ包括的に経済学史に触れたい!と思ってくださった方に向けて、本投稿よりも遥かにしっかりとした内容の文献をいくつか紹介いたします。ぜひ、参考にしていただけると幸いです。

坪井賢一『これならわかるよ!経済思想史』ダイヤモンド社
:一般の読者やビジネスマンの方に向けた入門書という雰囲気で、「経済学を手軽に楽しむ『最初の1冊』として」書かれたということもあり非常に読みやすく作られていますが、内容はキャッチーさ優先でそれほど包括的ではない、という印象です。本投稿よりも詳しい内容に触れたいけど、小難しい記述が多すぎると頭が痛くなる!という方にオススメです。
木村雄一・瀬尾崇・益永淳『学ぶほど面白い 経済学史』晃洋書房
:今年発行された本です。大学の経済学史の講義の教科書として書かれていますが、イラストや図表も多く、一般の方にも読みやすい内容となっています。内容は体系的で、教科書らしく細かな知識も扱っていますが、重商主義以前の経済思想や行動経済学/実験経済学など、ほとんど触れられていない内容もある印象です。
野原慎司・沖公祐・高見典和『経済学史』日本評論社
:大学の講義用の教科書で、比較的最近発行されたため、最先端の研究なども取り入れられています。内容も、古代ギリシアの経済思想から始まり非常に包括的ですが、細かな知識にも触れており図表等も少ないため②以上に「教科書的」で、基礎知識の少ない初学者の方には読みにくいかもしれません。
瀧澤弘和『現代経済学—ゲーム理論・行動経済学・制度論』中公新書
:現代(20世紀後半以降)に新しく出現したような経済学を中心に、その歴史的な背景や何が「新しい」のかを解説した本です。新書なので読みやすく、解説も的確かつ丁寧なのでオススメですが、②③のような包括的な教科書とは違い、限られた分野についての歴史を扱ったものです。本投稿の内容をちょうど補足するような本として、最適な気がします。
松原隆一郎『経済学の名著30』ちくま新書
:日本における経済学説史研究の第一人者による、経済学の著名な古典の内容を解説した新書です。扱っている思想家の幅も広く、すべて簡潔にまとめられているためわかりやすく読みやすいです。「経済学」にもいろいろな考え方や流派があるということが一冊でわかる名著だと思います。

「効用」とはなんぞや?

ポッドキャストでは、かつて大学時代に経済学を勉強したときに「効用 Utility」という概念の意味がよくわからなかった、というエピソードをあらBさんがしてくださり、そこから経済学の「効用」についてのトークが盛り上がりました(33:40ごろ〜)。その際に私がどのような話をさせていただいたかはぜひ本編を聴いていただくとして、本記事ではそこで欠けていた「経済学における『効用』とはどのような意味の概念なのか」というそもそもの内容についての説明をさせていただこうと思います。まずは、簡単ではありますが、(ミクロ)経済学の基本的な理論において「効用」というのがどのような意味か、そしてこの概念がどのような歴史を辿ったのかについて書かせていただこうと思います。

価格決定メカニズムを解明するために、需要関数の仕組みが知りたい!

19世紀後半の経済学では、のちに「限界革命」とよばれる大きな理論的な革新が起こりました。この出来事によって、いわゆる「古典派」と呼ばれる経済学者(「経済学の父」と呼ばれているアダム・スミスなど)の理論ではなく、現代大学の経済学部の1年生が習うような経済学の理論、いわば「ミクロ経済学」に近い内容の研究が行われるようになりました。経済学の理論的研究に数学的手法が多く用いられるようになったのも、おおよそこの頃からです。(この出来事の細かな内容については、わかりやすくまとめられているこちらのウェブサイトなどに紹介を委ねさせていただきます。)

さて、初期の経済学には、大きな問いとして「モノの価格はいかにして決まるのか」という研究テーマがありました。私たちは普段、最も身近な「経済現象」として、モノを決まった値段で買ったり売ったりしています。なんとなく、塩おにぎりだったら100円から110円ぐらいだろうとか、車だったら(物にもよりますが)200万円ぐらいはするだろうとか、私たちの社会では商品(=財とサービスの総称)に応じておおよその価格が定められていますが、これはどのようなメカニズムで定まるのだろう?ということです。

