ここがヘンだよリベラルシリーズ①「生まれつきの違い」はタブー
私は元々超リベラル信者だったんだけど、最近あれぇ?と思うことが多すぎて、ほぼ保守に転向状態になっております。
何度か記事は書いてきたけれどちゃんと書いてなかったと思うので自己紹介を。
私は元々大学の社会学部心理学科という、もろリベラルバイアス係りまくりの文系学部卒で、そこを出てからもしばらく洗脳が溶けず、「フェミニストやがなんか文句あるんかい!」いう感じでフェミ押忍!(イタイ笑)マインドを拗らせておりました。
あぁ、あの頃は若かったなぁ、と想いながら(遠い目)、筆を滑らせて(いや叩いて?)おります。
そんな私がリベラルのおかしいと思うところ、なるたけわかりやすく、今回から5回にわたって(5回で収まるかは分からんが…)まとめてみようと思います。
これは勿論批判的文脈で書いた記事ですが、だからこそリベラルの全体像に迫れるものであると自負しています(勿論私見ですが)。
世間的にも、特に若い世代は「リベラルって漠然と良いもの」と思ってその中身を理解していない人は多いと思います。
もしかしたら今までリベラルだと思っていたことのイメージがガラッと変わるかもしれませんよ。私自身、今まで自分がリベラルだと思っていたものがそうではなかったことを知って愕然としたものです。。
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①「生まれつきの違い」はタブー
私そもそも、女性に優しくしなければいけないのは女性の方が「生まれつき」身体的・性的な負担が多い(生理や出産、性的被害のリスク等)からだと思っていたんです。私以外にもそう思っている人は多いと思います。が、それは伝統的な女性保護の発想であって、リベラルの発想ではなかったようなんですね。
うっすらお気付きの方もいるかもしれませんが、リベラル界隈で「生まれつきの違い」を重視した発想てのはタブーなんです。
例えば、「障害者は生まれつきの障害によって苦労している」とか、「女性は生まれつき生理があり子供を産める」とか、「男性は生まれつき性欲の強い人が多い」とか。
「えっ?当たり前のことじゃん?何か間違ったこと言った?」と思うかもしれませんが、これ、タブーなんです。
なぜかというと、リベラルは人間の全ての傾向を「社会的に造られたもの」と見做して、「全て変えられるもの」と信仰しているからです。「生まれつきのもの」が強いとなると、社会を変えたところで人は変わらないじゃん、となってしまうからなんです。もっと言うと、社会の構造のせいで不平等になっているだけで、それが無ければ「人間は元々平等だ」と考えている訳です。
だから、「障害者は障害によって苦しんでいるのではなく社会の無理解に苦しんでいる、社会が変われば障害は無くなる」「就業における格差は男女の違いによるものではなく、社会の男女差別によるもので、社会が変われば女性も男性と同じだけ働ける」という発想になる訳です。
実際にそれも理に適っている面はあって、ここ数十年で女性の社会進出はかなり進み、日本でも夫婦のいる世帯のうち共働き世帯が7割を超えています⑴。
では、この「生まれつきタブー」は特に問題無いのでしょうか?
いえ、大アリです。
生まれつきの性質が軽視されるってことは、「生まれつきの負担や苦しみ」は軽視されるってことです。
生理が重い女性も結構多いです。なら生理用品配布や薬に頼ればいいって?
