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最高の日々とは終わらない葛藤と闘いの日々-櫻坂46 9thシングル「自業自得」私的考察-


まずこの楽曲とMVを紐解くときに事前に重要な情報がある。
「自業自得」は櫻坂46の9thシングルとして発表された楽曲だが9thという数字、それは前身グループである欅坂46が改名に至る直前に発売中止になった幻の9th「10月のプールに飛び込んだ」の数字である。
それをふまえて歌詞を見ていくと表面的には恋愛のことを語っている歌詞の別の面が見えてくる。

どういうつもりだい?
冗談じゃない
そんなわがままは通用しない
今さらじゃない?
もう一度付き合おうって・・・
Da da da damn!

『自業自得』

この楽曲の登場人物は「主人公」と「君」だ。
私は「主人公」を現在、秋元康、櫻坂46であると考える。
「君」は過去、平手友梨奈、欅坂46だ。
つまり最初のどういうつもりだい?から始まる一節は欅坂をもう一度やろうとする勢力からの誘いを表しているのではないか。
それは外部的なものかもしれないしいわゆる亡霊といわれるファンかもしれない、または秋元康の脳内の気の迷いなのかもしれないが欅坂をもう一度という声はずっと根強く残っているのは事実である。

絶対は絶対にないんだ
言ったろう?
未来なんて
誰にもわかりゃしないさ

『自業自得』

思えば櫻坂の活動はずっと絶対無理だといわれるハードルを超えてきたのではないか。
まず女性アイドルグループは一度人気が落ちると二度と元の絶頂期の人気には戻らないというのが定説である。
その点で欅坂が櫻坂に改名したとしても細々と続いていくのが関の山だろうという見方は改名当時は主流だったように思う。
2022年の東京ドーム公演時もこれが最後のドーム公演になるだろうという声も多かった。
しかし今櫻坂は東京ドームをステージバック席まで売り切るほどのグループに復権している。
2023年の紅白歌合戦の復活劇もそうだし、オリジナルメンバーである一期生がほぼいない状況でさらに人気をあげてきたのも異例である。

Why?
もっと早く
気づいて欲しかったよ
Gosh!
時間を巻き戻せるとしたなら
あの日 あんな別れ方はしない
君の腕を
掴んだまま
どこまでも歩いただろう

『自業自得』

それでも秋元康の未練はあるのだろう。
欅坂は伝説のグループだった。
世間のだれもが欅坂や「僕は嫌だ」のフレーズ、平手友梨奈の名前を知っていた。
欅坂から櫻坂への改名はとんでもない荒療治だった。
もっとうまくやれただろうという思いもあるのかもしれない。
もし改名するにしても違うやり方があったかもしれない。

ただ

過去に 戻れやしないと知っている
夢を見るなら 先の未来がいい

『何歳の頃に戻りたいのか?』


愛とは
自業自得
過去に出した答えが
間違っていても
誰のせいでもない
決めたのは自分自身なんだ

『自業自得』

「愛」とは、つまり作品作りや創作のことだと考える。
バンドやシンガーソングライターなどの歌詞でも「愛」や「恋人」を作品作りへの姿勢などに例えることは多い。
創作は常に自業自得である。
過去に出した答え(改名や櫻坂の曲だけでやっていくこと)が間違っていたとしても誰のせいでもない。
決めたのは自分自身なのだ。
自分自身という表現に違和感を持つ人もいると思う。
運営や秋元康がそうさせたじゃないかと。
私が思うに秋元康の歌詞はメンバーやグループへの訓示や啓示であると同時に秋元康自身への自戒や自省の意味を含んでいるのではないだろうか。

いつだって
自業自得
寂しさから逃げるな
選んだ感情
何を失ったか?
思い出より残酷だ
Betray
Betray
Betray
Betray me?

