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満州からの手紙#106~#110

満州からの手紙#106

 お母さん。
元気で暮されておいでになるのですか。
四月に入って一度もお便りを戴かないので心配しております。
まさか体でも悪くされて床についておいでになるようなことはないでしょうネ。
心配で心配でたまらなくなったのであわてて筆をとりました。
このお手紙がお母さんの処へとどいたらすぐ御一報下さい。

 私は昨日から週番に服務しているのです。
北満もすっかり春の暖かさになったようです。今朝は曠野も丘も兵営も真白く雪が降っていますが、想像以上に暖かです。
よもぎが小さい芽を出し始めました。もう暫くすると兵営を囲む原野が緑の一色に全くつつまれて迎春花 (インチュンホワー) が咲きそめるようになるでしょう。

 一昨日は、暫く軍務のため半截河へ出張していた戦友が、軍平小父さんから餅をことづかったと言ってもってかえってくれました。
相変わらずこんなに遠く離れていても、私を忘れずこうして機会あるたびに色々と珍しいものをことづけて下さるのですよ。優しい小父さん達です。

 北満にはお母さん達が信じられぬ程沢山のキジがいます。
演習に一寸前の原へ出ると、早キジが幾羽となく飛び立つのです。ケンケンと鳴き乍ら羽をひろげて、つい二、三間程前の草の茂みから飛び立つキジをこちらに来だてのころは随分珍しく思いましたが、近頃はあたりまえのことに考えられて来た故か別に何とも考えなくなりました。
『 {雀/ スズメ } 程キジがうようよしている』
戦友のだれかがそんなことを言って笑っていましたが、実際まったくの {嘘/ウソ}とは言えません。
一番切実に春の来たことを教えてくれるのは何と言っても {雲雀/ヒバリ } ですネ。 ピーチクピーチク{囀/サエズ}っている啼聲は、私には一人がってんの戦友同志で語合う満語か、電信のモールス記号のように聞こえるのですが、H軍曹殿の説によると
『{元金/モト} 呉れ、利呉れ!!  元金呉れ、 利呉れ!!』
と言って啼いているのだそうです。ハッハ・・・・・・・・・。

 この季節で {著/イチジル}しく私達の心をひくのは {雁/カリ} ですが、このことは今迄に度々書いたので止めておきます。その他に鶴と野火のことをかきましょう。
お母さんは和霊様にいたあの頭の紅色の丹頂鶴が幾十羽となく沼地の小魚をあさっていたり、翅をつらねて飛んでいたりするのをかつて生まれて一度も眺めたことはないでしょう。
馬の運動で、演習で、私達はときどきそうした様をよくみうけます。 翅が日の光に反射してシルバー色 (銀色)に光る時一番美しいとしみじみ思います。
野火は美しいと言うよりも壮観です。この辺の山野は潅木と草のみで一本の樹木もありません。そしてそのみわたすかぎりの草地の曠野が春風にあおられてエンエンたる火の手によって燃えひろがって行くのですから全く凄いです。
夜間あっちこっちの地平線が真紅の光にうきあがっているのは殆ど野火です。
つい三、四日前の夜間演習で兵営の後の小山が燃えているのをみましたが、 まるで遠い彼方から眺める町の日です。
私は和霊様のお祭の『たいまつ」で有名なはしりこみをしみじみと思い出しました。 

 お母さん。今お手紙を本部へ受け取りに行ってきたのですが、今日も来ていないのです。 今日は十四日、日曜日です。しかしお手紙が来ないので心配です。
是非正直に様子を知らせて下さい。
私も今からは出来るだけお便りします。
目下週番に服務中で多忙ですからこの辺でサヨウナラ。
お母さん。
四月十四日

満州からの手紙#107

 お母さん。
四月十二日 朝出としてあるお手紙確かに戴きました。
このお母さんからのお手紙の来るのをどんなにどんなに待っていたか知れません。
お手紙を手にしてスーと一瞬に胸の中が軽く、さわやかになるのを覚えました。お母さんは私に半月余もお便りをされなかったのですよ。
こんなことは私が入隊以来かつて一度もなかったことなので随分心配しました。しかし別に変わりがなくて何よりでした。
今夜からおいしく食事が戴けます。ハッハ−−−−−−−−−−。