価格とは、言い換えればその商品が人間の社会において有する価値をあらわす数値です。限界革命の前の経済学(古典派経済学)では主に、モノの価値はそれを生産するために投下された労働の量によって決まると考えられていました(労働価値説)。しかし、限界革命によって、この考え方は棄却され新たな「価値」の概念が導入されることとなります。すなわち、価値は労働(つまり商品を生産するためのコスト)ではなく、買い手側の主観的な評価によって決まる、という考え方です(主観効用価値説)。限界革命以降のこの価格にかんする考え方を、簡単にですが説明します。

「価格はいかにして決まるのか」という問題を解き明かし、商品の価格決定に関する一般的な理論を構築するために、経済学者は「売買」という経済現象には二つの主体、すなわち売り手と買い手が登場するという事実に目をつけました。ある商品(例えば塩おにぎり)が売買される場所(「市場しじょう」)を考えてみましょう。そこにはたくさんの売り手がいて、皆それぞれ心の中で「◯◯円以上の値段でなら売りたい」というラインを持っています。また、そこにはたくさんの買い手もいて、皆それぞれ心の中で「××円以下の値段でなら買いたい」というラインを持っています。二つの陣営の「ライン」が一致する場所、それが均衡価格(=実際に決定される価格)となるはずです。そして、売り手(=塩おにぎりを供給する人々)の評価価格を表現するのが供給関数、買い手(=塩おにぎりを需要する人々)の評価価格を表現するのが需要関数です。

塩おにぎり市場には、無数の塩おにぎり供給者と無数の塩おにぎり需要者がいるとします。それぞれの供給関数と需要関数が上の画像のようになるなら、塩おにぎりの均衡価格は二つの関数が交わる点pの縦軸の座標(=100円)です。たとえば、塩おにぎりが90円で販売されたらどうなるでしょうか?90円でも売りたい人の数(=点aの横軸の座標)は少なく、90円なら買いたい人の数(=点bの横軸の座標)は多いです。この時、塩おにぎり市場はいわゆる「需要超過」の状態となっているため、供給側は「もっと高くしても売れるな」と考えて均衡価格p(100円)まで価格を上げることとなります。詳しくは、ミクロ経済学の入門書を参照するか、「価格決定理論」などとネットで検索してみてください。

したがって、経済学者がモノの価格が決まるメカニズムを知るためには、さらにそのモノの供給関数(生産者が商品を生産する仕組み)と需要関数(消費者が買う商品を決定する仕組み)がどのようにして社会において定まるのかを知らなければならない、ということになります。前者を考察するのが生産者理論、後者を考察するのが、(今回大事になる)消費者理論です。

「合理的な選択」の理論としての消費者理論

私たちは普段なにげなく、お金を使って物を買っている消費者です。私たちが用いることができるお金(=予算)は限られていますから、欲しい物を何でもかんでも買うわけにはいきません。したがって、消費者は必然的に何を買うか、買わないかという選択を行うことになります。あるひとりの消費者は、どのようにして何を購入するかを選択するのか、その仕組みを論理的にモデル化して考えるのが消費者の理論です。

そこで、経済学者はいくつかの仮定をもとに問題を単純化します。まず、消費者はおそらく何かを考えて選択をおこなっている(=完全にテキトーには買い物おこなっていない)という前提を立てます(これがないと、そもそも消費者が何を買うかは完全な”気分”の問題になってしまい理論もクソもありません)。では、消費者は何を考えて選択をしているのでしょうか?

ここで、経済学では「消費者は自らの効用を大きくすることを目的として選択をしている」と仮定します。効用(utility)とは、商品(財・サービス)を購入することでその人が得られる主観的な満足度(喜び/幸福感/満腹感…などの総称)のことです。たとえば、「Aさんはみかんよりもりんごの方が好き」という言葉を経済学的に言い換えれば、「Aさんがりんご1個から得られる効用はみかん1個から得られる効用よりも大きい」という表現になるでしょう。
この表現と仮定を取り入れると、理論的には、消費者の「合理的な選択」とは、その消費者が得られる効用を最も大きくする選択になります。したがって、消費者が買い物の際に購入する商品を決定するメカニズムは、使うことのできる予算の範囲内で自らの効用を最大化するという問題に帰着します。これを、「予算制約条件つきの効用最大化問題」と言います。

【予算制約条件つきの効用最大化問題の簡単な例】
タカシさんがチューハイ1缶から得ることのできる効用は、ビール1缶から得ることのできる効用より大きいとします。たかしさんが今消費することのできる金額(=予算)は150円です。今、タカシさんは1缶130円のチューハイを買うか1缶150円のビールを買うか悩んでいます。タカシさんが合理的な消費者ならば、どちらを買うでしょう?

