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満州からの手紙#96~#100

満州からの手紙#96

 お母さん。
今日はお手紙を有難うございました。
お元気とのことなので大安心をしました。
この頃随分御無信勝ちに成ってほんとにすみません。
殆ど寸暇もみい出せぬ日々の演習に、とても落ち着いて手紙なぞかいておれない気持ちです。それに読書に心を奪われているので一層お母さんの楽しみにして貰っているお手紙をかくのが疎に成った訳です。どうぞ悪しからず許して下さい。

 過日の日曜日は紀元節で延刻外出を許されました。
『午後の八時迄に帰るように』との嬉しい命に東安の町へ外出しました。
それでとうとうお母さんにもお手紙しなかってすみません。
往きは軍用貨物自動車に乗せて貰ったので十二時頃東安の町へつきました。
広野の中に三條の通りをつくって、その両側にレンガ建ての家並がならんで、見かけは立派な国境の町です。半截河等の部落的比ではありません。 しかし、街路樹も庭木もないこの町は、みるからに全く殺風景そのものです。
緑葉の樹木がないならせめて落葉樹でもよい。街路樹に植えればどんなにこのガツガツした町の感触を和らげることかしれないのに、と酷寒の青空に浮上がって築木の城を思わせる東安の町にそんな望みをかけて空想してみたりしました。

 自動車を下りてこの町に一軒きりかない本屋へ飛び込んで約二時間程色々と望ましい本を選択したのですが、自分の求めているような書籍は一冊もないので、気まぐれにテニスンの彼の有名な友情を歌った長編詩『イン・メモリアム』と『芭蕉俳句集』の二小冊誌を買って本屋を出ました。

 それからお腹がすいたので食事をするため『東』 とあるおでん屋へ入りました。
満鉄の社員らしい三、四人の先客がおでんの台を囲んでいました。
客『おい、おばあ!! 酒だよ!!』
おばあ 『やかましいよ、この人は、もっとしづかにおしよ』
口達者に鶴のように疲躬なおばあが口先をとんぎらせてジャケツ一枚で大奮闘です。
その横で一人の女があかによごれためいせんの着物をきてクチャクチャにしわのいたメリンスの帯をしめて微笑を {失/わす} れてしまったような、辺にうつろな顔をして黙々とお酒をついでいるのです。
一面にひびのきれた両の手!! 底のぬけた足袋!! これが給仕女としての十八娘の様子なのです。

 私はたまらない気持ちで静かに目をとじました。
年若い血のたぎる娘として青春の一切の喜悦をすて、ジッ!! とうつろな眼を天上に向けているこの女!!
私は人生の中で、人の子の姿の一番うつろな、物わびしい縮図をしみじみとみせつけられて妙に胸が一杯に感じられて、とうとう私一人戦友達の食事の終わるのを待って飯もたべずに『東』の店を飛び出しました。

 やがて戦友の一人が××屋をひやかしに行こう、と言い始めました。× ×屋は至る所に公然と看板をかけて、あさましい ××××××を商売としているのです。
そうした買娼婦の郡の想像以上に多いのに、私は全くいやな気持ちを覚えながらも、仕方なく戦友達の後からスゴスゴついて行きました。
白壁の一軒の鮮人×××屋には十人余のそうした女達が意志の貧弱な男の欲情をかきたてるような、あらわもない姿や言葉を恥ずかしげもなく衆人の前にさらけてみせるのです。
これらの×××屋は中央が廊下に成っていてその両側に小室が幾つも設けてあるのです。無反省、無自覚な男達は平気でその室に出入りするのです。
金の前には親を忘れ、兄弟姉妹を忘れ、国を忘れて自分の体をキリ売りして少しも恥を知らぬ禽獣と何等かわりない彼女らの生活をみせつけられて可哀そうだと考えると共に、顔をそむけないではいられませんでした。

ホーーー−−−−−−−−。何がおかしいのか。
かん高い、わざとらしい嬌笑を背に、戦友達をうながしてその家を飛び出しました。
ぬぐってもぬぐってもぬぐいきれぬ彼女らの媚びた笑いやふてぶてしさを心に思い出して、全く暫くの間いやな気持ちでした。

 私は青い空をみました。 静かに懐かしいお母さんの顔を思いうかべてみました。耳辺をかすめて吹き流れて行く初春の風に優しいお母さんの声を聞きました。
そして私は母の声を、青い青い空の色を、 全く忘れてしまっているあの女達にもう一度青い青い空の色と優しい母の面影を思い出させてやったらなどと思ってみました。
私は、とてもあんな世界に飛び入って、今まで清浄に保って来たこの体を一瞬の情欲の犠牲になぞしてたまるものか、と考えました。

