家族写真を撮る、それが私の夢
私の家族は全員生きている。
生まれてきて28年、もうすぐ29年。
幼少期の記憶が朧気な私の記憶に、家族が揃った光景は存在しない。
母、私、妹がいる。
私と母がいる。
私と父がいる。
それぞれ記憶にあるのに、4人揃っていた記憶がない。
私の核家族としての構成は父・母・私・妹の4人。
建設業で個人事業主を営む父と、Web関連の仕事を務める母と、Web系フリーランスの私と、障害者施設に入所している妹。
両親は私が小学1-2年生の頃に、妹の育児方針が合わず離婚した。
当時の私は理解出来てなかっただろうが、障害児を育てるというのは想像を絶する苦労だっただろう。
たまたま先日の帰省時に発掘した、妹が保育園児年中さんの頃の育児日記を読んでいても気苦労が分かる。
妹は母に引き取られ、私は父親に引き取られた。
離婚はしたものの、どちらかの不貞行為やハラスメント、喧嘩などで離婚したわけではないから今でも仲はいい。
なお、母は再婚している。
離婚後から、私を育ててくれたのは父方の祖母・伯母・父だった。もちろん祖母と伯母を家族だと思っていないわけではない。
いつから夢見てたのかと聞かれると定かではないけれど、少なくとも私が中学生の頃にはぼんやりと「いつか私と両親、妹の4人で会いたいなぁ」と思うようになっていた。
中高生時代、私はソフトテニス部に入っていた。特に中学校なんて地元なので、出身校を会場に練習試合をした時は部員の保護者が手伝いや見学にくる頻度はとても多かった記憶がある。
私の家族は祖母が来てくれることがほとんどで、もちろん嬉しかった。本当にたまーに父親が顔を見せることもあったかな。
でも、嬉しかったと同時に寂しかった。
何でほかの部員はお父さんお母さんがきたり両親揃って見学に来たりしてるのに、私の両親は来ないんだろうと考えて、考えても仕方ないと諦めていた。
中学生時代には母や妹に会いに行く頻度が多かったけど、高校生になると関東大会クラスの運動部だったので練習がスパルタのこと火の如し。
いつからか母や妹に会いに行く時間が少なくなっていた。
その頃には自我が確立され始めたり思春期だったりとタイミングが悪かったのもある。
それでも、家族4人で会いたいという夢は色褪せず私の中で残っていた。
私が大学入学した頃に妹が障害者施設に入所したのを聞き、せめて両親と私の3人からでも会えないだろうかと思い、悩み、親とのコミュニケーションの取り方に試行錯誤しては失敗する日々を送っていた。
両親と自分が揃いたい、そんなささやかな願い。そんな小さな願いは、私にとって最悪の形で実現したのだった。
2019年9月、私は自殺企図で友人に警察へ通報された。
当時の精神状態がイカレきっていた私は警察に保護され、よりにもよって両親が揃って迎えに来ることになってしまった。
皮肉にも程があるだろう。
あんなにも長く、ずっと私が焦がれていたことは私の自殺企図がきっかけで叶ってしまった。
警察署に両親が来た時、私は一瞬泣きそうな顔をしただろう。
両親が揃って到着した時、私は泣きそうになった。
親の顔を見た安心感ではなく、迷惑を掛けた罪悪感でもなく、最悪の形で夢が叶った絶望感で。
その日パトカーに乗せられて警察署へ向かう時の打ち付けるような雨が、やけに鮮明な記憶として遺っている。
警察署を出た時は、私の泣き出したい心境と裏腹に雨は上がり、私の言語化できない心中のようにアスファルトは真っ黒だった。
もうひとつ皮肉がある。
自殺企図を切っ掛けとして、両親とのコミュニケーションが円滑になった。ろくでもないぜこの世界。
そして、自殺企図を起こしてから自分の精神状態と向き合い当社比精神状態が安定した私は、2023年に結婚した。
結婚相手となると、私の夫は民法上の配偶者であり家族になる。
その愛する新しい家族が私が愛してやまない家族と笑って食事をする場面を初めて目にした時、警察署で抱いた感情と別口で思わず泣きそうになり自分の中で答えが出た。
私はずっと、家族が揃って笑う場面を見たかったのだ。私の日常の延長線沿いに、確かに家族の存在がある。
私の家族は私の日常にまぎれもなく存在するんだと認識したくて、ずっと家族写真を撮りたいと思っていたのだと理解した。
その時、私・夫・両親で撮影した写真は今でもたまに見返している。私が愛してやまない家族だ。
そして、私はもう1つ理解した。結局のところ、それぞれの仕事やタイミングがあると気合いで"切っ掛け"を作らなければ私の家族が揃うことは難しいのだと。
であれば、きっかけを作ればいい。例えば、私と夫の親族のみ呼ぶ結婚式とか。
もともと私と夫はフォトウェディングでいいかな、でも祖母に見せたいから親族婚だけでもやりたいな、みたいなことを話していた。
そこに妹も参列して貰えたら、私と夫、夫の家族、祖母たちも交えた私の家族で家族写真を撮れるのではないだろうか。
もちろん、普段障害者施設に入ってる妹の当日介護をどうするのかなどの障壁はあり、まだ現実味は薄い。
なんなら、もう妹はコロナ期も含めて会いに行けてない妹不幸の姉を覚えていないかもしれない。
考えるべきことは山のようにあるけれども、まだ現実味を帯びている状況だ。これを加速させない理由はない。
家族写真を撮りたい。そんなささやかだけど、15年以上叶わなかった私の夢。
近い未来で実現させ、自己満足で終わらせないため、協力的で居てくれる夫と相談して行こうと思う。
問題はどう情報収集をするか、というところ。障害者の身内を持つ人が親族のみとはいえ結婚式を挙げるとなると何から始めるべきか。
そもそも、これは私の自己満でしかないからそれに施設に入所してる妹を付き合わせていいのかという不安もある。というか免疫的な意味で外出出来るのだろうか。
諸々配慮できる点を考えると、規模は小さくともそこそこお金がかかりそうだ。少し気が遠くなる。
私ひとりで完結する話ではないので、実現は難しいかもしれない。それでも、できる所まではやってみよう。
家族写真、撮れるといいな。
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