もちろん、この問題の答えはチューハイです。150円という予算制約の中でたかしさんができる選択は「チューハイを1本買う」か「ビールを1本買う」かですので、二つの選択肢のうちより効用が高い方(=効用を最大化する方)を選ぶのが合理的、ということになります。

実際のミクロ経済学では、たとえば予算が1000円だったら?とか、タカシさんは1本目のチューハイは1本目のビールよりも好きかもしれないけど、2本目のチューハイは(もうすでに1本同じ味のものを飲んでいるがために飽きがきているかもしれず、)1本目のビールよりも効用が高くないのでは?とか、色々なことを踏まえつつこの「効用最大化問題」をより精密に解いていくことになります。いったん、今回はそこは本筋ではないので飛ばさせていただきます(興味がある方はミクロ経済学の入門書や、「効用最大化問題」「限界効用逓減の法則」などの用語のネット検索結果を参照してください)。

とにかく、エッセンスだけをかいつまんでいえば、限界革命後の経済学者は「消費者の買い物」という現象を論理的に描写するために、「効用」(≒商品を買ったときの満足度)という概念(変数)を導入し、「消費者は効用最大化問題を解くことで自らの消費するものを決定している」という仮定に基づいたモデルを分析しました。この意味で消費者の理論とは「合理的な選択」の理論であり、「効用」はその理論を成立させるための重要な概念だったのです。

この仮定に対して、色々な疑問が出てくる方もいるかもしれません。
確かに私たちは物を買うことで何らかの満足感を得ているけど、実際には他にももっといろいろなことを考えているよ!効用最大化だけを考えて物を買う消費者なんて現実にはいないよ!そもそも「効用」とか「満足感」とかって、目に見えない心の中の感覚に過ぎないから、具体的にどういうものなのかわからないよ! といった具合でしょうか。たとえば、先ほどの例でも、現実にはタカシさんは「お釣りが出るのが嫌だから」という効用最大化以外の心理が働き、予算をピッタリ使い切ることができるビールを選択するかもしれませんね。

このような疑問が、実は20世紀、21世紀を通じた経済学という学問の発展/多様化と大きく関わってくることとなります。もっとも、この点やこれに近い内容についてはあらB.fm Ep.71内や過去の投稿で触れているため、字数の関係上今回は多くは掘り下げません。ひとまず、ここではいったん、効用という概念とその有用性を認めるとして、話を先に進めさせていただきます。

「効用」概念のアレコレ

序数的効用と基数的効用

あらB.fm内でも簡単にお話しさせていただきましたが、込みいった話題に入る前に、まずは序数的効用と基数的効用という二つの概念を軽く紹介します。

消費者理論を支える効用という概念は、それが順序であるということが決定的に大事です。すなわち、たとえばりんごとみかんや、チューハイとビールとの間に順位づけができる、という意味です。

【補足】順序を形成することができる他の概念として、たとえば「高さ」や「年齢」などが挙げられるでしょう。テクニカルな話をすれば、ある二項関係が順序(ものすご〜く厳密に言うと「弱順序」)であるためには反射性、完備性、推移性という三つの条件が要求されます(詳しい解説は省略)。じゃんけんのグー/チョキ/パーについて、「〜よりも伸ばしている指の本数が多い」という関係性は順序ですが(※チョキはグーより多く、パーはチョキより多い。必然的に、パーはグーより多い)、「〜に勝つ」は順序ではありません(※グーはチョキに勝ち、チョキはパーに勝つ。しかし、「必然的に、グーはパーに勝つ」とは言えない=推移性を満たさない)。

逆に言えば、効用は、対象となる選択肢の順序を出すために用いることさえできればよいということになります。チューハイのほうがビールよりも効用が高い、ということさえ言えれば、(価格等の条件が同じなら)チューハイを買う(=チューハイをビールよりも選好する)だろう、という大事な情報はわかるわけです。このような、選択肢缶間の順位をつけるような効用概念のことを序数的効用(Ordinal Utility)と言います。

一方で、単に順位がわかるだけではなく、それぞれの選択肢の間の差も大事なんだ、という場合、より情報量の多い効用概念を考えることができます。これを基数的効用(Cardinal Utility)と言います。「基数的」というのは、要するに「数字の」という意味です。たとえば、基数的効用を用いれば「タカシさんはチューハイから60の効用を、ビールからは50の効用を得る」のような記述が可能になります。実際にはチューハイ100のビール10かもしれませんし、タカシさんが下戸げこならチューハイ1でビール0.5だがコーラは100、とかかもしれません。基数的効用では、単に「どっちの方が好きか」ではなく、具体的な値として「どれくらい好き(嫌い)か」までもが表現できる、というのがミソです。