 『ミッキー』と言う喫茶店へ行ったことは後からのお手紙で報告しましょうネ。
限定紙数ですからこの辺で、サヨウナラ。
お体どうぞ大切にして下さい。
忠勝
お母さんへ
(二月十五日夜)

満州からの手紙#97

 懐かしいお便り嬉しく拝読しました。
いつにかわらぬ温かいお父さんの思いやりに、なんだか妙に涙したい気持ちで幾度も幾度も繰り返して読みました。
港の無い処に船を浮かべる如き愚は私もやりたくないものと常々考えています。 又お父さんのお手紙で一層注意を喚起させられました。

 私としては二十五才にもなって自分の一生の方針の確立をみていないと言うことは実際問題として少なからず不安を覚える点もあるのですが、今とやかく言って騒いだり悩んだりしてみた所で仕方がないと思って糞落ち着きに落ち着いて東洋の倫理書 (人倫とか道徳を 学理的に色々とといているもの)を読んでいるのです。

 私はそこに今まで意識しなかった人間としてたどるべき最も正しい道を発見すると共に、現在の社会世相がどんなものか、ということも根本的に概略理解することが出来ました。

しかし、そんなことはさて置いて。

 お父さんは私達御奉公に上がっている者には 『私』と言うものは全くみとめて貰おうと考 えるべきでもなく、又みとめられることも一様にないことを知って下さい。
一から十までが『滅私奉公』『犠牲的精神でもってすべてに自分の肉弾でぶつかって行く』そうした悲壮とも立派とも形容出来ぬ行を捧げるの一語につきているのです。

 手紙をかいても、本を読んでも、お金を費っても、日曜日でも、すべて自由は限度内においてのみ許されることで、書籍等は一冊一冊隊長殿の許可印が貰えない以上、班内にもちかえって読書したり、所持したりすることは絶対に許されません。又手紙も一通一通点検して貰って印を貰って後しか出すことは出来ぬのです。
現在私は十冊程の書籍をもっています。が、過日それ以外の書籍は (六冊) 読書することを許されず隊長殿があずかって貰っています。
書籍も精神的倫理書などは許されますが、文学方面の詩・小説・思想的・政治的等々許されません。

 一通の手紙をかくにしても点呼前の一時程と点呼後の四、五十分の間に銃の手入れとか、身の廻りのことを終わって書くのですからなかなかです。
幸いに私は二班ですから、常夜燈 (5觸) が廊下の真中についていて私はそれに近い一番側へ寝ているのでその淡い光りでこうして手紙もかけるし、読書も自由に出来るのです。
ハッハ−−−−−−−−−。

 今、初年兵を迎える準備で忙しいです。
そんな都合ですから、なかなか思うようには行きません。
しかし、巡査になるのだったら多少暇どっても、勉強は軍隊から帰ってでも充分間にあいます。
世論に惑わず、政治に拘わらず!!
御勅諭に示された兵としての行くべき道がそれです。
あまりあわてずコツ!! コツ!! やっておれば自ら道は開けるでしょう。
こちらで就職するなら満鉄でも何処でもどんどん入れますよ。現地満期の希望者は許されますから。そして軍隊で世話して貰えるのです。

しかし、私はかえるべきですから。

くわしい様子は又次にしましょう。 お体大切に。 サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ

満州からの手紙#98

 お母さん。お変わりありませんか。
忠勝君は至って元気で暮らしていますからどうぞ安心して下さい。
現在は週番に服務しているのです。朝も早くから晩もおそくまで多忙を極めています。
今日は日曜日で早くお手紙を書いて晩の手紙を点検して戴く時間に間にあわせたく思いましたが、急がしくて手紙どころではなく、点呼後やっと一かたづき終わったのでこの手紙を書き始めたのですが、もう直ぐ消燈です。

 あっ、消燈ラッパが鳴っています。一寸失敬。

 各内務班 (兵の居室) を巡察して再び事務室に帰って来たのです。
今から午後の十一時迄は事務室に限って電燈をつけていてもよいのです。 今夜は消燈後の 二時間を読書することを止めてお母さんにお手紙しましょう。

 お母さん、お父さんから一昨日お手紙が来ました。
『港の無い処へ船を浮かべるような愚かなことをするな!!』
親心の慈愛からそれとなく注意を喚起させるように言って貰った教訓を私は決して決しておろそかにはしない覚悟です。

