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鮮やかな日差しと出会う冒険の始まり――いざオーストラリアへ

95年、大学を卒業したその年の12月。もう15年ほど前の話だが、100万円ほどの現金を握りしめ、オーストラリアへと向かった。

「オーストラリア行くって本当かよ?」

「ああ。ワーキングホリディビザが取ってん。1年間、自由気ままに過ごすしてくるわ。」

ワーキングホリディビザを手にし、1年間の自由な時間が僕を待っていた。人生で特別な1年だった。そんなオーストラリア生活を今一度なぞりたいと思った。

「12月2日、12時?関空まで見送りにいくよ?」

数名の友人が見送りに来てくれた。


「ほな、行ってくるわ。」

まずはトランジットでシンガポールへ。

シンガポールでの一夜。翌朝パースに向かう予定になっている。空港に泊まるか、市内に出かけるか迷ったが、いきなり空港での宿泊はつらそうだったので、市内の「BOON WAH HOTEL」というホテルを空港で予約してもらい、タクシーで向かった。60ドルかかったが、その時点ではまだ資金に余裕があると思っていた。

到着したホテルはひどい所だったが、どうしようもなかったので寝ることに決めた。しかし、思った以上に言葉が通じなくて困った。

結構べんきょうしたんだけどな。

翌朝、飛行機が予定通りに飛ばず、到着は午後3時くらい。空から見たオーストラリアは茶色の大地と緑のエリアで構成されていた。いよいよオーストラリアだという気分になってきた。

空港を出ると、ホストファミリーのフィリー夫妻が迎えに来てくれていた。待たせてしまったようだが、初めてオーストラリアの日差しを浴びた瞬間は今でも鮮明に覚えている。感動だった。明日から通う学校や家までの道順を車で教えてもらい、家に連れて行ってもらった。ここが1年間の最初の拠点となる家だ。外国のドラマに出てくるような雰囲気のきれいな家。ワクワクが止まらなかった。

「すごくいい感じだ。明日から学校が始まるから、英語の勉強がんばらないと。」

言葉が通じないのはつらかったが、明日からの英語学校に向けて頑張ろうと心に誓った。

「きっと大丈夫だ!」

冒険の幕が上がる。想像もできない1年間の始まりだった。


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