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石川五右衛門3世―但し直系ではない/五右衛門3世、登場④


五右衛門3世、登場③
五右衛門3世、登場③


 おえんの話が気になったので、たえの部屋をのぞいてみることにした。
 決してスケベ心からではない。第一、俺には、心の弥勒菩薩、如信尼にょしんに様がいる。如信尼様のおひざ元で、不埒など働くわけがない。

 椿寿院に来て半月経つというのに、妙は、まだ、離れにいた。
 おえんの言う通り、本当に寝込んでしまっている。

「大丈夫かい、お妙さん」

声を掛けると、びくっとして目を開けた。
「宗十郎!」
叫ぶなり、飛び起きようとするから、俺は慌てた。

「俺だよ! 五右衛門だよ!」
「怖い! 宗十郎が帰ってきた!」

 悲鳴をあげ、逃げようとする。
 あわてて、その手を掴んだ。

「しっかりしろ、お妙さん! 宗十郎は死んだろ?」
「いや! 離して! あたしを殺さないで!」

「殺、いやいやいや」

「宗十郎! 宗十郎が、あたしを殺す!」
「しっ!」

思わず俺は前歯の隙間から、強く息を吐きだした。

「宗十郎はもう、死んでいる。それは、あんたが一番よく知っているだろ?」

 途端に、妙の体が、しなしなと床の上に崩れ落ちてしまった。まるで、張り詰めていた糸が切れてしまったようだ。

「大丈夫だ。宗十郎にはもう、お前さんを傷つけることはできない」

 言い聞かせるようにして、布団の中に押し込む。
 お妙が、さめざめと泣きだした。

「あたしが……あたしが殺したんだ」
「お妙さんはただ、自分の身を守っただけだ」

 優しさをありったけ動員して、お妙さんの耳元で、俺は囁いた。

 あの日。
 椿寿院に逃げきた妙を、夫の宗十郎は追ってきた。

 「俺は寂しいんだよ。おめえに置いて行かれて、なあ」
 寺の離れに忍び込んだ宗十郎は言った。懐から、小刀を出す。

「女房に出ていかれて、俺は、恥をかいた。この落とし前はつけてもらわねえとなあ」
 言葉が終わる前に、妙に襲い掛かってきた。

 最初の一撃を、幸いにも、妙は躱すことができた。
 寝床に、半分起き上がっていたおかげだ。

 獲物を刺し損じ、宗十郎は激昂した。
 四つん這いになって逃げようとする妙の髪を掴み、引き戻そうとする。

 絶体絶命だった。

 宗十郎にうつ伏せに組み敷かれ、妙は暴れた。長い髪は、後ろから握られたままだ。このままでは、喉笛を掻き切られてしまう。

 うつ伏せではあったが、少し横向きの姿勢だった。両手は自由に使えた。対して宗十郎は、髪と小刀を握っている分、手が使えない。

 渾身の力で、妙は、宗十郎を弾き飛ばした。
 なおも捕まえようとする宗十郎と、もみ合いになった。
 そして……。

 ふいに、低い呻きが聞こえた。
 妙の体に重くのしかかっていた宗十郎がくずれ落ち……。

 騒ぎに気がつき、独歩が駆けつけた。

 椿寿院で養育されながら、独歩は、寺男のような役をしている。この日も、わずかな畑の見回りからの帰りだった。
 すぐに、独歩は、自分の手には負えないことを悟った。

 賢明にも彼は、隣のあばら屋に住む俺を迎えに来た。
 俺たちが、寺に向かった時には、すでに宗十郎はこと切れていた。

 亡骸のそばには、妙が、呆然として立っていた。手にはまだ、血の付いた匕首を握ったままだった。


 血まみれの遺体と、匕首を握った手をだらりと下げた女。
 その時、独歩が言ったのだ。

「五右衛門。この死体は使える」

 金倉屋から米を盗み出し、貧しい人々に分けてやるには、どうしたらいいか。
 俺が捕まらずに、だ。
 その方法を、考えていた時だった……。

 幸い寺には、俺と独歩しかいなかった。
 使ことを思いついたのは、賢い独歩だった。

 だが、この件に、如信尼様や、寺のみんなを巻き込むわけにはいかない。第一、俺が、かの有名な、五右衛門3世(直系ではない)ということは、如信尼様はじめ、世間には秘密なのだ。

 妙にしたって、宗十郎を殺したことが露見したら、お白洲へ連れていかれるだろう。身を守る為に刺したとはいえ、宗十郎は、大きなお店の長男だ。婚家側が、どんな汚い手を使ってくるか、わかったものではない。