 しかし、物事には食べて生きて行く以上に大切な事柄があるのです。 人間は本と末との区別をつけて生きて行くことが一番大切です。
どんなに貧乏したところで、 正しい道の上に立って生活する人間の晴々とした心まで貧乏にすることは出来ません。世の中には百万円をにぎって地獄の苦しみを持って、いつもおどおどしながら日々を送っている人間がどんなに沢山あるかしれません。
幸福を得るため金を求めて、かえって金のドレイと成って虚栄や見栄の世界にとりことなるなぞ笑えぬ {滑稽/ コッケイ} 事です。

 お母さん。
地位とか名誉、物質は必要 (生きて行くために) 以上に欲しくない自分です。表面的なそんなものよりも、どんな場合にどんなことが起きようと、 ニッコリ笑って男らしく立ち向かって行く、そうした底力!!
内面に働く不滅、不退転の力が欲しいのです。
富とか地位、名誉などは自ら懸命に悪鬼のように成って求めるものではありません。正しい良知の命のままに行う結果 (誠) によってその努力が次第次第に金となり、地位、名誉となって何の無理もなしに自然と築き上げられたものでなくては何の意味もありません。

 人間が根本的に完成していなくては、才能、知識をいかに広めてもそれは人間の真実をめちゃめちゃにして悪賢いものにするばかりです。
だから世の中の人に、人情味だとか、親切とか、友情とかいったものが日に増しうすれて来て、そんな悪風のつたわり難い田舎にのみ美しい人情味が今もなお残っている訳です。それも今では犯されて滅亡しようとさえしているのです。
『行路難、山にあらず、川にあらず
ただ人情{覆復/ハンプク}の間にあり』
古人もそんなに言われています。

 しかし、いたずらに私一人が今の世の中をとやかく言ったところで何にもなりません。
それで正しい男一匹として生きるため、決して僅かの物質的苦痛や精神的試練の苦痛にヒメイをあげて敗けてしまうような男にならぬように、しっかり学問して、それらの苦痛な試練に打ち勝って立派な一生を送られた先人の行を模範として、それを実際に踏行って堪えて行くごとく勉めているのです。
どうぞ案じないで下さい。

 人の子として父母に物質的な苦労を年をとって後も心配させるのは一番つらいことなのです。
それでどんどん働いて立派にお父さん達を育てて行ける人間にはきっとなってかえりま す。
寒さの折からお体を大切にいたわって下さい。
では皆さんに四六四九、サヨウナラ
お母さんへ
忠勝

満州からの手紙#99

 お母さん。
戦友の中山に手紙を出されましたネ、ハ−−−−−−−−。
僕が週番に服務しているので本部から貰って来た手紙は僕が分配しているのです。
戦友達に手紙を出すのは結構ですが、正直に言うとお母さんの手紙では仕方がありませんよ、ハッハ−−−−−−−。
飛び上がって喜ぶのは僕ぐらいなものです。

 慰問袋がどんなに上等でも姑娘(クーニャン) の手紙がいれてなかったら、とたんにユウウツになる位のものです。
娘の手紙で、大喜びしないのは、中隊でも僕以外にはほんのわずかです。
あまり無暗にお母さんが頑張るよりも、それ、若い者は若い者同志!! ハ−−−−−−−−。

 中山だとか、池田逸明だとかは、とても好人物のいい男です。美しい娘さんでも紹介してやって下さい。
今どんな人達が通って来られていますか。有志があれば僕に知らせて下さい。 ハ−−−−−−−。

 特に注意しておきます。
僕が何も言って知らせぬ人の甘口に乗って、喜んだり、さわいだりせぬことです。
沢山の娘さんをあずかっている以上、お母さんもお手紙の交際ぐらいは別として、その他の点については充分責任をもって、しっかりしていて下さいよ。たとえどんな知人にせよ、僕のいない家へ僕のことを言ったり、 昔のことにこじつけて出入りする若い男は注目に価します。

 次に、お母さんにいいことを教えましょう。
僕がいつかえるか!!
軍の秘密上色々言えませんが、おそくても来年二月頃迄には確実です。確実だと断言します。しかし又、国境に事変がおきれば別ですが、逸に角、正直正銘もう一年の頑張りであることは確かです。
他人には色々言ってはいけませんよ。 ハ−−−−−−−−−。
お母さんも僕も前もってそのつもりで色々将来に対する決心とか準備をかためておくことです。

