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政治問題と承認問題の混同が問題の本質では

この映画はホント、今までのキラキラリベラル的欧米かー像を打ち破ってくれたと思う。
欧米かーは汚い部分を見せたがらないから(それがキリスト教で統制されてきてたから?)、人間味が無くて理解しづらかったけど、土着宗教にはこんな血生臭くて愚かな人間の側面があったのだと思うと親近感が持てた笑。

主人公のダニーは、家族の喪失という人間にとって非常に本質的な不幸に苦しんでいた。
彼女にLGBTへの配慮や女性の権利を掲げるフェミニズムやリベラルを奨めたところで、救われただろうか?
日本人にリベラルが、そして欧米人を理解出来ないのは(逆も然り)そのせいではないかと思う。理想主義も一種の信仰だから、宗教の無い日本人には理解しがたいんではないか。
リベラルも宗教も理想主義者も、人間の傷つきやすい実存を置いてきぼりにして、飛躍した理想ばかり追求する。
「今ここ」(瞑想を説明する時によく使われる言葉)には無い理想を信じ続けるっていうのは、やっぱり信仰に近いと思う。
長らく一神教が支配してきた欧米かーだからこそ、リベラルの夢想が通用しやすかったのではないか。

だけど政治は基本的には金や物資、物理的支援を提供するもので(間接的には作用するにしても)、実存的な不幸には対処しえない。
それに政治的な不幸と実存的な不幸はとても複雑に絡み合っていて、境界線を引くのはすごく難しい。
そして世界全体が物理的には豊かになってきた今、政治的な問題と承認欲求の問題の区別が付かなくなってきているのだと思う。

黒人や女性にも参政権を与えよ!というのは真に政治的な問題だけれど、女性やLGBTにはもう参政権は与えられている。
そうなるともう、女性も男のように在ることを認めろ!女性らしい男も認めろ!性が無いことも認めろ!という承認欲求の問題になってくる。
承認されないというのは誰にでもある実存的な不幸だから、知らんがなという話なのに、何でもかんでも政治に結びつけようとする。
それなら弱者男性はどうだ、インセルはどうだ、と他の承認弱者が張り合ってきてワヤになるのは当たり前だと思うな。

そういう承認弱者の声が大きくなってくることで、本当に政治の対象となる物理的・経済的・歴史的に作られてきた貧困層が押しのけられることほど酷いことは無いと思う。
欧米中心主義で、土着宗教のままの日本人の苦しみより白人女性の苦しみの方を優先するフェミニズムグループはまさにそうだったと思う。
彼女らは自分の不幸を自民族内でしか比べておらず、他民族と比べたらまだマシかもしれないという感覚が無かったからとても冷たかった。

豊かだった前の世代と比べて自分達がどれだけ不幸か、という視点しかなく、相対的に見れば黒人やヒスパニック層の苦しみと比べたら知れているのに、自分の不幸のことしか考えないトランピストにこそ近かったと思う。

そんな独りよがりな人間にはなりたくない。

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