 そもそも俺は、お上を信用していない。
 だって俺、泥棒だし。

 金倉屋に投げ込まれた死体は、宗十郎だ。投げ込んだのは勿論、俺と独歩だ。医者に化けて家移りさせ、無人となったところへ、米を盗みにはいった。

 粥は、無事に、困っている人々に行き渡った。如信尼様に任せておけば、ここしばらくは、飢える人も出ない。

 金倉屋が、隠しておいた米を盗まれたと騒ぎ出すこともなかろう。飢饉が続き、人々は、飢えている。上方からの援助米の買占め転売は、非道な行いだ。自ら名乗り出るわけがない。

 そして、あと数日もすれば、次の援助米を乗せた船が、湊に入る。江戸の人々の食糧事情は、改善されるだろう。

 問題は……。

 「あたしが、宗十郎を殺したんだよう!」
せんべい布団の上で、身もだえして泣いている、このお妙である。

 「いやいや、妙さん。あんたがらなければ、あんた自身が、られていたんだ。あんたは悪かねえよ」

 初めから、宗十郎は、妙を殺すつもりだったのだ。さもなければ、あんなごつい匕首を持ってくるわけがない。
 可愛さ余ってなんとか、ってやつだ。

 だが、妙は泣き止まない。

「それによ。あいつも最後には、役に立ったんだし」
「あの人が、人さまのお役に?」

 妙が顔を上げた。
 泣きぬれた瞳で問いかけてくる。

「あっ、と……」
俺は声を呑んだ。

 役に立ったのは死体だ、とは言えない。
 俺が言い澱んでいると、妙は、一層激しく泣きだした。

「あんな乱暴な与太者が、人様のお役に立つわけがないじゃない! それなのにあたしのお腹の中には、あの人の子が……」

 そうなのだ。
 妙は、妊娠している。
 自分が殺した夫、宗十郎の子を。

「いっそのこと、流しの産婆に……」
「それは危険だ。お妙さん、止めてくんな」

 堕胎は、母体の危険を伴う。この件に関しては、如信尼様からも、きつく禁止されている。

「あたしは、宗十郎を殺した。この子は、人殺しの子なんだ……」
腹に手を置き、妙が身もだえる。

「いやいや。宗十郎も、あんたのことは、許してるって」

 なにしろ、最初に妙を殺そうとしたのは、宗十郎だ。
 返り討ちにあっても、文句を言えた筋ではない。

「だって、あの人は死んだんだろ? あたしが殺したんだ。あたしは、人殺しだよう!」

 野太い声で吠える。
 まるで、獣のようだ。

 「どうしたの……あっ!」
障子を開けた独歩が、固まった。

「いーけないんだ、いけないんだ! 五右衛門が、お妙さんに手ぇ出した~」
変な節をつけて歌ってる。

「ちちち、違うよ! 手なんか出してねえ!」

 俺はただ、なんとか彼女を黙らせようと、両手で口を塞いだだけなのだ。
 でも、妙が布団に横になっていたおかげで、変な絵になってしまった……。

「宗十郎の一件を、如信尼様に知られたら大変だろうが!」

 庵主様は、ご存じない。
 自分が保護している妙が、夫宗十郎に殺されそうになったことも。
 身を守ろうとして、反対に、宗十郎を死なせてしまったことも。

 その死体を、俺たちが利用し、その結果が、山門の前に積まれた米俵だということも……。

 春の初めの、ひどく寒い夜。

 妙の寝床に、おえんが、やってきた。
 おえんは、寺で育てられている幼女である。身寄りがないらしい。

 震えながらやってきた彼女は、一緒の床に入れてくれろと頼む。寒くて寒くて、眠れないという。
 まるで、猫のようだ。妙が、子どもの頃に飼っていた猫も、こうやって、甘えてきたものだ。
 幸せだった、少女の頃……。

 ひどく懐かしく、妙は、女の子の願いを聞き入れた。
 少し上げた掛布団の中に、子どもはするりと入り込んできた。

 妙は、でも、知っていた。
 この子は、自分の見張りだ。
 昼間はいい。庵主さんか手伝いの女たちか、誰かしら、人の目がある。

 だが、夜は……。
 今夜のような寒さ厳しい夜は、生きているのが難しい。

 庵主様は、妙が宗十郎を殺したことをご存じない。たくましい、手伝いの女たちもだ。
 知っているのは、寺男の独歩と、寺の隣に住むという、あの、胡散臭い男だけ。

 けれど、仏に仕える身如信尼には、何かしら、感じることがあったのかもしれない。

 妙には、この女の子が、自分の床に入り込んでくるのは、庵主の采配のような気がしてならない。
 夜のうちに、妙が、死んでしまわないように。
 粗末な寝巻の帯で、首を吊ったりすることのないように。

 女の子が寝床に来ても、妙は、構わなかった。
 一晩か二晩、死ぬのが遅れても、何ほどのことでもない。

 宵五ツ(午後8時)には、床に入っていた。この頃、本当によく眠る。ぐったりと、泥のように。
 それなのに、真夜中、子の刻(午前0時)ほどになると、必ず、目が覚める。そして、眠れない時を、丑ノ刻(午前二時)頃まで、不眠を苦しみながら過ごすのだ。