しかし、私たちの多くは「りんごとみかん、どっちが好き?」という質問にはおそらく答えることができますが、(仮にりんごと答えたとして)「数字で表すと、りんごはみかんと比べていくつ”好き度”が高い?」などと尋ねられても答えられないはずです。この事実が端的に表すように、基数的効用概念にはいくつかの問題点がありました。ここでもやはり細かな歴史は省かせていただきますが、19世紀末〜20世紀初頭の経済学者の多く(いわゆる「主流派」と呼ばれる人々)は基数的効用概念を捨てて、序数的効用を採用することとなります。

ヴィルフレド・パレート(1848〜1923)HET Website より
消費者選択の理論に「序数的効用理論」を定着させることに、大きく貢献しました

かくして、経済学では効用の大小によって形成される選好の順序を基準にして、消費者の選択はなされるという考え方を基本とした消費者理論が構築されてゆくこととなりました。

序数的効用の理論だけでは説明できないこと;リスク下での意思決定

序数的効用に基づく選好順序の問題の、簡単な例題を紹介します。あまりにも馬鹿馬鹿しいかもしれませんが、試しに考えてみてください。

ケンジさんはブラックコーヒーよりもミルク入りのコーヒーの方が得られる効用が大きい、ということがわかっている。今、ケンジさんの目の前には1杯のブラックコーヒーと牛乳がある。さて、ケンジさんはコーヒーをブラックのまま飲むか、牛乳をコーヒーに入れて飲むかだったらどちらを選択するだろう?

考えるまでもなく、答えは「牛乳を入れて飲む」なはずです。この問題なら、「ブラックコーヒーよりもミルク入りコーヒーを選好する」という序数的効用の情報だけでも簡単に解くことができますね。

しかし、やがて経済学者は序数的効用という道具だけではうまく説明することができないが、現実世界の消費者が考えていると思われるような経済的問題を理論化したいと考えるようになります。たとえば次のような場面はどうでしょうか。

ケンジさんはブラックコーヒーよりもミルク入りのコーヒーの方が得られる効用が大きい、ということがわかっている。しかしケンジさんの同居人は牛乳が大嫌いで、牛乳が入った飲み物を飲んでいる人を見るだけでも非常に不機嫌になってしまう。今、ケンジさんの目の前には1杯のブラックコーヒーと牛乳があり、目の前には同居人が座っている。さて、ケンジさんはコーヒーをブラックのまま飲むか、牛乳をコーヒーに入れて飲むかだったらどちらを選択するだろう?

この状況を考えるためには、ケンジさんと同居人との間の戦略的な駆け引きをモデル化する必要があります。この場面において、ケンジさんは単に自分がブラックかミルクのどちらが好きかということだけではなく、自分の選択(ブラックorミルク)によって相手(同居人)がどのような反応をするか(不機嫌になるか否か)、相手を不機嫌にする危険性を冒してでも牛乳を入れたいほど、自分はミルクコーヒーが好きなのかなどを考えなければなりません。

このような、複数(だいたいの場合は2人)のプレイヤーの間の戦略的関係の下でなされる選択を分析するために考案されたのが、「囚人のジレンマ」で有名な「ゲーム理論」です。

ほかの状況も考えてみましょう。

ケンジさんはブラックコーヒーよりもミルク入りのコーヒーの方が得られる効用が高い、ということがわかっている。しかし、ケンジさんは古くなった酸っぱい牛乳が入ったコーヒーは大嫌いで、その場合、ブラックよりも効用が低くなる。今、ケンジさんの目の前には1杯のブラックコーヒーと牛乳がある。ケンジさんはこの牛乳が新鮮なのか古くなっているのかはわからないが、確率pで古くなっているということは知っている。さて、ケンジさんはコーヒーをブラックのまま飲むか、牛乳をコーヒーに入れて飲むかだったらどちらを選択するだろう?

