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デュルケム理論の現代的射程に関する一考察

はじめに

 1870年、普仏戦争で皇帝ナポレオン3世が敗北し、第二帝政が崩壊して第三共和政が成立した。第三共和政下では新秩序を構築するための実証的な探究活動が活発化し、思想家たちは形而上学的な観念に依拠したフランス革命期の思想を批判するのと同時に、事実の観察に基づく「社会科学」を確立しようとした。このような文脈で、デュルケム(Émile Durkheim, 1858-1917)は「社会学」を自立した学問として確立した。本稿では、デュルケムが用いた「集合的沸騰」の概念に注目し、デュルケム理論の現代的射程を検討する。


第1節 デュルケム理論の成立過程

 デュルケムは、コントやスペンサーらが「社会」を個人間の相互行為とは異質な独自の対象として捉えたことを評価した一方、彼らの探究活動は事実の観察に基づいたものとは言いがたく、フランス革命期の形而上学的な観念から脱却しきれていないと批判も加えた。たしかに、コントは実際に存在する多様な社会を観察することなく、人類が一つの方向に進む同一の社会に属しているかのように捉えていたほか、スペンサーの社会進化論も個人的な観念を表現したものにすぎなかった。

 そこで、デュルケムは社会的事実を観察する際には、自然科学における観察と同様に人間中心的な視点を放棄しなければならないと考え、形而上学的な個人の観念を排し客観的に観察可能な「現象」のみを観察しようとした。つまり、社会現象を個人的観念から分離し、個人に外在するものとして扱わなければならないとしたわけである。

 彼は、初期の著作『社会分業論』(1893)において、法という現象を観察することで「社会的連帯」の根拠を解明しようと試みた。彼によれば、「連帯」には「機械的連帯」と「有機的連帯」2つの類型が存在する。前者は分業が未発達な社会において共通の宗教や信仰によって生じる社会的連帯であり、後者は分業が発達した近代社会において個々人の役割が細分化されたことで宗教や信仰が弱まることで、経済関係や契約関係などの個人間の機能的な結びつきによって生じる社会的連帯のことである。

 しかし、「有機的連帯」を機能的結合だとする見解は『社会分業論』のなかで貫徹されなかった。というのも、この見方では、経済的利益を追求する経済関係がななぜ対立や紛争に陥らないのか、また個人間の契約関係がなぜ全体の秩序を安定させるのかを十分に説明することができなかったからである。デュルケムは同書や『社会主義およびサン-シモン』(1928)を通じて、個人間の契約関係や交換関係が秩序全体に安定をもたらすためには、それらに規制力を与えるのではなく、一般的な規範が必要だと論じた。つまり、客観的に観察可能な法や契約といった社会現象だけでは秩序一般がいかに成立し、いかに維持されているのかを説明できなかったわけである。

 そのため、コントが実証的観察に先立つ「一般的観念」を導入したように、社会現象の背後で働く「集団的な信念・傾向・慣行」を考慮に入れることで、社会秩序がいかに存立しているかを合理的に説明できるようになった。彼は『社会学講義―習俗と法の物理学』(1950)のなかで、これを「集合意識」と呼び、個人に外在しながら個人を拘束する「一種独特の実在」として捉えた。

 デュルケムは近代社会における「連帯」の根拠を「有機的連帯」という機能的結合としては十分に説明できなかったため、「集合意識」という観念を用いて解明を試みた。彼は、分業化が進み共通意識が弱まっていく近代社会における「集合意識」について、中期の論文「個人主義と知識人」(1898)において説明を加えた。

 彼によれば、近代化に伴って社会が複雑化するにつれて個人の意識も多様化し、個人間の共通性も失われ、個人は「自由検討」の精神を内面化した。そして、理性に従ってあらゆる事項を吟味するようになり、また同時に他者のなかでも自分と同様に理性に従って「自由検討」を行い、世界の意味を解釈する能動的な意識の働きである「人格」を認めた。自己と他者が社会において異なる役割を担っているおり、究極的には「人格」のみが唯一の共通項として残るため、人々は「人格」に宗教的な超越的価値を認めるとしたわけである。

 しかし、客観的に観察不可能な「人格」の尊厳を基礎に置くデュルケムの説明は、個人に内在する「人格」という意識の働きが、いかにして個人に外在する規制力を生むのかということを説明する点で困難を抱えていた。彼は、分業化の進展に伴って宗教が衰退したことで人々が「連帯」の基礎を「人格」に求め、超越的な価値を付与するようになったとしたが、個人の自発的な選択が結果として個人を超越する規制力を生むという説明は説得力に乏しかった。

 デュルケムは「個人主義と知識人」において「人格」という観念に付随する内在性と超越性が「聖性」に固有の属性であるとして、その根拠を宗教論に求めた。そして、「聖性」の特徴について、個人がその対象に不可侵性を感じて敬意と畏敬を抱き、自発的に賛美と服従を示すことであるとした。つまり、「聖性」は個人に内在するのと同時に、個人を超越する観念でもありうるという意味で二重性を帯びていた。

