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そもそも男を相手にしてへんからではないか

この記事を読んで、古市さんの「絶望の国の幸福な若者達」を思い出した。
あれは「未来に希望を持ってる人よりも将来を諦めている人の方が幸福度が高い」という可能性について書いた本だった。

この記事は、ジェンダー平等が進んでいてリベラル的であるはずの欧米の女性よりも、保守的であるはずの日本人女性の幸福度が高いのはなぜか、ということについて書いたものだ。
古市さん風に言うと、ジェンダー平等に希望を持ってる欧米人女性よりも、諦めている日本人女性の方が幸福度が高い、ということになる。これは日本の左翼界隈でよく言われることで、ジェンダー平等が達成されるまでは苦しい道のりだが、闘わずにお手軽な幸せで満足するよりも平等のために闘う方が尊いことなのだ、と言って女性を鼓舞(洗脳)するコラムを書いていた人もいた。

この記事の著者は、日本では子を持つ前の女性の方が幸福度が高くなる傾向にあることから、日本人女性の幸福度が高くなった理由の一つに少子化を挙げている。
昔に比べて今は晩婚化・少子化によって女性が子を産むまでの期間が伸びている、または一人も産まないようになったから、子育ての労苦が軽くなって幸福度が増した、ということである。
しかしそれは著者も書いてるように、欧米人女性も少子化の影響を受けているはずだから、特に日本人女性だけに当てはまる理由ではない。

私は大学で社会心理学をやっていたから、こういう時いつも心理的な要因を考える癖がある。
統計には絶対挙がってこないようなことだけど、結婚についての日本人女性の言説を分析していると、独特のニヒリズム的な物言いがある(日本のことわざは大抵ニヒリズム的だけど)。
「亭主元気で留守がいい」「鬼の居ぬ間に洗濯」「(結婚対象の男性のことを指して)物件」「(夫の好きなところは?という問いに)馬車馬のように働くところ」
醒めてるというか達観してるというか…笑。
昔からこれだけ男女別教育が普及してた国だから、日本には「男女は分かり合えなくて当たり前」という冷めた見方がある。

分かり合えなくて当たり前だから、相手に期待しない(男に期待するのは動かぬ物質的価値だけ)→期待するのは自分の手が届く範囲のみ(子どもや、自分の趣味、仕事、生きがいetc)→社会的理想に対して失望することがないから幸せという図式が成り立つ気がする。

今またフェミニズムLINEグループに入ってディスカッションしてるんだけど、「今ここ」ではない場所に理想的で完璧な世界がきっとあるはず、という理想主義がやはり欧米かーは強いんだなぁ、とびっくりする。
詳しくは別のブログで書くけど、私はある種の理想を持った集団というのは何でも宗教のようなものだと思っている。
その理想に沿わないものにはどうしても風当たりが激しくなるからだ。
世界の大抵の民は保守的で当たり前で、今ここにある風習や掟を守ることで共同体に受け入れてもらう。

キリスト教的な「異邦人への愛」や「弱者救済」等、リベラル的な宗教を説いてしまう欧米かーの方が世界全体からしたら相当特殊なのではないかと思う。
そのLINEグループにいると、やはり主催者は白人なので、リベラル前提の目線で見てるから逆に日本のフェミの苦境はなかなか伝わらない、というジレンマに苦しむことになる。
なんというか、単純思考なのだ。私はそのフェミLINEで物事はそう単純ではない、ということを欧米かーに説いていきたいと思っている。

イスラム圏とかもまだ宗教が生きてるから何というか素直な感じするけど、植民地化の経験があるアジアや日本かーはそういう一神教が主流だった国と比べると性格がリアリズムかつニヒリズム的なように思う。
保守的で当たり前だからこそ、その中を生き抜く心理的な戦略に長けている、というか。

要するに、日本人女性は面従腹背で、男を相手にしてへんから幸せなんやないかと思うのである。

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