これは、言い換えると「牛乳が古い牛乳かもしれない」というリスクを認知した上での選択問題ということになります。リスクpが極めて低いならば、ケンジさんはおそらく牛乳を入れるでしょう。逆に、目の前にある牛乳が99%の確率で古くて酸っぱい牛乳だとしたら、おそらくケンジさんはリスクを冒すことなくコーヒーをブラックのまま飲むはずです。

私たちは常日頃から、こうしたリスク(確率問題)が絡んだ経済的状況を経験しています。こういった側面が露骨に現れるのは、たとえば宝くじのようなギャンブル商品や、生命保険のようなリスク低減商品、株式のようなリスク資産などの売買です。経済学者は、困ったことに、序数的効用概念ではこのようなリスク下の意思決定の問題を解くことができないということに気がつきました。仮にリスクの大きさがわかっていたとしても、「そのリスクを冒す価値があるか」は単にミルク入りのほうがブラックより好きという情報だけではわからないからです。ミルク入りコーヒーがとっっても好きで、ブラックコーヒーがだいっ嫌いだとしたら、仮にリスクpが高くてもケンジさんはミルクを入れるかもしれませんし、両選択肢の差がそれほど大きくないならリスクを冒さずに大人しくブラックを飲むでしょう。しかし残念ながら、順位しか述べることができない序数的効用では、二つの選択肢の差の大きさまでは分かりません。
この選択問題を解くためには、単なる順序(序数)ではなく基数的な効用概念が必要となるのです。

仮に、p=25% つまり1/4の確率で牛乳が古いとする。ケンジさんは(新鮮な)ミルク入りのコーヒーから100の効用を、ブラックコーヒーからは50の効用を、酸っぱい牛乳の入ったコーヒーからは20の効用を得るとして、ケンジさんはコーヒーをブラックのまま飲むか、牛乳をコーヒーに入れて飲むかだったらどちらを選択するだろう?
※ただし、ケンジさんはリスク中立的であるとする(←これは、今回はとりあえず気にしないでください)

この問題だったらどうなるでしょうか?リスクの問題を意思決定の理論に組み込むためにこのような発想の転換をおこなったのが、数学者のフォン・ノイマンと経済学者のオスカー・モルゲンシュテルンでした。最後に、この2人が考えたこのような形式での意思決定の理論、「期待効用理論」について書かせていただきます。

ジョン・フォン・
ノイマン(1903〜57) HET Websiteより
オスカー・モルゲンシュテルン(1902〜77) HET Websiteより

※ここまでの説明で用いたコーヒーと牛乳の例えは、Julian Reiss "The Philosophy of Economics"内の秀逸な説明をヒントにして、一部を改訂・付け足しさせていただきました

期待効用理論

先ほどの問題;

仮に、p=25% つまり1/4の確率で牛乳が古いとしましょう。ケンジさんは(新鮮な)ミルク入りのコーヒーから100の効用を、ブラックコーヒーからは50の効用を、酸っぱい牛乳の入ったコーヒーからは20の効用を得るとして、ケンジさんはコーヒーをブラックのまま飲むか、牛乳をコーヒーに入れて飲むかだったらどちらを選択するだろう?

を考えてみましょう。仮にコーヒーに牛乳を入れたとすると、そのミルクコーヒーは3/4の確率で新鮮な牛乳入りのミルクコーヒー(効用100)、1/4の確率で古い牛乳が入った酸っぱいミルクコーヒー(効用20)です。一方、牛乳を入れずに飲むとすると確実に、すなわち100%(=1)の確率でブラックコーヒー(効用50)を飲むことになります。この二つの場合の期待値を比較してみましょう。

ミルクを入れる場合、得られる効用の期待値は

$$
\frac{3}{4}×100+\frac{1}{4}×20=75+5=80
$$

で、入れない場合の効用の期待値は

$$
1×50=50
$$

です。

したがって、pが25%の場合は、効用の期待値はミルクを入れた方が高くなり、このリスク下における合理的な意思決定は「ミルクを入れる」となります。

リスクpが75%(=3/4)に上がるとどうなるでしょうか?この場合、ミルクを入れた際の効用の期待値は

$$
\frac{1}{4}×100+\frac{3}{4}×20=25+15=40
$$

となり、ブラックコーヒー(=「確実に50」)の方が高くなります。ケンジさんがギャンブル好き(リスク愛好的)な性格で、「それでも1/4の確率にかけて牛乳を入れるぞ!」となる可能性もありますが、すくなくともこのように効用の期待値(=期待効用)を考察することで、リスクに対する消費者の選択を理論のモデルの中に組み込むことができるようになったのです。
※ちなみに、この理論を構築した2人の名前をとって、期待効用を計算するための上のような式のことを「フォン=ノイマン・モルゲンシュテルン型効用関数」と呼びます。クソ長過ぎてテストの時に毎回書くのがダルかった思い出。