 また、宗教と「聖性」を区別して世俗的なものにも「聖性」が宿るとし、宗教が重要な役割を担っていた前近代的な社会においても、宗教が衰退した近代社会でも同様に存在するとした。そして晩年の著作『宗教生活の原初形態』(1912)において、「聖性」の起源を求めて原始宗教の考察を試みた。

 本書でデュルケムは、原始宗教の特徴について、森羅万象を「聖」と「俗」に峻別することと、共通の儀礼を有することにあるとし、儀礼の目的は「聖なる存在を活かし、その力を回復させ、不断に再生させること」にあるとした。そして、「聖性」が特定の事物に宿っているわけでも、先験的に存在しているわけでもなく、人々が一定周期で集合して儀式に参加し「集合意識」の存在を確認することで、個人に内在する「聖性」を外部の対象に投射することで超越的な力を持つようになるとした。つまり、「聖性」の起源を「集合意識」に求めたわけである。

 さらに、デュルケムは『宗教生活の原初形態』において、儀礼を「消極的儀礼」・「積極的儀礼」・「贖罪的儀礼」に大別し、また部族集団の凝集期に行われる儀礼を「集合的沸騰」と呼んだ。そして、共同体全体で特定の激しい感情を共有する「集合的沸騰」によって社会の生命力を再活性化させることが社会の根源力だとして、フランス革命の熱狂を具体例として持ち出した。


第2節 デュルケム理論の現代的射程

 デュルケムは自然科学のように実証的方法で社会現象を解明しようと試みたが、必ずしも客観的に検証可能な事物のみを扱ったわけではなかった。また、社会を個人に内在しつつも個人を超越する存在として捉え、個人間の紐帯である「集合意識」であるとした。そして、「人格」を個人と社会の相互関係の過程で個々人が獲得する能動的な意識の働きとして捉えた。

 本章では2014年のウクライナにおけるマイダン革命を例として、現代における「集合的沸騰」のあり方について考察し、デュルケム理論の今日的な有効性について検討を試みる。

 マイダン革命においてもフランス革命と同様の熱狂がみられた。ウクライナ騒乱とも呼ばれるこの「革命」の始まりは、親露派のヤヌコヴィッチ大統領の退陣を訴える親欧派の市民がSNSを介してキエフ独立広場に集った平和的な抗議集会であった。しかし、警察の機動隊だけでなく内務省隷下の国内軍やウクライナ保安庁が鎮圧に加わったことで次第に市民側の反発が高まり、最終的には騒乱の様相を呈するようになった。これは、孤立した内省的知性による集合表象ではなく、デュルケムが論じた「集合的沸騰」に当てはまると考えられる。

 この過程でみられた反政府・反ロシア感情の高揚は、個々の参加者のなかにウクライナ民族主義を呼び起こして陶酔や自己喪失という激しい感情を共有させ、個の次元を超越したより大きな共同体の中に没入させ根源的な生命力の回復を実感させた。そして参加者は、構成員よりも集団が重要であることを確認するのと同時に、騒乱の指導者らの「人格」のなかに、ソ連時代の旧弊を打破する新生ウクライナの輝きをみた。つまりデュルケムが論じたように、非合理的次元の力による社会の再活性化が必要であったわけである。

 ここで、現代における「集合的沸騰」のカギとして重要であると考えられるSNSについて考える。インターネット空間においては、あらゆる情報が距離と重力を失い、すべての人と情報は相対的に水平化されるため、従前は都市空間にとどまっていた高揚や陶酔、自己喪失が即座に広く共有されるようになった。ウクライナ騒乱においてもFacebookの投稿を閲覧した人々が広場に集結したという点で重要な役割を果たしたといえる。

さいごに

 本稿では、社会学者デュルケム理論の成立過程を確認したのちに、「集合的沸騰」を中心としてデュルケム理論の現代的射程について検討した。本稿で確認した事例においては、社会のなかですでに分化した構成員がSNSを媒介することで例外状況において集合して高揚や陶酔を共有し、またその過程において集中的かつ拡大的な相互作用のもとで「集団意識」の存在を再確認したことが「集合的沸騰」を引き起こしたと考えられる。これを踏まえると、デュルケム理論は現代社会においても、なお有効性を発揮するものだといえるだろう。

 ただし、デュルケムが「集合的沸騰」の構造化を惹起する要因を「シンボリズム」に求めた点に関しては今日的な現象のなかでは説明が困難である。というのも、インターネット空間を媒介して情報が水平化された現代社会のなかで、どのような「表象」が「集合的沸騰」を引き起こしうるのかについては判然としないからである。デュルケム理論の解釈に際して原始社会と現代社会の差異のどこに着目するべきなのかについては更なる考察を必要とするであろう。

参考文献

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