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いかに生きるか?をもう少し考えよう。

ワタシは、恥ずかしながら三島由紀夫さんの著書を最後まで読んだことはない。

一応読んでおいた方がいいでしょー、と人生で何度か思い、その度に文庫本を購入し、そして引っ越しの度ことに手放すと言うことを数回やって、ついに買わなくなってしまった。

でも、50年前に彼が自衛隊市ヶ谷駐屯地占拠事件で衝撃的な最期を迎えたことは人生で時々興味を持つことがあって、Wikipediaで読んでみたりする。

ちょっと前まで、新橋にとてもよく行っていたから、三島由紀夫さんが楯の会のメンバーと「最後の晩餐」をしたと言われるお店でランチに親子丼を食べた時なんかにWikipediaの長い文章の続きを読んだりする程度だけど。

ワタシはまだ産まれる前だったけど、昭和になってあんな死に方をする人がいたんだなぁと今でも思う。その時代に生きていた方にとっては「まだそう言う時代だったんだよ」とおっしゃる方もおられるのかもしれないが、ちょっと今のワタシにはリアリティがない。

「切腹」と言う死に方は、確か子供の頃、忠臣蔵で浅野内匠頭が切腹するシーンをテレビで見たときに初めて知って1度目の衝撃を受け、浅田次郎さんの「壬生義士伝」の切腹のシーンを嗚咽しながら読んだ時に2度目の衝撃を受けた。そもそも本を声を出してしゃくり上げ、泣きながら読んだことなんかあの時しかなかったし。

三島由紀夫さんのネット上の切腹の説明はワタシにとっては人生3度目の「衝撃」だったように思う。

1度目の「衝撃」は心の底から吉良上野介を忌み嫌うという(当時小学生だった)ワタシになり、2度目の「衝撃」は浅田次郎さんの大ファンになり、京都の輪違屋に30代前半のくせに月1で通うと言う「あゆのオヤジ化」につながったように思う。

3度目の「衝撃」の影響は数年前なので、その頃のワタシは人生を一生懸命に生きることに忙しく、そこまで影響を受けるほどではなかったけど、きっとまだ咀嚼しきれない「何か」を抱えているんだと思う。

きっとそんな「ワタシのアンテナ」が去年の11月末に発売になったどデカい(B2判「OTOKO NO SHI」と言う金色の写真集をキャッチしていた。とにかくデカい。(想像してください。51.5cm×72.8cmですよ!B4の4倍ですから!)

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三島由紀夫没後50年のタイミングで、50冊だけ作られた、1冊50万円の金色の写真集。

中を見ることは、買うと決めたお客様にしか見せられないという敷居の高さ。
「買おうと思っているんですけど。」と嘘をつくことはできない性格なので、じいーっと表紙を眺めるだけ。w

でもやっぱりワタシはラッキーガール!
ついにその中(100ページある)を見る機会に恵まれた。

三島由紀夫さんのあの切腹の死の1週間前まで撮影されていたそうで、タイトルも「男の死」とされたが、あの彼の衝撃的な自死でこの50年間世に出されることはなかった。

中を見て、またワタシは衝撃を受けた。

収録されている写真は一部は楯の会のメンバーの写真だが、
そのほとんどはタイトル通り、彼が船乗り、建設作業員、体操選手、武士などに扮し悲劇的な結末を迎える姿が描かれている。

一部カラーだけど、ほぼ全てモノクロの写真。

そして当然だけど、見開きにして開くと本当にデカい。(見開きの写真も結構あって、横は1.5mくらいになる。彼の身長は163cmだったそうなので、ほぼ実物大に近づくわけ。)
その迫力と色んな「三島由紀夫の死体」が沢山どんどん情報としてワタシの中に流れ込んでくるのを感じて、なんだか圧倒されてしまった。

彼が市ヶ谷駐屯地で切腹するという考えに至った理由や背景をもっと深く文章で読んだり調べたりしようとは相変わらず思わないんだけど、この写真集を見て、あの「彼の自分の死に方」はもうすっかりシミュレーション通りだったんじゃないかと思った。

内臓やら血やらを身体に塗りたくって写真集の撮影は行われたんだろう。かなりリアルな撮影現場に(写真を見る限りでは)見えた。

もちろん、実際の切腹はシミュレーション通りじゃなかったのかもしれないけど、それでも周到に準備された最期だったんだな、と強く思った。

「自分の死に方」なんて考えたこともないけど、そしてどうなれば自分の死に方を考えるに至るかさえ今のワタシにはわからないけど、

ワタシは「いかに生きるか」をもう少し考えたいと思う。



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