 お母さんは私がお手紙しないときは、私がお母さんを心配する以上に私のことを心配して貰うのだが!!などと考えてもう御無沙汰は暇のあるかぎり金輪際しないと思いました。
松陰先生も処刑される前、
『親思う 心にまさる親心 
 今日のおとずれなんと聞くらん」
と言う歌を作って父母様に送られています。又古歌にも、
『世の中に さらぬ別れのなくもがな 
   千代もといのる 人の子のため』
と歌っているのがあります。この歌の簡単な意味は、
〔人の子の親を恋い慕う情において、父母様が千年、萬年の遠い将来までも生き乍らへていて貰いたいものである。そして悲しい死の別離なぞなくなって欲しいものだ。〕と言うのです。
たれもが一様に願って止まぬ心からの願いですネ。

 新聞でみると宇和島のあたり桜の花は今が盛りだそうですが、さぞ美しいことでしょう。
福内上等兵殿が訪れて貰ったそうですが、それでこちらの様子も少しは解ったでしょう。 真面目な おとなしい よい上等兵殿でした。

 お父さんと二人でお写真をうつして送って戴くそうですが、お願いします。 鶴首して待っていますよ。 台紙を忘れないで下さい。
あの私の写真は正直なところあまり私には似ておらぬと戦友達が一様に申します。自分でも少し変だと思うくらいです。機会をみていづれあらためてよいのを写して送りましょう。

 一昨日、若松の歌ちゃんからお手紙が半截河あてに来ました。
近頃お手紙かかぬのです。今日は葉書でも書いて出して置きましょう。
歌ちゃんはやはり家へ来るのですか、それともとり止めになったのですか、それから今日 宗公から台湾師範の入学試験にパスして現在台湾に来ている云々、のお便りが来ました。
地下の生田のなくなられた小父さんも、おばあさんも、小母さんもどんなにか満足されたことでしょう。
私も嬉しく嬉しく思いました。宗公はやはり 『忠勝兄さん!!』と昔通り無邪気にお便りにそうかいていてくれました。

 雅さんはその後どうしているのですか、音沙汰無しなのですが。
そして現在家には昔なじみの人達は一人も来ていないのですか。
暇をみてそんなことも知らせて下さい。
では今日はこれで止めて置きます。
どうぞお体大切に大切にして下さい。 サヨウナラ。
忠勝
優しいお母さんへ

満州からの手紙#108

 お母さん。 昨日はお手紙を有難うございました。
お変わりがなくて何よりです。
今日は四月二十九日、 天長節ですネ、中隊では点呼外出が許されて戦友達は大喜びで出掛けて行きました。
なにしろ点呼外出は年に四度しかないのですから。
僕も出ることが出来たのですが、雨が降っている中を往復六里近くもはとても歩く気になれないし、それに手紙を出す処も沢山出来ているので止めて置いたのです。

 お手紙によると三島様へお参りに行った時、原さんに逢って色々と噂を聞かれたそうですネ。
私は顔が赤くなりました。
親孝行者だなぞと、人々から噂される程立派な行いの出来る自分ではありません。
そんなことを人から噂される度にしみじみと親不孝ばかり重ねて来た自分が反りみられて、たまらなく寂しい自分にさせられます。

 お母さん。
私は中隊でもそんなに優秀な上等兵ではありません。
お母さんはお世辞に色々と私を誉めた噂を聞かれて喜んで下さいます。
実際に自他共に許す程の優秀な自分ならそれでもよいでしょう。 しかし私は噂どおりの立派な男とは人から思われてもいないし、又自分でも思っておりません。いつわりの噂にせよ、それであんなにまでお母さんが喜んで下さるのだが、と考えていると真実お母さんを喜ばせてあげるだけのことをしていない私は身をきられるようにせつなくなって来るのです。