薬って体質によって効かないことも多いんですよ。たとえ効いても取ってくれるのは腹部の疼痛のみで、身体全体のだるさや倦怠感、精神的な辛さは薬では取れません。
第二次大戦中のソ連では、男女平等理念の下、驚くべきことに100万人の女性兵士が活躍したそうです。だけど当時の女性兵士の扱いは「男性と同じ」にすることしか考えられておらず、生理用品の配給も無かったため、女性兵士は兵隊服から月経血を流しながら訓練に耐えていたそうです⑵。
幸い?彼女達は志願して兵士になったそうなのでまだいいですが、女性全員が徴兵されることになれば、生理負担の軽い人も重い人もいて、重い人は多大な苦痛を味わされるか、兵力にならないでしょう。生まれつきの負担を軽視することで苦しむことになるのは結局女性自身なのです。
男女平等が進んでいると言われる北欧スウェーデンでも、パートタイマー比率は女性が男性の2倍となっており、女性が就く職種は教育及び介護福祉といった、従来の女性の役割を仕事にした職種が多くなっています。
男性は製造・建設・情報通信といった職種が多く、性別によって「オンナ業種」「オトコ業種」に分かれていることが示唆されています。やはり長い間やってきた仕事に適性があるのではないでしょうか⑶。
リベラルはこうした生まれつきの「適性」というものを否定したがりますが、誰でも自分に向いた仕事をする方が幸せではないかと思うのです。
もちろん、個人差はあって女性でオトコ業種が向いている人はその仕事をがんばり、周囲も受け入れる努力をすべきでしょう。だけど、今のように男女の性差を全て否定して、全く差を無くすよう不自然な努力をすることが幸せであるとは思えません。
実際に、男女平等が進んでいるといわれる欧州でも、女性達の幸福度は昔よりも下がってきているそうです。それは、ただでさえ生まれつきの負担が多い上に、家事に仕事に、昔よりも仕事量が増えたからではないでしょうか。
女性保護というのはリベラルだけではなく実は保守もやってきたことです。女性は家、男性は外で仕事をするというのも、身体的負担の多い女性にはその方が合っていると考えられたからでしょう。レディファースト等の文化も、毎月の生理負担に苦しむ女性に席を譲ってあげたりするのが立派な女性保護であると私は感じます。
普通に考えて、非常に理に適っていること(そして女性達の為にもなること)を、リベラルは「男女差別」「家父長制」と言って否定ばかりしてきました。
私がずっと観察していて気付いたリベラルの特徴は「自然状態の否定」です。
実はリベラルにはそれらの発想の支柱となる思想があります。近代ではイギリス経験論のジョンロックが唱えたタブララサ論というものです。人間の心は、その誕生の時点において、言わば何も書き込まれていない白紙の状態、すなわち、タブラ・ラサ(tabula rasa、空白の書字板)の状態にあるとする思想です⑷。
人間は生まれた頃にはまだ何も決まっていない、経験次第で何にでもなれる、というので教育の分野で好まれる考え方でもあります。だけどそれは、真っさらな状態の人間をいかようにも操作出来る、という危険な操作欲求とも繋がっています。
これが後の構築主義(全てのものは社会的に作られたもので、変更可能とする思想)に繋がっていきます。それに対し、人間の特徴は生得的な基盤に立つものだから変更不可能とする立場を本質主義といいます⑸。
男女差で言えばジェンダーを重視する立場が構築主義、生物学的性を重視する立場が本質主義、というわけですね。
今LGBTやトランスカルチャーと言われるものは、この生物学的性まで自分で変えられる、として科学の分野まで侵食してきています。トイレや風呂のセックスによる区別を壊そうとしているのも、構築主義の信仰によるものなのです。
リベラルを単に男女平等や差別撤廃を掲げる正義の思想と見做す前に、人間の自然秩序を破壊して、不自然で人工的な理想を押し付ける負の面は認識しておく必要があります。社会が変われば個人が何も努力しなくても誰もが幸せになれる、なんて非現実的なユートピア論です。
人間は元々不平等な存在です。どんなに社会を変えても憂き目を見る弱者がゼロになることはまず無いでしょう。その上で、強者が弱者を搾取するか、弱者を保護し守ろうとするかは、人格と道徳の問題なのです。
参考文献
⑴ https://www.cr.mufg.jp/mycard/knowledge/23061/index.html#:~:text=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E3%81%AE%E7%B4%847%E5%89%B2%E3%81%AF%E5%85%B1%E5%83%8D%E3%81%8D,-%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E3%81%A7%E5%83%8D%E3%81%8F&text=%E5%86%85%E9%96%A3%E5%BA%9C%E3%81%AE%E3%80%8C%E7%94%B7%E5%A5%B3%E5%85%B1%E5%90%8C,%E3%81%AB%E3%81%BE%E3%81%A7%E9%81%94%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
⑵ 戦争は女の顔をしていない 1 https://amzn.asia/d/eCdhdLV
⑶https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2018/04/pdf/061-070.pdf
⑷ https://information-station.xyz/7012.html
⑸ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E6%A7%8B%E7%AF%89%E4%B8%BB%E7%BE%A9
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