 あとは明け方、ようやく白みかけた空気を感じながら、うとうとするだけ……。

 その晩も、妙は、計ったように深夜、目が覚めた。
 途端に、苦しい今の境遇が脳裏に蘇る。

 婚家での辛い日々。
 夫宗十郎の暴力。

 はじめは、優しい夫だった。それが一層、辛さに拍車をかける。だって、夫が暴力をふるうようになったのは、間違いなく、自分が至らないせいだから。

 生傷の絶えない日々に、耐えきれなくなって、この寺に逃げ込み、そして……。
 そして……。
 宗十郎を殺した。

 隣で、おえんが眠っていてくれてよかった。
 熟睡する幼児からは、いい匂いがする。
 紛れもない、命の匂いだ。
 死にたい気持ちに、ほんの少しだけ、蓋をしてくれる……。

 一度だけ、庵主様に打ち明けようとしたことがある。
 だが、その穢れのないお顔を見ていると、何も言えなかった。彼女に自分の辛さをわかってもらうのは、到底、不可能だと悟った。

 否、妙は、自分を守ったのだ。自分とお腹の子を。

 だって、庵主様に告白すれば、自分は捉えられ、牢獄に入れられる。
 そしたら、子どもは、どうなるのか。ちゃんと生まれるだろうか。

 たとえ無事出産できたとして、その子は、牢獄で生まれることになる。
 人殺しを母に持つのだ。しかも、その母が殺したのは、自分の父親だ。

 到底、まともな人生を送れるとは思えない。

 廊下で、咳払いが聞こえた。
「お妙」

低い男の声がする。

「お妙……」

「あんた?」
お妙の全身に震えが走った。

「そうだ。俺だよ」
「あんた……」
「今夜はお前に用があってな」

「あんた、ごめんなさい!」
皆まで言わせず、妙は飛び起きた。

 眠っていたおえんが、ごろりと寝返りを打つ。むにゃむにゃと何かつぶやき、眠り続ける。
 半身起き上がったまま、抑えた声で、妙は謝罪を続けた。

「悪い妻で、ごめんなさい。あんたに恥をかかせてごめんなさい。あんたを殺してしまって、ごめんなさい!」
「いやいや。お前は悪い妻なんかじゃなかったよ。お前は、最高の妻だった」

 意外な言葉が、障子の向こうから返ってきた。
 闇が、全てをすっぽりと包み込んでしまっている。
 声を潜め、障子の向こうの宗十郎は続けた。

「死んだのだってな。俺は死んで、人様のお役に立てた。だから、お前に殺してもらってよかったのだ」
「でも!」

 にわかには、信じられない。そんな妙の気持ちが伝わったのか。

「俺を信じろ。お前は、俺の言うことだけを信じていればいい」

 それは確かに、生前の宗十郎の口調だった。
 夢中になって、妙は問うた。

「あんた。あたしを許してくれるの?」
「許してもらわなければならないのは、俺の方だ。妙。お前に辛い思いをさせて悪かった。痛い思いをさせてしまって、本当に、申し訳ない」

「あんた……」

 心の中で、冷たく凝り固まっていたものが、溶けていくのを感じた。
 ゆるく溶け、それは、温かい涙となって、妙の両目から溢れ落ちた。

「この上はな。大変だろうが、頑張って、俺の子を産んでくれ。それだけが……」

 その時、ぐっすり眠っていたおえんが、むっくりと起き上がった。
「おしっこ」
目をこすり、布団から抜け出そうとする。

「まあ、そういうことだ。とにかく、丈夫なややこを産んでくれ」
宗十郎の声に焦りが見えた気がした。

 ……この人は、私が赤子を堕胎しようとしたことを知っている……。
 妙はそう思った。

 死んだ人には、何でもお見通しなのだ。
 彼は、自分が赤子を殺さないよう、説得に来た……。

 その思いが、わずかに、妙の心の霧を払った。
 子どもは、望まれて生まれてくるのだ。

 妙の心が通じたのだろうか。障子の向こうの気配が、微かに揺らいだ。

「俺はもう、行かねばならぬ。達者で暮らせよ」
 宗十郎が言い終わるなり、青白い光が、さあっと差し込んだ。

「!」

 厠に行こうとしていたたおえんが、立ち止まった。
 棒立ちになったまま、障子を見つめている。
 青い光に、宗十郎の影が浮かんだ。やせぎすで、いなせな男の陰だ。

「ぎゃーーーーーーーっ! おばけーーーーーーーっ!」

 静かな寺に、幼女の絶叫が轟いた。




五右衛門3世/五右衛門3世、登場⑤
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