 同じ一ツの仕事を戦友達と始めても、私は戦友達程頑張りがきかぬ点があるのです。
『なが続きがしないのがお前のくせだよ』
お母さんからも度々注意されたことがあるのですが −−−−−−−−。
特に労働力の少いものは軍隊では何かにつけて苦労します。
満期して帰るまでには私もきっときっと!!
そう覚悟して毎日を送っているのです。

 種々雑多な職業をもって生活戦線に働いていた社会の各層の人間が一様の生活をするのですから、社会なれのしていない私なぞ何かにつけて我儘が出て思わぬ敵をつくるようなことがあって困ります。
こんなにして、もまれもまれして喜んだり泣いたりしている間に何もかも自然と解って来るのだと思います。

『可愛い子には  たびをさせ』
昔から諺にあるように、やっぱり苦労知らずの人間は何処かでズーと大きな苦労をさせられます。だからしっかり苦労させて置くべき時機にはうんと苦労させるのが真実の親心と言うべきものでしょうネ。
勿体ない話なのですが、 私なぞあんまり可愛がられ過ぎたように考えられます。
兎に角、私はそんなに立派な地位や名誉や財産はもてないかもしれませんが、一家が円満第一主義で行けるだけのことは、どんなことをしてもやってのける決心です。
まあみていて下さい。

 過搬、北南国境の将兵慰問のため、畏れ多くも天皇陛下には侍従武官を御差遣になって御タバコを御下賜あらせられました。 私はこれで再度の御皇恩に浴したわけです。先度ことずけたタバコに不敬の無いように、くれぐれも注意して下さい。
御紋章のついているあの御タバコをめったなことして置くと大変ですよ。戴くのはかまいませんから人にあげたりなぞ出来ませんよ。そして戴いた時は紋章の処を残さないようにして下さい。
軍人以外の者がめったな処で戴いたりしていたら問題になります。
ではどうぞお大切に、サヨウナラ
忠勝拝
お母さんへ

満州からの手紙#109

 お父さん。 その後お達者ですか。
私は大変元気でいますから安心して下さい。
今日は靖国神社の霊大祭なので隊は演習は休みです。
戦友達は東安の町へ外出しましたが、僕は隊へいてお手紙を書くことにしたのです。

 昨日は天長節、一昨日は臨時大祭、休日が三日も続きます。
そちらは桜は散ってしまって、美しい新緑の頃でしょうネ。
北満は今やっと草が芽を出し始めました。山野は野火のため黒く焼け跡が続いています。
今日は中学の頃の親友、前田の活郎君から手紙が来てとても嬉しかったです。
前田の活ちゃんは一年の時から五年まで一番一番で勿論卒業の時も一番でした。 そして松高から京都の帝大に入学したのです。
かつての仲の好かった友人が日本最高学府たる京大に入学してお手紙をよこしてくれるなぞとても嬉しいと思います。きっと立派な人になって錦を飾ることでしょう。

 僕も色々と考えさせられます。
お父さんの側へ帰るのは二十六の春ですから三十までに後わずかに四年。
空恐ろしくもあります。どう自分の行く方針を処置したが最適か!!実際世事にうとい僕としては心配にもなって来ます。何とかなると断言しても実際にこの二、三年は僕には最も大きな痛手だけれど、たれもがジッとたえて来た使命なのですからネ。
軍隊にいて呑気に暮らしていると、全く相当に努力していてもやはり実社会とはかけ離れているので、世の中がどんな具合になって行きつつあるのかなぞ理解困難です。
何かお父さんに考えがあるなら一応参考までに聞かせて戴きたく思います。
巡査もよいでしょう。しかし結婚とか子供が出来た時のことなぞ考えていると、若い間にもっと冒険をやって青年らしい覇気のある生き方をしていないと伸びることを忘れて萎縮した親父くさい人間になってしまいはしないだろうか、などとも考えるのですが、お父さんも仕事が忙しいでしょうが、今からのお手紙は実際問題に関してお父さんの正直な考えを主にして貰いたいと思います。
お父さんだって若い時の様々の苦痛な体験が、今日のお父さんを完成してくれたのですからネ。
失敗を恐れ、敗惨を恐れていると仕事は出来ることが出来ない様になりはしないでしょうか。
机上の空論かもしれませんが。
兎に角、暇をみてどうぞお手紙よこして下さい。

