イチブトゼンブ

私はBzの「イチブトゼンブ」が好きだ。あれは恋愛について歌ったものだと思うけど、何にでも言えると思う。

全て何かの一部ってことに僕らは気付かない
あくまで何でも征服したがる
完璧を追い求め
愛し抜けるポイントが一つありゃいいのに

好きになったら相手の全てを知りたくなる。恋愛感情が友情と違うのは、独占欲があるかどうかだって何かで読んだことがある。
相手が他の異性といても何ら心動かされないなら、それは友達といるのと変わらない。
いくらセックスはしてる相手でも、独占欲が無いならそれはただのセフレで、それが性愛と恋愛の違いでもあるらしい。
だから束縛される方が嬉しいという人もいる。強すぎると束縛魔やストーカーになるけど、無さ過ぎると好きではないことになるから。

実際には相手の全てを知るなんて、まず無理なことで。人は相手によって違うページをいくつも持つ本のような存在。
それでも私たちは全て征服しようとしたがる。あるいは自分が知っている一面を全てだと思いたがる。
本当は自分が知っている一面を愛し抜けたらそれでいいのに。
というような意味だと思う。
足るを知る、みたいなまた仏教的なものを感じるな。

あと何を思い浮かべたんだっけ。
そうそう、キャンセルカルチャーとかも、相手の一部だけを見て、全てを知った気になって、差別主義者とレッテルを貼るところが似てるんだ。
私もそうだったけど、やっぱり左翼思考の人は白黒はっきりさせたい完璧主義の人が多いのだと思う。

一方で、対立する意見も見方が違うだけで、どちらも一面では正しいのかもしれない、と最近思った。
私がネトサヨやってた時は、保守的な意見というものは全て左翼を悪く言うための嫌がらせで、聞く必要の無いものだと思っていた。
今は保守的な意見を見ると、「あれ?見方が違うだけで、結構まともな指摘をしてるのでは?」と思うようになった。

派閥に別れると、自分の属する派閥が完全に正しいと、無意識に思い込んでしまうのだとびっくりした。
ある種の洗脳、ていうか宗教だったのだと思う。

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