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満州からの手紙#151

満州からの手紙#151

(K兵営便り)
1、
父さん冬が来ましたネ
その後お変わりないですか

大寒小寒の朝夕は
仕事疲れのお体に
定めし寒さが身にしみて
御苦労様で御座います。


2、
{髭/ヒゲ} も延びたし人相も
大分凄く成りました。

昨日出かけた錦州の
{喇麻/ラマ}の古塔のあの {人/シタ}の
ひげの仁王もなんのその
チャンコロ位一にらみ

3、
朝の便所のお務めは
全く困ってしまいます。 

鼻をつまんで飛び込めば
凍りつくよな寒風が
下からサッ!! と吹き上げて
ちぢみ上がってしまいます。

4、
朝ゲは からいおみおつけ
それからこんこが二 {片/キレ}と

丸い大きなメンコには
麦の御飯が山盛りに

ボカボカゆげをたてていて
虫が鳴きます腹へりの


5、
『今日の演習は軍装で
背嚢除く服装だ!!
九時に整列完了だぞ!!』

赤地に二條の白線が
大きく入った腕章を
つけた週番上等兵殿
目丸をむいてどなります。


6、
サア整列だ!! 演習だ!!

銃剣つかんで飛び出せば
脚絆忘れて大あわて

『十番以下は早駈けだ!!』
班長殿のどら声が
{木枯/コガラシ}の中で響きます。


7、
送るモールス赤い旗
受ける白旗 アイ、ドン、ノウ

さあ困ったぞ『おい!!戦友!!』

横目でウインク一寸すりゃ
ニヤリ承知の戦友が

『ヨメナイヤツハ ハヤガケ』だ。


8、
週に一度の土曜日の
午後は内務の検査です。

掃除、整頓、清掃だ

掃く者、ふく者、はたく者
チリチリ舞の忙しさ

かたで呼吸する一休


9、
点呼の前の{一刻/ヒトトキ}は
自由にのんびり寝転んで
語る故郷のうさ話し

しのぶあの{娘/コ}の面影を
過ぎた昔の夢だもの
みんな淋しい思い出だ


(モールス)電信記号
(アイ・ドン・ノウ)Ⅰ don’t  no. 私はわからない
(ウインク)あいず・未知の男女間に都会では盛んにつかわれます。
目をチカチカさせることによって相手と意を通はせる事。


おとうさん へたな歌をつくったから送ります。
これで僕の生活の一部分がわかって貰えればうれしい。

現在の平和な物静かな駐屯地の生活は
嵐の前の不気味な静寂たることを認識して下さい。
しかし、いたづらに心配することはいりません。
出来得るかぎり体を大切にして、無理な行動はしない考えです。

但し、最後は男らしく、桜の花のように 
美しく ちってゆきたいと考えます。

だが、そんな時は、まずないでしょう。

いつ何処へ流れてゆくか、浮草よりもまだ軽い自分達のことです。
便りが一ヶ月や二ヶ月ゆかないとて案じないで下さい。

いろいろわかってはいても、口にだして言うべき一言の言葉もない自分達
ただ、お父さん達の明察にまかせておきます。

お体大切に
サヨウナラ

   

忠勝さんは、この手紙を最後に激戦地ビルマへと旅立ったのでしょう。
ひと月経って、ふたつきが過ぎても忠勝さんの手紙はご両親のもとへは届かぬものとなっていました。

桜の花のように美しく散っていく
それは日本男児としての心意気?
涙が出るほど美しくも儚い定型句

でも、

桜の花は咲いているから美しいのです。
散ってしまったたくさんの命は、浮草などと比べ物にならないくらい
重く大切なはず。

忠勝さんが招集されたとする第15軍はビルマでの作戦の失敗で大勢の戦死者がでたとされています。

人の傲慢さが招いた、世界を巻き込んだ大惨劇

戦争は日本の敗戦という結末で終わりを告げたかのように思われましたが、今の世となっても人の欲望と権力闘争に終わりがないことを阻むように、忠勝さんの頑固なまでに故郷へ帰還したいという思いと故郷への愛は、ここで終わりではなかったのです。

