『シンエヴァ』を観たら、特に泣けない内容なのに泣いた話(ネタバレあり)
僕は『15の夜』にハマるには遅すぎ、『うっせぇわ』にハマるには早すぎる時代に生まれた。
『エヴァ』TVシリーズ・旧劇はリアルタイムでは観ていないが、思春期にDVDで履修し見事に嵌まり、新劇はリアルタイムで観続けている。
この記事は、そんなオッサンの、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観た感想記事である。
注意:『シン・エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレを含みます
「『エヴァ』は鏡の造りをしている」
と、かつて庵野監督が語ったことがある。「『エヴァ』は情報量をやたら多くしており、その結果として、観た人の投射がそのまま返るようになっている」とのことだ。
(という話があるのだが、出所が確認できなかったので深く信用しないで欲しい。が、ここでは真実という体で話を進める)
思春期に初めて『エヴァ』を観た僕の目には、その鏡に「碇シンジの鬱屈とした感覚」が一番強く映った。学校という場に馴染めず、そのくせ不良になる気も不登校になる勇気もないクソ真面目だった当時の自分にとって、碇シンジはとても共感できる人間だったのだ。
僕は後に、青春小説の古典的名作『ライ麦畑でつかまえて』を読むことになるのだが、その時の感想も「『エヴァ』みたいだな」だった。
主人公が持つ、思春期特有の世界に対する鬱屈とした感覚――後から思い返すと恥ずかしいものでしかないのだが、それでもある種の真理を突いている気さえする――それが僕の中で碇シンジ、ひいては自分自身と重なって見えたのだ。
だがそんな『エヴァ』のTVシリーズは、あんな終わり方をした。
終盤のあまりの超展開に愕然とし、なんだか碇シンジは拍手されたりしてるけど僕は呆気に取られるしかなく、自分の中の鬱屈とした感覚=思春期は未消化のまま終わった。旧劇も続けて観てみたが、これを消化することは叶わなかった。
ところで”後期思春期”という言葉がある。
アニメオタクのメイン層が20代、30代、40代…と高齢化していくのに対し、多くの主人公が未だに10代のままで、「10代の物語がオッサンに刺さっている状況」を指す時に使われる言葉だ(それを健全とも不健全ともここで言う気はない)。
言わずもがな、僕もまた後期思春期を送るオタクの一人である。そして僕の中では――他のオタクがどうなのかは知らないが――まだ終わらない思春期と、10代で観た『エヴァ』が未消化のままだったことが、強く関連づけられセットになっている。
その状態で、僕は『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を観に行った。
一部の人は「どう落とし前をつけてくれるのか」というモチベーションでこれを観る、と言った人がいたが、まさにそれだった。『シン』はその意味で、これ以上ないほど完璧な完結編だったと思う。
前作『Q』で完膚なきまでに叩きのめされ、『シン』の序盤でほぼ廃人だった碇シンジは、周囲の献身により立ち直る。自らヴンダーに戻る決心をし、アスカをもって「少しは成長した」と言わしめ(旧劇の「気持ち悪」とは対照的だ)、父との最終決戦に臨む――
実に分かりやすく、全てを綺麗に畳むような、そんな展開が続いた。他の一般的なアニメと比べれば複雑だが、それでもTVシリーズや旧劇と比べれば、ずっと整っていた印象だ。
そして終盤、特に泣けるような場面ではないタイミングで、涙が出た。
具体的には、『破』で助けようとした方の綾波レイと話しながら、バックで過去のサブタイトルがラッシュで流れるシーンでだ。
なぜ? こんな場面で? エモいはエモいけど、泣けることはないだろう?
自分でもワケが分からなかったが、落ち着いた今なら分かる。これでようやく、『エヴァ』に落とし前がつけられ、僕の中の『エヴァ』がひとつの終わりを迎えるとはっきり悟ったからだ。
それは単に、「長い物語が完結する」というだけの意味合いではない。思春期から現在までずっと未消化だった『エヴァ』は、僕の中で一種の呪いだった。
”後期思春期”と強く結びついた、”エヴァの呪い”――
掛かっていた時間が長すぎて、もはやアイデンティティでさえあったほどの呪いが剥がされようとしている、その痛みが辛かったのだ。
永遠の14歳だったはずの碇シンジは、エヴァの呪いから解放された。
大きくなった体に、ビジネススーツを纏わせ、「胸の大きい良い女」と宣う青年――今までの『エヴァ』では描かれることのなかった碇シンジがそこにいる。
それに対して自分はどうだろう、と思わずにはいられない。
『エヴァンゲリオン』の物語は完結したが、だからと言って、今日から急に後期思春期が終わることはないだろう。
だが考えてみれば少し前から、他のアニメを観る時、感情移入するより「活躍を見守る大人」の目線を持つことが多くなってきた気がする。放っておいても訪れる後期思春期の終わりが、もしかしたら『シンエヴァ』により少し早まった……のかもしれない。
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。今もう一度、『ライ麦畑でつかまえて』を読んでみるのはどうだろう。当時とは違うものが見えるはずだ。
よろしければ、是非お願いします。