最後に

あらB.fm Ep.71内では、上で説明した期待効用理論の話と、ゲーム理論の話をやや混同して話してしまっていました。どちらもその形成にノイマンとモルゲンシュテルンが深く関わっており、完全に異なる文脈で出てくる二つの理論というわけでもないのですが、やはり序数的効用・基数的効用の話題の後にノイマンの話をするのならば最初にするべきだったのはゲーム理論ではなく期待効用理論の話でした。

あらB.fmでは他にも経済学説(とその歴史)に関するいろいろな話題に触れることができ、その弊害として他にもいくつかやや間違っていたり言葉足らずだったりする部分もありましたが、全体的には非常に楽しく自分の好きな分野・興味のあるテーマについて話すことができ、個人的には大満足でした(ので、是非みなさん聴いてくださいね!宣伝宣伝!!)。

ポッドキャスト内でも軽くお話しさせていただきましたが、リスク下の意思決定問題を解決しようとした期待効用理論以外にも、序数的効用概念を前提とした「主流派」経済学の合理的選択理論はさまざまな修正/改良/批判がなされてきました。ひとつ例を挙げれば、そもそも「効用」などという非科学的/心理的な概念に頼った消費者理論を脱却して、実際に観察できる個々人の選択つまり「行動」を頼りに理論を形成しようとしたポール・サミュエルソンの顕示選好理論などは典型的です。

ポール・サミュエルソン(1915〜2009)HET Websiteより

これとは別に、現代では神経経済学や行動経済学のような、主観的な概念である「効用」の仮定を出発点とするのではなく、より自然科学的/心理学的なアプローチで個々人の選択を考えようという経済学の分野も出てきています。

たとえば、「効用」というものは結局何なのかよくわからなくても、モノを買ったときに脳から分泌されるドーパミンの量を正確に測定することができれば、脳・神経科学に基づいて全く新たな(「効用」の大きさではなく「ドーパミン量」に着目した)消費者理論が生まれるかもしれません(神経経済学)し、心理学の手法を積極的にもちいれば「お釣りがないように150円を使いたいからビールを買う」や、「隣の人がブラックコーヒーを飲んでるから自分もブラックにする」のような、これまでは「非合理的な選択」という語で片づけられていた現実の人間の行動にもうまく説明ができるようになる可能性があります(行動経済学)。(ちなみに、行動経済学の先駆けになったカーネマン&トヴェルスキーのプロスペクト理論は、今回紹介した期待効用理論には実際の人間の選択をうまく説明できない事例があるという課題から生まれたものでした。)

「効用を最大化することのみを考慮して買い物を行う消費者」のような「合理的に選択を行う」人間を仮定して、ある場面においてその人はどのような選択をするかを導き出すという、これまで見てきたような20世紀の主流派経済学の理論は、時折「経済人 (Homo Economicus)モデル」と呼ばれることがあります。経済人ホモ・エコノミクスは実際に買い物を行う私たち人間よりはずっと単純な(”経済的”)動機だけで行動する、経済学の理論の中だけで生きている「人間」です。しかし、現実社会で「経済的な」行為をしている私たち人間を、経済人モデルだけでは説明しきれないことは明らかです。

行動経済学の第一人者として2017年にノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラーは、20世紀最後の年である2000年に発表した論文において、合理的な個人を想定し演繹することで膨大な理論体系を構築してきた20世紀の経済学は多くの重要な成果を生み出してきたという点は認めつつ、高らかにこう宣言しました;「ホモ・エコノミクスからホモ・サピエンスへ!(From Homo Economicus to Homo Sapiens)」。彼は、合理的経済人のモデルが成熟した今こそ、より現実の人間を描写した新たな経済学の体系が作り出せるはずであると、特に若い経済学の研究者たちに対してこの論文で呼びかけています。

経済学は今まさに方法的多様性が花開く時代を迎えており、「効用」という概念はそれをうまく理解するための一つの歴史的/概念的なキーワードなのです。

だからこそ、あらBさんがポッドキャスト内でポロっとこの単語を口にした際に、あんなにテンションが上がって色々と話しちゃったのでした!!来年も、また機会があれば経済学の歴史や現代の経済学の方法論などについてどこかでお話ししたいものです。

長くなってすみません! 2022/12/20



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