『自業自得』

寂しさから逃げるな、つまり寂しさを受け入れろということ。
寂しさとは欅坂を失ったこと、メンバーを失ったこと、名前を失ったことだろうか。
思い出より残酷だの部分。
思い出「より」ということは「思い出」は残酷だということになる。
思い出とは過去と言い換えることもできる。
つまりは欅坂が改名を選ばず解散し、グループが完全に過去のものになり人々の思い出の中にしか存在しない状態、ということだろうか。
ただ櫻坂はその道を選ばなかった。
「思い出」より残酷な道を選んだ。
「Betray」とは直訳すると「裏切る」。
「Betray me?」は「自分を裏切るな」。
過去にその道を選んだ自分自身を裏切るなということ。
どんなに残酷な道であっても。

泣いていたって
君らしくない
ずっと強情でいて欲しかった
振り向いても
そう何も始まんない
Da da da down!

反省は最悪のプロセス
やめとけ!
人ごと
誰も気にするもんか

『自業自得』

強情でいてほしかった、とは世間や秋元康が期待した欅坂(世間と戦う少女たち)のイメージのままいてほしかったということだろうか。
ただ、現在の櫻坂メンバーが過去にそこまで囚われている印象はなく
過去を想起させる歌詞は基本的には秋元康の心情が大きいのではないかと考える。
泣いていたって君らしくない、振り向いても何も始まらない、反省はやめろと繰り返す説教じみたフレーズは秋元康自身の自省ではないだろうか。

Done
終わったんだ
よりなんか戻せない
Cause
傷つくことでわかり合えるだろう
どれだけ愛し合っていたのか?
真っ赤な血が
まだ流れてて
瘡蓋になっていない

『自業自得』

歌詞の中でも特に印象的なフレーズである。
傷つくことで~から始まる一連の歌詞は欅坂の3rdシングル「大人は信じてくれない」の歌詞とほぼ同じ意味と捉えられる。

もし痛みが消えないなら
自分自身傷つけて
もっと強い 痛みで忘れてしまおうか
やさしさに触れるだけで
真っ赤な血が滲んでくる
僕が 僕が いなくなったって…
(誰にも…)

『大人は信じてくれない』

「真っ赤な血」とは生の感情のことだろう。
まだ流れて瘡蓋になっていないということはあの頃の感情の衝動がまだ続いているということか。

愛とは
自問自答
何が正しいかなんて
正解わかったようで・・・
いつか知らぬ間に
痛みになって返って来る

『自業自得』

この部分の「愛」もまた作品作りのことだろう。
ただ、もっと広く人生の選択全般にも適用可能な歌詞ではある。

何度も
自問自答
幻想から逃げろよ
君からの I love you!
許してしまえば
繰り返すだけだ
I think...
I think...
I think...
I think so

幻想、君からの I love youとはこうすればうまくいくかもしれない、失敗をキャンセルできるといった誘惑のことか。
TAKAHIRO先生が語るように櫻坂に秋元康が提供する歌詞には現実から逃げずに受け入れ、立ち向かえというメッセージが込められている。

まだ迷ってるんだ
理屈よりも
感情で生きろ
終わった恋なんて
忘却の彼方だ
その続き
始めればいい
You know?

「理屈」とは無理だとかあきらめろとか、現実的に不可能などの外野の声だと考えられる。
常識的に考えればそうだろう。
グループアイドルの時代は終わりつつある。
かつてAKBが辿ったように坂道も緩やかに衰退に向かっている。
全盛期の欅坂が起こしたような世間的なムーヴメントをまた起こすなど不可能に近い。

だが

「感情」はそう簡単には納得はできない。
原点から言えば、アイドルになることもそうだ、ただの一般人だった少女が世間を騒がせるスターになる。
それは常識的に考えれば夢物語でしかない。
それでもオーディションを受け、そしてグループに配属され、かつてファンだった少女がセンターに立っている。
それは「感情」の衝動でしか成しえない出来事だ。

「感情」で生きることがクリエイティブの源泉だろう。
クリエイティブは単純な過去の模倣だけでは縮小再生産の道をたどるだけだ。
過去に囚われず、その続きを目指さなければならない。
かつての2022年櫻坂東京ドームのツアータイトルにもかかった言葉で締める。

You know?

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