 この国境地帯へ一年おれば、将来巡査でもした時は約三年にみつもられる訳です。(恩給の件で)
来年の春まで、この地におれば入隊以来の年限を加算して約六、七年になるわけです。
地方へ帰って巡査でもすれば五、六年で恩給になる訳ですから渡辺の政ちゃんよりも早く巡査をしていたことに理屈はなりますネ。 ハ−−−−−−−−。

あさましい考えは止めましょう。

くれぐれもお体大切にして下さいネ、サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#100

吹雪が跡形も無く晴れました。
今日は日曜日で、しかも小春日和を思わせる満州晴の上天気です。
東安小富士 (兵営の直ぐ後ろの演習場にある丘のような小山) がコバルト色の大空にクッキリと浮かみあがって優美な姿を懐しませてくれます。
『果てしない広野に、平原に、住む人にとってはるか彼方の地平線上に山の姿を眺めることは、かぎりないなぐさめであり喜びである。』
『梅の咲く頃』(吉田弦二郎氏)の随筆の中にそうした文章をみた時、しみじみとほんとうにそうだ!!期せずして私は同感を覚えました。

 十五日附のお手紙をたった今頂きました。
川一の小母さんか高価な送り物をして貰ったそうですネ。心から有難く思いました。しかし堅魚を送って貰うより、お父さんとお母さんで半分ずつ戴いてつかって下さい。
『けずりかまぼこ』は本が来たらそれと一緒に送って下さい。
本はいそぎません。その中に来るでしょう。
写真はお母さん一人のものでも結構です。是非送って下さい。
本と一緒に色々と無駄なお金をつかって送り物をしないで下さいネ。

 それからもう後暫くですからどうぞ自重して体に無理をしないで下さいネ。
こうしてお手紙を出したり、貰ったりして励ましあい、なぐさめあいしている中には晴れて凱旋する日も刻々とやってきつつあるのですから。
いよいよ僕達が部隊の最古参兵ですから。
今度は、僕達がいやでも応でもそのまわりです。事変でも起きねば一定の人員以上は隊で兵隊は置けないのですから、次に新しく初年兵が入隊すればいやでも内地帰還せねばならぬ訳です。
待っていて下さいネ。
もう先がみえたのですから心楽しいです。

 わけわからずの軍隊生活に、戦闘もやらぬ駐屯地生活は全くうんざりですよ。ハ−−−−−−−−。
パンパンパンと来れば多少気合が入るのですが。
中支、南支の戦友達はうらやましいです。
こんなむずむずさせるようなパッ!! としない生活は全く無味乾燥です。
しかしこれが御奉公なのです。
沈黙の戦争が続けられているのですから緊張は絶対必要です。
兎に角どちらにしても間違いのないように、御奉公をしたいと思っています。

 今日若松の歌子君からお手紙が来ました。
考えているといじらしく思いますが、そうした単なる同情で軽々しく言動するのは充分慎みたいと決心しています。
僕にはもう以前のように気軽く娘さん達のお手紙や好意に応じる心やすさがなくなりました。

 僕はうその言えない一途な男ですから、遊戯的な今のお嬢さん達の相手には不むきです。ハ−−−−−。

 この手紙は前の四枚をかきあげてから一週間近く過ぎて再びこおして筆をとったのです。
今日は三月一日、満州国の建国記念日ですネ。
今日夕方、馬の運動に行きました。
裸馬に乗ってもアンをつけて乗っても、なかなか上手になりました。
思いきり原野をかけらせるのは実に愉快です。
おしりの皮がはげて痛くてたまりません。 ハ−−−−−−。
後から落着いてお手紙しましょう。
お母さんの健康をいのります。
サヨウナラ
忠勝
お母さん。


【投稿者より】
皆様には、この長い長い『満州からの手紙』を辛抱強くお読みいただき有難うございます。私事ですが、この満州からの忠勝さんのお手紙を不思議なご縁でおあずかりし、記念すべき100通目のお手紙を投稿して、忠勝さんのご遺志を微力ながらも皆様にお伝えすることが出来たことに少し安堵しています。日々、粛々とお読みいただいている皆様の心情とご苦労を考えると、涙に目を腫らしているのは私だけ・・・?でもなさそうですね(❁´◡`❁)

忠勝さんがこの手紙を残された意味とこの手紙が辿った軌跡と奇跡を、真実お伝えしなければならないと考えていますが、それは追々の事として。
最後までお読みいただいた方だけにお届けできる奇跡に皆様がたどり着いていただけることを願って。
この度はここで サヨウナラ。

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