一人子だった忠勝さんが戦死された数年後、お母様は忠勝さんが心配されていたお腹の病気が原因で亡くなられました。
お父様はお一人で寂しい生涯を送られたことでしょう。
残念なことに、私が生まれた時には、忠勝さんのご両親は亡くなられていて、親族であった私の両親が墓守をしており、忠勝さんの手紙は私の母に託されていたのです。


―――ここからは、投稿者である私が体験した、嘘のような、奇跡のようなお話です。

昭和40年初め、私の生家は愛媛県の田舎町で小さな旅館を営んでいました。
冬の頃だったと記憶しています。
町のパチンコやの失火から火の手が上がり、当時かなりの大火にみまわれ、隣にあった私の生家は延焼を免れず、何も持ち出せないまま瞬く間に全てを焼失してしまったのです。
小さかった私は、燃え盛る赤い炎が生まれて間もなかった妹の目に映っているのを、只々呆然と見つめていたことを今でも忘れません。

まだまだ生きることが必至の時代でしたから、幼少期には苦労という苦労は一通り経験した位の生活ぶりで、父は早くに亡くなり、母はなりふり構わず私たち三姉妹を育ててくれました。

私も成人し、人並みに結婚を夢見るようになったある夏の頃、もう30年以上前の事です。

ある日、目が覚めた私の耳元で、ガヤガヤゴソゴソにぎやかに話している何者かの声が聞こえるようになりました。周りには誰もいないし、自分一人のベットの上!

最初は、それらの声が何を話しているのか、それが誰なのかもわからず、その正体を見極めようと、自分の中にある誰かと自問自答する毎日でした。
『あなたはだれ?  いい人?  悪い人?  私はなぜあなたの声が聞こえるの?』単純な疑問でしたが、これを繰り返していくうちに、あることに気が付きました。

私は、私の周りにいる大勢の人の、心の声を聴いていたのです。

そのことに気が付いた頃には、すでに耳元で聞こえていた声は消え去り、聞こえてくる全ての音が、私の頭で言葉に変換されていました。
その時、頭の中を駆け回っていたのはこれです。
『ドンナニ ドンナニ コンナンナ ミチノリデアッテモ
ナンドモ ナンドモ オナジコトヲ マキカエシ クリカエシ
ドンドン ドンドン オオキクナル オオキクナル』

謎の呪文????

でも、

この呪文のような言葉は、私が生きていく上での強い支えとなりました。
何かに行き詰った時、悲しみや苦しみに身を引き裂かれそうになった時、
この呪文は常にその先にあるまだ見ぬ希望を思わせてくれました。

そしてある日、私の耳元にこんな詩が届いたのです。

『君住む島や いつの日にか
 にをた真白の手をにぎり
 愛しの君 必ず身元へ
 愛せよや 明日を夢み にをわん』

古のラブレター?

だれ? 何? あなたは何者? 
人か?魔物か?悪霊か?それとも宇宙人?・・・・・

そして何日か経ったある日、答えが見つかったのです。

『部屋の窓を開け、今日は朝の4時まで起きていなさい。』

というだれかのお告げがあり、何かに操られるように次々に起こる不思議な現象に夢中になっていた私は、言われるままに朝まで起きていることにしたのです。

碧く深い、まだ夜が明けきれない空
窓のそばにはやさしい川が流れ、緑の美しい山々が悠々と伸びる故郷

そして、その山の山頂に見えたのは一筋の光でした。
光は近づく程に大きくなり、私のもとに届くころには、心躍るような
偉大な光のペガサスとなっていたのです。
驚いたことに、その光のペガサスには、光り輝く一人の男性がまたがっていました。

光の男性は私にこう言いました。
『強く生きろ!おまえを必ず迎えに行く』

言葉にならない喜びと、だれかが私を迎えに来てくれるという淡い期待。

遠く遠く遙か彼方のどこかから・・・・・
光り輝く王子様が私を迎えに・・・・・

もう何が起こっているの?とか
私どうなっているの?とかの話ではありません。

神様!私はもう死んでしまうのでしょうか?
でも光の王子様が迎えにくるなら本望です~❤️
みたいな。あるような、無いような不思議な世界へと足を踏み入れてしまった私。

