見出し画像

満州からの手紙#101~#105

満州からの手紙#101

 お母さん。
兵舎の影がながながと地上に横たわっています。 落日の丘に肌寒い北満の黄昏が刻一刻しのびよって来ます。

 今日は三月三日日曜日です。午前中は関東軍派遣の慰問演芸団が来隊しました。
午後は予定通りこうしてお母さんにお約束のお手紙をかいているのです。

さて今日は何からかきましょうか?

 北満は今日この頃は随分暖かくなりましたよ、今までは寒さが酷烈だったので雪はあまりひどく降らなかったのですが、今からは雪がひどく降ることでしょう。
ぼたん雪が降るようになればズーと暖かくなるのですからしめたものです。もう零下三十 度、四十度も温度が降下することもなくなりました。
窓から眺める明るい日のひざしと澄切った青い空はどうみても内地の鯉幟りでもおしたてるに似合な五月の空の色です。

 昭和十五年度から小遣帳・日誌・等を確実につけて置くことにしています。
この近く貯金はズーと止めていました。色々の書籍を沢山買ったので。しかしもう本を読むに困らぬ程出来たので、この上は又貯金をすることに心掛けるつもりです。
家に帰ってから直ぐお父さんにお小遣いをせびったりするのは嫌ですから。ハーーーーーーーー 。『へそくり』とか言うものは一家の主婦にとって絶対必要なものだそうです。お母さんも『へそくり』を僕のためでなくてお母さん達のために大切にしてください。

 将来の希望もいろいろありますが、お父さん、お母さんの考えられることに服して、そうした積もりで今から色々と出来るだけ許される範囲で勉学します。
お父さんに安心されるように伝えて下さい。

 昨日、川一のいちま君にお手紙しました。
それから半截河の窪野の軍平小父さんとこの小母さん(名前はいと) が過搬、戦友が半截河に公用でいった時、小母さんの家へ寄ったら、これを善家さんにとってかえってくれ、と言って澤山お菓子をことづけて下さいました。
こんなに遠く離れていても、昔しかわらぬ温かい思いやりに嬉し涙が出ました。お母さんから是非お礼のお手紙を差し上げてください。
宛名は、北満東安省密山県半截河、窪野いと様でお手紙が行きます。

 お父さんは度々かえられますか、お達者でしょうネ。
今日は今からお父さんにお手紙するからこの辺で止めて置きましょう。
お体の工合も大変よいとか、何よりだと思います。
どうぞくれぐれもお体を大切にして下さい。
僕のことは心配しないで下さい。
サヨウナラ。
お母さんへ
忠勝

満州からの手紙#102

 お父さん。
随分御無沙汰をしましたが、お変わりありませんか。
私は至って頑健で御奉公していますから、どうぞ御安心下さい。
内地は過搬は至る所大雪で困ったらしいですネ。
田舎におられるお父さんも雪にとじこめられてお仕事をされるのにさぞ不便や困難を覚えられたことと思います。

 北満は酷寒の間は雪は殆ど降りません。降っても小雪です。
しかし、少し暖かくなった今からが雪は多くなるのです。
満州吹雪は歌にまで歌われている程、兵隊とはきってもきれぬ関係があって有名です。
特に歩哨に立っている折、吹雪などに出逢うとレコードに吹き込まれた色々の歌をしみじみと思い出します。いよいよ後何年よの辛抱です。
満州はこのごろ冬には珍しい暖かい毎日が続きます。しかしこの暖かさは真実ではありません。きっと又寒くなるでしょう。

 今日は三日の日曜日ですが、午前中、関東軍慰問演芸団が来隊しました。しかしたいしたことはなかったです。

 お父さん。
以前と違ってこの頃は軍務の余暇は読書に気をとられているので手紙をかいてもその方に気を奪われる故か、かくことが無くて困ります。
囲碁は止めました。 お父さんの直錬を聞いて。
お父さんは相変わらずやっておいてになるでしょうネ。
敗けてばかりいるのではありませんか。今も碁会はやっておられますか。 昔はよく色々の賞品を貰って帰られたものですがネ。ハッハ−−−−−−−−。

 僕も近頃年をとったせいか 『お父さんと二人でさしむかいでお酒をのんでみたいナー』 なんて大人びたことを考えてみるようになりました。
一家団欒の円満第一主義の家!!
そんな家庭をつくって皆で愉快に暮らしていきたいもの、と思います。それが僕の将来にたいする念願です。

 僕は人より軽率な言動が多くて困ります。
満期して帰る迄にはいつも心に願っているような、男らしい落ち着いた人間になっていたいものと常々心掛け努力しております。

 みどり君、清美君の問題でこりたと言うのでもありませんが、娘さんのお相手はわずらわしくなったので、特別母や家のお世話をかけている人でないかぎりお手紙のやりとりは止めています。

