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金融リテラシーが高いからといって株で勝てるわけではない

 どうも、新米投資家の川瀬ニフミです。
 
 先日、我が国の首相が「金融リテラシーを高めることが不可欠」といった発言をしたそうです。しかし、私にはそもそも金融リテラシーというものがどういうものを意味するのか、よくわかっていません。
 
 ただ、はっきり言えるのは、「金融リテラシーが高いからといって株で勝てるわけではない」という事です。以下にはそれについて書こうと思います。
 
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 今から私が言おうとするのはごく簡単な事です。金融リテラシーというのは、ざっくりと、「金融や投資に関する知識」だと考えたとして、それを身に着けたからといって株で勝てるわけではない、という事です。
 
 有名投資家の清原達郎は「市場は常に少数者の味方だ」と言っていました。これは理論的にもそうですし、ごく簡単に説明できます。
 
 例えば、今流行りの半導体株に、今からその流れに乗ろうとしてももう大した利益は得られないでしょう。もう半導体株は注目の的ですし、株価も上がり切っているので、これからその波に乗ろうとしても、得られる利益は少ないか、損をする確率が高いだろうと思われます。
 
 ただ、半導体株が来るのを一回り先に予見して、人よりも一歩先にそれらの株を買った人は、大きな利益を得られたでしょう。どの地点で株を買ったかで得られる利益額は違いますが、大きな利益を得られる人は、「いずれは多数派になる少数派」の立場を取る事によって利益を取るのだと思われます。いずれ多数派になれば、その時に株を売り抜ければ、大きな利得が得られるからです。
 
 これを金融リテラシーの問題に当てはめましょう。岸田首相は、金融リテラシーを高めるのが大事と言っているそうです。
 
 仮に、市場の全員が金融リテラシーが高いプレーヤーになったとしたら、彼らはみな、同じような行動を取るはずです。金融リテラシーを持ち合わせる者として、彼らは、同じ情報に同じような反応をするはずです。そうなると、いくら金融に関する知識が深かろうと、常に多数派と同じ行動を取る事になり、凡庸な利益か、損失しか得られません。要するに株で大きく勝つ事はできません。
 
 仮に、金融リテラシーが高いプレーヤーばかりの市場があるならば、もしかしたら、大馬鹿者の無知な人間の方が大勝ちするかもしれません。大馬鹿者は、金融リテラシーの高い人達にとっては少数派ですので、大きな利得(そして損失)を得る可能性があります。
 
 こうした例をあげて私が言いたいのは、金融リテラシーを身に着けるという事と、株式投資で勝利する事は違う事だ、という事です。
 
 一般的に言えば、無知な人間の方が、金融や経済に詳しい人よりも多いので、金融リテラシーが高ければ勝ちやすいかもしれませんが、それは金融リテラシーが高いから強いのではなく、株式市場という世界の中で、「いずれは多数派になる少数派」のポジションを取る事ができるためだからだと思われます。
 
 私も、株を始めた当初、「経済や金融に詳しくならないと」と思っていました。しかし、少したって、どうも状況が違うと気づき始めました。
 
 確かに経済や金融に詳しい事は武器になりますが、それは株式投資というゲームにおいて勝つ事と、微妙に異なっていると感じるようになりました。
 
 そのあたりの事は、有名投資家のテスタはよくわかっています。彼は株式投資を一種のゲームとみなして、経済に詳しいから株に勝つわけではない、という事を自分の経験に照らし合わせてよくわかっています。
 
 金融リテラシーを身につける、というのが何を意味するからよくわかりませんが、こと、株式投資というゲームについて勝つという場合は、それは直接的にゲームの勝因になるわけではない、と抑えておいた方がいいと思います。

 プレーヤーが相手に勝つためには、「やがて多数派になる少数派」の立場につかないといけない。仮に、プレーヤーのみんなが賢い人達ばかりなら、あえて愚かな人間の立場につくのも一つの戦略と言えると思います。
 
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 さて、これまで書いた文章を読んで私に反論したい欲望を覚えた人もいるかもしれません。「金融リテラシーを身に着けるのは悪ではない!」というような。
 
 もちろん、上記に書いたのは理論的な話であって、現実的に考えていくなら、金融や経済について詳しい事は悪い事ではないと思います。株をやる上で為替やマクロ経済に詳しいのは、悪い事ではないでしょう。
 
 ただ、株式投資というゲームで大きく勝ちたいのであれば、少数派でなければなりません。それもいつかは必ず日が当たる少数派である必要があります。
 
 それは例えば、ゴッホが自らの絵画を信じて、絵を描き続ける事と少し似ています。ゴッホはいずれは自分の絵画が、人々、あるいは人々よりももっと大きなものに認められると信じていたからこそ、あんな風に絵を描き続けたのでしょう。彼の生前には一枚しか絵が売れなかったとしても。
 
 そうしたわけで、株式投資で大きく勝つというのは、私はやはり、非常に特殊なゲームだと思います。万人が大きく勝つというのは基本的には不可能ですし、金融リテラシーを高めたとしてもそれは無理でしょう。
 
 ただ、金融リテラシーを高める事が意味があるというなら、それは例えば、先日の大暴落の際にインデックス投資(世界の平均的な経済向上と合致するような安定的投資)をしていた人が、株価が下がったからといって、狼狽売りをしなくて済む、そういう風な金融リテラシーを身につける、と考えれば、大いに意味がある事だと思います。
 
 そもそもで言えば、生きていくのに十億も百億もいる必要は全くありません。投資家を目指すよりは、真面目に働いて浪費せずに、余剰分の金をインデックス投資して、最低限の金融リテラシーを身に着け、株価の上昇下落に一喜一憂せず、淡々と積立投資をする。それが人としては、ベストといえばベストでしょう。
 
 そうした方向を基本に考えるなら、別に上記で私が書いたような事は気にしなくていいだろうと思います。実際やって思いましたが、やはり株式投資というのは、特殊な世界であって、特殊な個人が成功する場所だと思います。ですが、万人がそんな事をする必要もないし、万人がそういうものをする世界も気味悪いと思うので、そういう意味においては「金融リテラシーを高めてインデックス投資をする」ぐらいが最適解なのかな、と思ったりもします。

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