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Decade -2-

2014年は冬季オリンピックがソチ(ロシア)で行われた年でした。
2013年に生観戦の醍醐味を知った私は現地に行きたいと思いましたが、オリンピックへ行くというのはそんなに簡単なことじゃなかったんです。オリンピックのチケットの取り方なんて全く知らなかったでしたし、ツアーの値段が90万から130万くらいだったのを見て、驚いたのもあれば、準備不足(いや、間に合わないってw)だったのにがっかりしたりしつつ、大雪の中、BSが映らなくなったりするアクシデントがありながらも、金メダルを手にした19歳の羽生結弦というアスリートを見て、いつかオリンピックの舞台で彼を見たいと心に誓った年でもありました。

ソチに行くために中途半端に貯めていたお金を元手にこのシーズンは2回も中国に遠征に行き、さらに海外観戦沼にハマっておりました。

2015年。
忘れもしないこの年は驚くほど推し活が充実した年でした。
フィギュアシーズンが始まるほんのちょっと前、自宅で男子ワールドカップバレーを見てた母につられて見ていて、見つけちゃったんですよ、「石川祐希」という2人目の推しを。

もしすでに羽生くんで沼に落ちていなかったら、その落ち方も慣れてなかったと思うし、たまたまいつものフィギュア観戦仲間が一緒に落ちてくれなかったらすごい勢いで沼に落ちることはなかったかもしれません。偶然はいつも不思議で驚いた方向へ私を連れて行ってくれるようです。

10月に石川祐希くんを見たくて大学バレーデビューしたのもこの年でした。

本格的に始まったフィギュアシーズンでは次々と自己最高の点数を塗り替える羽生さんを見ながら、彼がオリンピックでもう一度、金メダルを取るところは何がなんでも見に行くぞ、といろんな準備を始めたのもこの頃だったと思います。

2016年。
バレー沼に深く深く落ちた年でした。
リオオリンピックのOQTでワールドカップでキラキラしていてプレーしていた祐希くんが怪我もあって全く戦えず、欲しかったオリンピックのチケットを手にすることができませんでした。本来ならそこで興味を失うのかもしれませんが、私は全く逆でした。ここで勝てなかったチームが出場権を持っている東京オリンピックで何を成し遂げるか見届けたいと思っていました。

久しぶりにあの時の熱量を読み返すと恥ずかしさしかないのですが、OQT後、バレーボール観戦熱がヒートアップしてアイスショートのダブルヘッダーとか、友人にワープしてるんじゃない?と言われるくらいの忙しい旅程をこなすクレイジーなレベルのオタクに進化してしまったのは仕方のないことだったのかもしれませんw。

大学リーグにも、Vリーグにもガンガン観戦に行き出したのもこのOQT後のことでした。フィギュアも大体10月くらいから試合が始まるスポーツなので、秋から冬にかけては本当に休日の方が忙しい日々を送っていました。

2017年
2016年、2017年あたりから羽生さんを追いかけての海外遠征が減ったのは彼が怪我に見舞われることが増えたからかも知れません。
それでもこの年の3月はヘルシンキで素晴らしい逆転劇の末の世界選手権優勝の瞬間を見ることができました。私の人生の最高傑作の1枚が撮れた試合でもありました。

この頃から推しが増えて困ったことといえばやはり時間とお財布。
石川祐希さんがイタリアリーグに参戦しているので彼の勇姿を見ようするとやはり海外に行かなければならないので私は次の転職を決めました。

2017年10月には東京のオフィスに行く前に、マニラに新入社員研修で初めて行くことになったのは未来へ続く伏線だったのかもしれません。というのも私のジンクスの中に仕事で行った場所には、必ず行くというのがあったからです。

かつてマレーシアも、カナダも、アメリカも、結果的にはフィリピンも同じように訪れることになりました。なんかそういうのも面白い巡り合わせですよね。

3月にヘルシンキに行き、10月にマレーシアに行き、そして12月にはとうとうイタリア・ドイツデビューという忙しい1年でした。

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