自己否定の先に見えたもの
大阪の平野という下町で、金属塗装業の社長(言うたら町工場のオヤジ)をしたり、カフェサクエバのオーナーだったり、不動産オーナー業をしたり面白いと思う事には手を出してたりします!
今回は初回という事で、これからどんな事をしていきたいのか?これまでの経験でなぜそんな風になったのかを書いておきたいと思います。少し長くなるかもですが、読んでもらえれば幸いです!
1 面白すぎるこの時代にどんな道を進むのか
去年私は50歳になりました。若いと言われても人生の半分くらいにはきたという事を、否が応でも数字が自覚させてくれます。たとえ体力には多少自信があっても。
40代後半は継いだ会社をどの方向へ進めていけばいいのか?を考える事に時間を使うことになりました。ただ、20代と比べると挽回がききにくいと判断し、ここに時間を割く事にしました。
どんな道を進んでいく事にしたのか?
自分の人生の今が半分と言ったように、100歳まで生きる可能性が大きくなってきた。もちろんポジティブな面ではあるが、世間ではネガティブな事と捉えられていないだろうか?
社会保障費増大とか老後2000万円問題、あとは介護の問題であったり。あと、70歳くらいで死にたいなんて事を聞く事もある。でも無理なんです。希望通りには死ねないんです。
それなら健康で楽しく暮らしていきたいんです。
なぜ年とることが不安なのか?それは身体と頭とお金の将来が見えないから。介助される自分やお金に苦労するの未来が見えてしまってるからではないのか。
しかし将来どうなるかなんて誰にもわからない。今しなければならない事は不安に対して動く事ではなくて、進んでいきたい方向に一歩ずつ進んでいく事です。マラソン完走も一歩ずつの集合体!
そうは言ってもどうしたらいいのかわからない。なんとなく聞こえてきそうです。その答えは1人でなんでもしようとしない事にありそうな気がしてます。
この個人主義が進んでしまった現代日本で、個人にだけ任せるのではなく、政治に依存するのではなく、会社として対応できる形を考えています。
人生の後半はここに注力します。そんな中で、課題に感じてる1つがこれです。
日本人は学校出たら自分から勉強しない問題。これは受験制度や新卒一括採用が主な原因だと思うが、いずれにしても世界でもトップクラスの勉強嫌いです。
そりゃ、戦おうにも戦えない。もちろん努力しないという選択肢もあります。
これまでは先人の貯蓄でやってこれたが、この先は難しいというのが私の考え。個人の問題と言ってしまえばそれまでだし、国としてもリカレント教育とか推進しようとしてる。それだけでは厳しい。
そもそも学ぶ楽しさみたいなのを、どこに置いてきてしまったのでしょうか?もちろんそんな人ばかりではない事は重々承知の上で言いますが。
2 会社を使ってこんな事をやろうと考えるようになった転換点
なぜいろんな事を考えるようになったのか?自己否定をする事で何が変わったのでしょうか?
たまたま事業をやってる家の息子に生まれたものとして、持ってるものを活かして役立てていきたいなと思うようになりました。
そういう考えに行き着く転換点が以下の内容になります。
まずは、順風満帆で大学まで入ってぼんやり生きてた私。ところが卒業できないかもしれない、就職もないという事になってしまった。それまで挫折らしい事もなかったので、どうすればいいのかわからなかった。
プライドだけは立派なので、なんて事ないふりはしてたと思います。
ただ、これがきっかけでオーストラリアにワーホリビザを使って行きます。これが一つ目の転機でした。初めて日本社会のレールから外れた気がしました。
最高じゃないか。
では向こうにいた一年で、何を学んできたのでしょうか?
それは・・・
どんなルートであろうと生きていけるし、いろんなチャンスはあるという事。自分で考えて行動する事が一番大事なんだと。
そんなこんなで帰国して、神座というラーメン屋さんで5年程働いてから、家業のほうに戻ることになりました。
それから5年35歳で参加した、なにわあきんど塾経営者塾で1年間勉強します。ここで学ぶ事の重要性と楽しさを学びました。
それまでは勉強もやってなかった自分が、偉そうには言えないですね。
そして月日は経ち
2017年の秋に出会った一冊の本
『革命のファンファーレ』
衝撃を受けたとはこの事。当時立て続けに幻冬舎さんからビジネス書が立て続けに出版されてたが、その中でも圧倒されたのがこの本です。
そこから講演会に行ったり、オンラインサロンに入って活動して影響を受けていくことになります。世の中の常識とかってもしかしたら、別の見方すれば間違ってる事あるんじゃないかと考えるようになった。
工場の使われなくなった場所を使ってカフェをつくり、クラファンで資金を集めてみようかと考えたのも、常識とは違うやり方でもやれる事を証明したかったからです。
そんな風にやってきたのですが、ここからさらに違うステージに進んでいくには、今のOSでは難しいと判断して自己否定に時間をかけました。
どういうことかというと
60年という会社の歴史の重みで、自分の行動が引っ張られてきた事。鎖のように身動きが取れないようにしてました。これ気づかないんです。経験積んでパワーアップしてると特に。
父親への対抗意識か周りの目が気になるのか、変えるという事が目的になって突っ走ってしまったり。
その反動で自己証明のための行動になってしまったり。
そんなことしてたら、なかなかドライブしないですよね。
そこに気づいてしまった限りは、正しい努力をしていかないと自己矛盾が起こってしまうので、できるだけ正直に生きていきたいなと思う51歳手前。
次回の投稿からは自分が好きなテーマで具体的な事を書いていきます。
最後までお読みいただきありがとうございました😊
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