 色々かきたいこともありますが、今日はこれで止めます。
どうぞお体大切にして下さい。そして暇の時はお手紙をよこして下さい。
サヨウナラ。
忠勝
お父さんへ

満州からの手紙#103

 お母さん。 三月十日附のお手紙確かに戴きました。
病気も次第に快方に向かっておいでとのことなので心から嬉しく嬉しく思っております。 どうぞこの上ともに充分体に注意して無理をされないように願って止みません。
私も近頃はすっかり筆不精者になってしまってお母さんにも色々心配をかけている模様ですが、今年に成ってから風邪一度ひかず元気で御奉公していますからどうぞ安心して下さい。

 今日は春季皇霊祭で部隊は休日だったので東安の町へ外出して戦友と遊んで来る予定だったのですが、急にとりやめに成ったので、つれづれのままに隊で酒を呑みました。
東八方と言う兵営の近くにある部落へ外出を願い出たら、准尉殿に大目玉を戴きました。ハツハ−−−−−−−。東八方に支那料理屋があるとのことなので出かけて酒でも呑みながら支那料理を喰って来ようと思ったのですが、あの部落にはピー屋 (淫売屋) が三、 四軒あるきりなんだそうです。
准尉殿が一応そう説明された後で「お前達はあしこへなんしに行くのか」と問いつめられるので目を白黒しました。
正直の処、外出が出来ると楽しんでいたのに急にとり止めに成ったので、その余勢でめったに飲んだこともない酒を呑んでみたりしました。ハ−−−−−−−。
東安の町の外出がとりやめになって、東八方で酒でもと思った外出で大目玉になって、結極班内でやったのです。昔から酒は涙かためいきか、心の憂のすてどころと歌われていますが、酒の好きでないものは酒を呑んでもふところ工合が悪くなってベソをかく以外に何のたしにもならぬようです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 
 仕事の急がしさにお便りを中途で止めてほおって置いたのです。
今日はあの日から三日後の二十四日、日曜日なのですが、湯沸の当番についているのでこうして湯沸場の隅でこのお手紙をかいているのです。

 お手紙によると歌子君が家に来られるとのことですネ。
お母さんも淋しい今迄の気がなぐさめられてよいでしょう。しかし僕はなんだか心配です。
歌ちゃんのようなお嬢さん育ちの人を、僕の現在の考えでは満足に幸福にしてあげる力はありません。
結婚生活は長い人間一生の重大問題で遊技的、享楽的一時のままごとではありません。
一時的感情のままにあの人を自分の妻に貰ったなら深い愛情が瞬時はお互いを不足のない幸福な世界へつれて行ってくれるでしょう。しかし結極必ず破端はまぬがれないと思います。

自信の無いことは僕には出来ません。

 僕の家に来て貰う女の人は何処までも世話女房でなければ一家の和楽が保てません。『お嬢さん!!』そういった人のお相手は僕には不向きです。
今の僕は女の人と手紙のやりとりや、交際はわずらわしいので失敬させて貰います。
しかし将来お嫁を貰うなら、かつてのあの人達よりもしっかりしていて、美しい人を貰いたいものと考えます。ハ−−−−−−−。

   僕はそんな人がみつかるまでは一生でも金輪際嫁さんなぞ貰いませんよ。
今からお母さんがたずねておいて下さい。ハッハ−−−−−−−。
嫁の来てがないからと言ってフトンをかるうて歩いたりなぞしませんから大丈夫です。

 歌ちゃんは一度もみたことも、話したこともない人なのですから色々とせっかちに行動するのはよくありません。
僕の考えている処では、僕の望んでいるような女性とは少しかけ離れているように思われます。後であの人の父母様やあの人を恥をかかせるようにしないことが大切です。
つまらぬことをかきました。 止めます。
お体大切にして下さい。 サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ

満州からの手紙#104

 お母さん、三月二十四日、朝出としてあるお手紙、 三月二十九日夕、確かに戴きました。
お手紙によるとお腹の病気も驚く程快方に向かっているそうですが、僕もどんなにどんなに嬉しく嬉しく思っているか知れません。
どうぞ無理をしないで下さい。お金なぞいりません。
お父さんやお母さんが元気でいて貰う以外に別に望みはありません。だから無理だけはして欲しくありません。欲に気をとられて、くれぐれも接角それまでによくなった体を悪くしないようにして下さい。
年とられたお母さんが、めちゃくちゃな若い人達と同じ働きをしようとすれば、自然、知らず知らずの間に無理が重なって体をいためてしまいます。
お父さんのように体を働かせる一方、充分、 滋養分をとって、 又或時は充分体を休養させてそれからボツボツ働いて下さい。

 一人子の僕がいないのですから、財産も何もない僕の家では、働かなくてはさしあたってお母さん達も生活して行けないのですから、体の病弱なお母さんや、年とられたお父さんにあまり無理をして貰いたくないものだ!! といくらここで考えても仕方がありません。それで生活して行ける程度に働いて、決してそれ以上に無理をするのは止めて下さい。
いつか凱旋したらその時はきっときっとどんなことをしてもお母さん達には楽をさせてみせます。
それまではどうぞ自重して無理をしないようにして下さい。そして苦しみに堪えて働いて下さい。