 隊で活動があったので今迄手紙をかきかけででかけていたのですよ。
ではくれぐれもお体大切にして下さい。
忠勝拝
お父さんへ

満州からの手紙#110

 お父さん。
今日、お母さんとアベック (同伴、二人づれ) でうつされたお写真をお母さんから送って戴きました。
とても嬉しく思います。
きっとお父さんとお母さんのお写真にお誓いして間違いの無いように御奉公します。

『国の便りを懐に
 銃をだき寝の暇の宿
 父さん母さん無事な顔
 夢にみるのも嬉しいネ』
となりの斑で戦友のたれかが 『男召されて』 の歌をどなっています。
お母さんからのお手紙とお父さん達のお写真をだきしめてジッ!!とその歌を聞いていると胸がジーンとしびれて来るような気持ちです。
どんなに遠く離れていても、お互いが元気でお互いの任務に邁進している、これ以上の喜びはありません。
体が元気であることは、どんなことよりも有難いことだと私はしみじみ思います。
幕末勤王の国学者 (大国隆正)は、
『親のため常は惜しみて事しあれば
 君ゆえ捨てん命なりけり』
と詠じていますが、私達は常々こうした気持ちで毎日を送り迎えすべきだと考えます。

 お母さんのお手紙ではもう全くの新緑の候だそうですネ。 樹木、山、水に恵まれた故郷の山、風景は実際美しいですよ。
日本の国を遠く離れて、 落莫たる北満広野に住んでみて、初めて日本の国の風景明美なことに一驚させられます。
それは調度、太陽の光や澄み切った空気の有難いことを忘れている沢山の人間のように、私達も日本の国の美しい大自然の姿に感覚が麻痺して、身近なそれらのものに感激を覚えなくなるのですネ。

 新緑の頃と言えば、 私は奈良川堤の櫟林を懐かしく思い出します。奈良川と言えば岡本の孝義兄とハンゴウ炊事をした思い出や、高田の登美ちゃんとままごとのような恋をして、お父さんから目丸が飛び出る程しかられた思い出などがたまらなく懐かしく甦って来ます。 ハ−−−−−−−。

 北満は昨日、今日やっと『イン チュン ホワー』 (迎春花)が咲き始めました。野火で焼けた真黒い丘肌から緑の草の若芽が日一日濃くなってのびています。つくしもボツボツ頭を出し始めました。もう四、五日もすれば野生のさつき (つつじ) が満開になるでしょ う。
パラダイス (楽園) を思わせる春の北満広野は、若い僕達にとっては限りなくローマンチッ ク (物語的)です。
お父さんの修用書にはさんでおかれるよう適当した美しい押し花をつくって送ってあげまし ょう。

 お写真でみる若々しいお母さんの姿を眺めてほんとに安心しました。私は白髪で覆われたよわよわしい母を想像しては淋しく考えることが多かったのですが。
お母さんのお手紙ではお父さんはそのままだとか、一年半ぶりで実際にお逢いしたようでせつない程に心懐かしく思いました。
戦友の或者は『お前はお母さんにそっくりだぞ!!』と言うし、或る者は『親父さんにそのままだぞ!!』と申します。
『僕はどちらにも似ているのがあたりまえだ!!』と言ったら
『ワー敗けたー』と言いました。ハ-------。
朝の六時と晩の八時に、いつも私は朝晩の御挨拶をしています。
お仕事の暇々に朝六時、晩の八時には忠勝が自分のお写真に一日の色々のことを話しかけて挨拶していることを思い出して下さい。

 最後にお母さんもやっとの思いでこれまでに体をとりもどされたのですから、どうぞ無理をされないようにお父さんから時々注意してあげて下さい。
少しずつは外に出て運動されるようにすすめて下さい。
お父さんもどうぞ充分体に気をつけて下さい。そして暇の時は又お手紙をよこして下さい。
今日はこれで止めましょう。サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ
五月七日









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