それからの日々は光の世界の住人となってしまったと言ったら説明がつくのでしょうか?どう説明しようが誰にも納得のいく説明ができないのがそれからの奇跡です。

私の住んでいた小さな田舎町の街灯には、背中に小さな翼のあるエンジェルが飛び交い、何千という風船は悠々と空を流れ(ただ一つ風船と一緒に風鈴が流れていたことは現実と幻想の区別ができました)、忠勝さんの故郷の宇和島は光のベールに包まれ、その港には、光のイルミネーションが展開され、まるで夜空のキャンパスにお絵描きをしている様でした。
まだ、ドローンやプロジェクションマッピングなどという最新の機材がない時代です。何しろ、30年以上も前のことですから。

その素晴らしい光景は、皆様のご想像におまかせするとして!

それから数年後。
光の君を見つけることが出来たのか、それとも人違いをしてしまったのかわからないままに、今の主人と出会い、3人の男の子をもうけ、日々子育てと言う戦いの毎日を送っていましたが、実家に里帰りをしていたある日、さらなる奇跡が起こったのです。

ある日のこと、玄関の戸がガラガラ明けられたと思ったら、一人の男性が入ってきました。
その男性は、こう尋ねられたのです。
『善家忠勝さんはお宅の方でしょうか?私は善家忠勝さんの手紙を持っているものです。』?????

何しろ、私の母も何十年も前の事で、しかも火事のドタバタで生きることに精一杯で、私の生家が火事でまる焼けになる前に、忠勝さんの手紙をコラムにでもと新聞社のお友達に預けていたことなんて、とうの昔に忘れていたというのです。
しかも、そのお友達はすでに亡くなられていて、その時、忠勝さんの手紙を持って来られたのは、亡くなられたお友達の甥御さんだったのです。

その方の実家の押し入れから忠勝さんの手紙が出てきたので、何かのかたちで世に出したいと思い許しをもらいに来ました。そう言われた立派な男性は、亡くなられた伯父さんと同じ新聞社にお勤めになっておられました。

その時に某新聞社に手紙を託さなかったのは、この満州からの手紙がその時代に世に出る運命ではなかったのでしょう。
奇跡的にも大火を逃れて近所のお友達のもとへと非難をし、長い年月を経て私のもとへと届いた手紙。まるで手紙が独り歩きしているかのよう。

忠勝さんは、万が一不運にも戦死してしまった時のことを考え、自分が生きた証を手紙という形で後世に残しておこうとされたのだと思います。
いつどんなことで命を落としても後悔のないよう、一通一通にサヨウナラの言葉を添え。

私は何度も何度もこの手紙を読み返し、呆れるほどの涙を流し、少なくとも母として3人の男の子を育てる強い覚悟ができました。生きていることが幸せなんだと思わずにはいられませんでした。

その子供たちも社会人となり、ネットという環境が整った今、忠勝さんの手紙を世に出す!という兼ねてからの思いがやっと叶いました。
それも、昨年の春の夕暮れ、職場近くのため池にコウノトリが飛来し、群れて飛び交う様を目の当たりにして、何か千載一遇のチャンス!って思ってしまったんですね。重い腰も軽々上がった訳です。
これも三度目の奇跡と言えるのでしょうか?

この世の中は、見ている方向によっては楽しくもあり、苦しくもあり。
人の思いとは、目に見えずともそこにあるもの。
愛や希望だって見えなくても感じられるもの。
かと言って、あそこにもここにもペガサス飛んでるよ!なんて言ってたら、おかしな人と思われるに違いありませんネ。

でも、これが真実だとしたら・・・・・。

忠勝さんの手紙が届いた皆様が、一日一日を大切に、輝ける日々を送って下さいますことを希い、この度はひとまず{完了/ワンラ}です。

















  






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