 お母さんの言われるように、女の人にコリコリしたと言うことはありません。ハッハ−−−−−−−−−。

 それは、お母さんの言われる通り立派な女の人も沢山あるにはあるでしょう。しかしそんな真に女らしい人は現在の僕のような貧弱な男にはとてもとりあってくれません。
男の一途な純情や、愛情だけにすべてを捧げて苦楽を共に一生を送ろうとするような心意気の娘さんは先ずないでしょうから。
たまにあったとしても一寸の試練にヘタへタと敗けてしまって人に後ろ指さされるくらいが関の山です。
恋愛でも、結婚でも、今時の女の人はどうしても功利的でエゴイスト (利己主義自分かって)で全く不快です。
女の人からのお便りに暇の時にはお返事してあげよと言われるのですか。
ハ−−−−−−−−−。
気がよほどむけば書きましょう。しかしお母さんにさえ近頃は週に一度と言った有様ですから。
まあその中に又いろいろと気もかわるでしょうから。

 慰問の小包はつきません。あれは相当に期日を要する模様です。たしか一ヶ月半か二ヶ月はかかるでしょう。
ゆっくりたのしみに待ちますよ。
軍平小父さんの処からは十五、六里離れています。しかしこの地からはるかにながめられます。

 実際月日の過ぎるのは早いですネ。
明後日は四月の一日です。
昨夜、今年になって初めて雨が降った模様です。
今夕は軽い吹雪になっていましたが、雁 (ガン)も鶴も飛び始めたし、広野の白雪も姿を消しました。そして{雲雀/ヒバリ}がチーチクチーチクさえずり始めました。
北満もなごやかな春のきざしが一日一日濃くなって来ました。

 色々と沢山かきたいのですが、もう消灯が近いから止めて置きます。しりきれ蜻蛉ですみません。
どうぞくれぐれもお体大切にして下さい。
サヨウナラ。
忠勝拝
お母さん
(三月二十九日夜)

満州からの手紙#105

お母さん。
春の曙のように闇にとざされて眠っていた僕の心にかすかな理智の芽生えが感ぜられるようになりました。
随分無智、 無能な僕だったのですが、今はもうそんなつまらぬことは考えません。
幾等おろかな自分でも、僕には僕相応の生まれて来た理由がある筈です。
地位とか権勢とか名誉とか、そんなことは別として、僕は僕でやれるだけのことを精一杯の誠心と熱意でもって果たして行けばそれでよいのです。
『偉くなろう』とか『立派にならねば』などと考えているから大切な根本の問題を考え間違いしてしまうのです。

 お母さん達を孝養してあげるにしても、物質に恵まれているブルジョアー (有産階級) のことを頭に連想して、物質第一主義で孝養しようとするから色々と無理が行くのです。
父母に対する真の孝養とは、出来もしない事柄を無理してまで尽くすことでなくて、その時々分相応に精一杯の誠心をもって孝養する!!
根本はお金などから生まれて来たものでなくて、 純情一途な誠心から、親を尊敬し慕う至情からほとばしり出たものでなければ嘘だと思います。
そうした処に地位だの物質だのと言った躯殻的なものを超越して強く結ばれた親子の愛情が一層強くなって一家の幸福が確立して行くのだと思います。
尤も子供にとって物質的に両親を充分孝養出来ぬと言うことは、他のどんなことよりも一番悲痛なことだと思います。

 要は何事に拘わらず分相応と言うことが大切ですネ。
恋愛するにしても如何なる人に恋するか、即ち自己人物に相応した恋をする。 ハ-----面白いでしょう。
故に人は恋愛によってその時の自己を露呈する訳です。だからこそ軽々しい恋愛はその人物の浅薄低劣を表す雄弁な証拠なのです。

 僕が自分にいや気がさして、すべての女の友達と交わりを断って白紙になろうとした気持ちがわかるでしょう。
僕は今、過去のあらゆることから決別して新生の子となって新しくスタートしようと努力しているのです。
真情を愛し、尊く考えるから{巫山戯/フザケ}た心情を排斥するのです。
恋愛を否、女の人との交際を暫くの間でも軽蔑したのは、恋愛がつまらぬものと考えたのでもなく、女の人が嫌いだ からでもありません。そうした世界や人達に僕の予想していなかった遊戯が多いからなのです。
恋愛は、愛情を本質としている女性にとって男性よりズーと全人格的な自己決定であって、一度相許したお互いの恋愛が破れれば女性は当然死と直面すべき真剣の問題だと信じていたからです。

『僕は何処までも一途に突進する』そうした覚悟はすでに一人の女性と恋愛する前から決していた僕の気持ちなのです。
意気地なく敗けてしまったのは、あの人達でしたが、あんな無智な人を選んで自分の将来の同伴者と決めたのは僕です。

 たれの手落ちか!!勿論僕の思慮のたりなさからです。
僕の浅薄低劣さをはっきりと示したものです。
覚悟は上出来だったのですが、 思慮がたりなかった訳です。
ハ−−−−−−−−。
又々おかしなことをかいてすみません。
お体大切にして下さい。サヨウナラ。
忠勝
お母さんへ






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?