未来 (短編小説)

「時間です。時間です。」脳内アナウンスの、ノーナイ嬢の声が、私の脳内に響き渡る。
「おはよう。」
「おはようございます。」ノーナイ嬢が言う。いつ聞いてもハイセンスな声だぜ、そう思うと、その思考をノーナイ嬢が拾って
「ハイセンスな声です。ハイセンスな声です。ありがとうございます。満員御礼です。」と言った。それに合わせて満員御礼の感謝の想いがあふれた。
「今朝の感情は感謝だね?」
「はい。情緒教育プログラム42-1A『環境への感謝④』です。」
「感謝は気分良いな」
「脳内物質量の調整中…」
「あゝ極楽、極楽…」
「脳内及び腸内物質量の調整中…」
私はベッドの上に座って、感謝の快感がスーッと身体中に沁み渡っていくのを感じた。やがて波が引くように感謝の快感が消えて、脳と心が平静になった。
「明日の感情は?」
「はい。情緒教育プログラム42-1B『疑念と探究心』①です。」
「感謝ほど気持ち良くなさそうだね」少しがっかりして言った。
「あらゆる感情を学んでこそ豊かな情緒を育めるのですよ。」
「そんなもんかな?」

そこで田中.A.アンビバレントくんから着信があった。
「田中.A.アンビバレント様から着信です。ピルルルルルル…ピルルルルルル…ガチャ」私は通話に出る。
「田中.A.アンビバレントくん、おはよう。どうしたの?」
「おはよう。鈴木.J.イクイリヴェムちゃん。今日、実は、学校行きたくなくて。」
「うん。」私は言う。
「…」
「…」
「僕。最近ずっとアバター登校だったじゃん。だけど…アバターでも学校行きたくないんだ。」
「そうなんだね。最近は情緒教育の矯正プログラムは受けてる?…田中.A.アンビバレントくんは天才だから、もう情緒教育は必要ないのかな?」
「…」
「…」
「…そういうのもう嫌なんだよ。なんか。すごく嫌なんだ。僕は僕自身の感情だけが欲しいって言うか…頭の中で他人の声がするのも嫌だし…わかんないかな?」
「…少年!反抗期だねえ!」私は笑った。情緒教育で既に笑顔を習っていたから。
「…」
「…」
「映画でも見たら?」そう言って私は(映画、候補、共有)を検索して、いくつかの映画作品をピックアップした。千人の脳が産み出した『命のときめき』という作品が三日前から大ブレイクしていて、すでに三億回再生されていた。私もこの映画を見たが、さすがに千人の脳が、同時接続して映像制作しただけあって、とても面白かった。感想、面白かった。感動は、まだノーナイ嬢に教育してもらってないから、感動はできなかったけど、それでも、まだ子どもの私にも、その映画の完成度の高さは伝わってしまった。はやく教育を受けて高度な感動を学びたいな。
「映画は頭が気持ち悪くなるから嫌だ。」と田中.A.アンビバレントくんが言った。
「映画に於ける、不快と恐怖は、ノーナイ嬢の設定によって、最弱にまで抑えられるよ」私はノーナイ嬢のアナウンスコメントを読み上げて教えてあげた。
「そういうことじゃない!」田中.A.アンビバレントくんが怒りを露わにした。なんて豊かな感情なんだろう。(今の怒りをエモショナル配信で配信すれば、数百万ダウンロードはいけそうだね。)と私は思った。…私も感情を配信したいけれど…どうも私はあまり感情が得意じゃない。感情の評価は3.5点しかなかった。私は凡人だった。

…マザーからも「もう少し感情を学ばないとね。」とこの前言われたばかりだった。
ファザーからも「そうだぞ!感情を学んでこそ一人前の生体になれるのだ。」と言われてシュンとなってしまった。このシュンという感情は、特筆すべきものではなかったから、せっかくの感情なのに褒められもせず、マザーとファザーはそれ以降3時間も私を無視した。私は彼らのネグレクトを疑って、マザーとファザーを削除しようとしたが、せっかくここまで育ててくれたので、新しいアプリに変える前に、もう少し様子見をすることにした。(愛着、という感情かしら?…あゝまた分析だわ。愛着を感じたいな。)私はそう思って結局ファザーとマザーをその思考から30分後に削除した…

「だからさ!僕はこの世界が異常だと思うんだよ!こうやって脳みその中を覗かれてさ!」田中.A.アンビバレントくんが吠えていた。本当に素晴らしい怒りの感情だった。このような怒りの表明ができる人を天才と言うのだろう。
「いいなあ。やっぱり天才は違うねえ。」私は田中.A.アンビバレントくんの感情表明を褒めた。
「話が通じない!何が天才だ!こんなの当たり前だ!」そう言われてもやはり天才の言うことを、理解するのは難しい。天才が易々と持てる感情を、凡人には理解できないのだ。
「もういい!」そう言って田中.A.アンビバレントくんは通話をブツリと切ってしまった。

登校時間まで5分残っていた。私は圧縮時空間に行って、ひとしきり狩りをして遊んだ。恐竜とエイリアンの複合生命体を狩った。私の三体のアバターが死んでしまった。
「それでも優秀でございましたよ。」ノーナイ嬢が言った。
「身体を動かすのは良いよね。」
「はい。」
「…さっき田中.A.アンビバレントくんはなぜ怒ったんだろう?」
「過剰な生体反応が、過多の感情を産み出します。」
「…そうだね。」私は納得した。
「はい。」
「…」
「…」
「…とりあえず学校に行くか。」私はそう言って学校アプリを開いて学校内に入った。…最近、学校アプリが重い。今日も登校時間(アプリの起動時間)が6秒もかかった。近いうちにアップデートがあるだろう。
学校には田中.A.アンビバレントくんを除いて、みんな出席していた。
きょうもまた楽しい学校生活を送れたら良いな。楽しいという感情は、何度も復習しているけれど、なかなか身につかない。それでも努力し続ければ、脳内物質及び腸内物質の調整に頼らなくても、いつかは田中.A.アンビバレントくんのように、自発感情としての楽しさを、持てるようになるかもしれない。
そんなことを夢見て私は自分の机に座って一日の学校生活を始めるのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?