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男根左翼マジキモい

さっき小川たまかさんのこの記事見てて、「ホンマそれ!ウチもずっと思とったわ!」てなった。
少年法の固持にしても、なんでこの国の左翼は人権というと「加害者の人権を守ること」の方にばかり行くのか…。
普通被害者の人権がまず第一やろ。だから善良な市民にも嫌われるんじゃないか、と私自身左端のフェミニストでありながら思う。

それは「加害者」たりえるのが男が多いからで、この国の左翼は「男の」人権を守る気しかないからではないかと思えてくる。
最近こういう人らは「男根左翼」と呼ぶことにした。男のエゴ丸出しの男根左翼マジキモい。本当は「弱者」の人権を守るのが左翼であるはずなのに。

「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」
性交同意年齢についての議論の中で、立憲民主党の本多氏のこの発言が批判されたというこのニュースは以前定食屋のテレビで見た。
鶏肉の山賊焼き定食を食べながら。
「どうせそんな奴出てくるやろな…」と既視感を感じながら見てた。
今日本の性交同意年齢は13歳で、低過ぎることが議論されている。が、「子どもの性的自己決定権」を守るべきというもっともらしい主張をする者がいるらしい。

こんなめちゃくちゃな話に一々説明しなきゃいけないのが悲しくなるけど、
まず第一に「自己決定には自由意志が必要」で、
第二に「権力の差は弱者の自由意志を妨げる可能性が高い」
第三に「年少者の判断力は自分では選べない環境に左右される」
とフェミ哲学者は主張しよう。

第一について、人が何かを判断していると言えるのは、そこに自由意志が成り立つ時だけである。
動物と比べてみると分かりやすいけど、ライオンが他の動物を殺すことは自由意志か?というとそうではない。彼らは元々肉食動物で、他の動物を殺して食べるようプログラミングされている。殺さないことも出来るじゃないか、と言っても殺して食べなければ死んでしまうだけである。
要するに選択肢が無い中での判断は自己決定とは呼ばないのである。ライオンの例は大学で確かカント哲学の講義で聞いた話だ。

第二について、権力の差がある関係の中で自己決定という言葉を使うのは、非常に慎重になるべきだ。例えば親子について、子どもが自分の思い通りに行動しないなら、親は子どもに食事を与えないことが出来るし、家から追い出すことができる。あからさまに虐待しなくても、これらのことを仄めかすだけで子どもの行動を支配出来てしまう。
この話に当てはめると、社会的・経済的に自立できる成人男性と、年長者の庇護を受けなければ生きていけない子どもとでは、権力の差があり、その力を濫用して、大人は子どもの自由意志を支配しうる。

第三について、大人になればある程度自分が身を置く環境を選べるけれど、子どもは親を選べないし、住む家、通う学校、食べるもの、そのほとんどを選べない。選べないことで、大人に依存せざるを得ないのだ。

よって、子どもの性的自己決定権は「育むべきもの」であり、最初から「存在するもの」ではないと考えられる。

要するに、50近くのおっさんが14歳の子と性交するのは「フェアじゃない」から捕まっても「おかしくない」のである。
確かに、映画「レオン」のように、不遇な環境から救ってくれたおじさんを本当に「好き」になる子どももいるかもしれないが、それだって不遇な環境から迫られた判断だと言える。

確率的には養父または実父から性的虐待されて、家を追い出されたら生きていく術のない子どもが「同意」するしかなかった、という事例の方が断然現実的であると言える。

そういうとんでもない「不遇な」環境で「同意させられた」からといって、何十年にも渡って自分を性的虐待してきた父親が「無罪」になったら、と考えるとどうだろうか。

信じられないくらい醜悪な話である。しかも日本では最近現実にそういった事件に無罪判決が下されたのだ。

本当に日本の性交同意年齢は、13歳でいいのだろうか。

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