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娘から教わった、今の自分を大切にする言葉

基準がなければ、みんな凡人??

娘が口にしていた言葉。
学校、会社、世の中に出ると人と比べられる。自分は自分!!と思っていても、成績や評価によって判断される。

運動(勉強)が得意な子。自分のまわりに運動(勉強)が苦手な子ばかりが集まったら、その子はその中で運動(勉強)が特別出来る子として評価される。

でも、たとえ、自分は運動(勉強)が得意だと思っていたとしても、自分のまわりに運動(勉強)が得意な子ばかりが集まったら、その子は、運動(勉強)が特別出来る子として評価されることはない。

逆に運動(勉強)が苦手であったとしても、自分のまわりに自分より運動(勉強)が苦手な子ばかりが集まったとしたら、その子は、運動(勉強)が出来ない子ではなくなる。

自分の能力を他人と比べると、自分のまわりに現れる人たちによって、コロコロと自分の評価が変わってしまう。

その評価に一喜一憂していたら、自分自身がとても疲れる。自分が得意だって思っていることも、上を見上げたらキリがない。世の中見渡せば、自分より出来る人なんて山ほどいる。

自分がその集まりの中では、一番だと思っていたとしても、ずっと一番であり続けることは大変なこと。そして、別の集まりに入ったら、一番になれるとは限らない。自分が一番の時はいいけれど、自分が一番ではいられなくなった瞬間、気分は下がる。

他人と比べていたら、いつまでたっても、自分自身が心から幸せになれない。

比べるんだったら、過去の自分。

そんな話は、今までいっぱい聞いてきたけれど、娘のひと言は、何か私の胸に妙に刺さった。

他人、過去の自分でさえも、比べるということをしなければ、今の自分がもっと生きやすくなるような気がする。

今の私。何かが優れている自分、劣っている自分、誇らしい自分、情けない自分。良くても悪くても、どんな自分でさえも丸ごとひっくるめて、今のありのままの自分。

過去の自分と今の自分を比べて、優れていたとしも、劣っていたとしても、どんな状態の自分であっても認めてあげる。どんな自分も受け入れる。

過去より自分が成長していたら嬉しいし、そんな自分の頑張りを認め、褒めてあげなかったら、自分は報われない。でも、過去より成長していなかったとしたら、私は怠けているってこと?そんな自分はダメな人?

過去の栄光にいつまでも囚われない。あの頃の自分は優れていた。輝いていた。だから、今だってあの頃と同じように出来るはず。

それで、自分の気持ちが前向きになれるのならば、それでいい。でも、囚われ過ぎると、きっと過去と同じように出来ない自分を責めることになる。

大事なのは、今。

何とも比べない。今、自分が出来るベストを尽くす。

それが自分にとって、今、最もベストな状態ってことかな。ありのままの自分を精一杯、生きる。それが自分にとって、とても居心地の良い生き方なのかも知れない。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

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