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映画、という旅の途中で

ジャイアンツは永遠に不滅です

私はアンチ、ジャイアンツである。
これは野球の話。
ヤクルトスワローズの長年のファンなので、今年もまた優勝、そして日本シリーズ、と楽しみなのだが、今回は当然、映画の話。
「ジャイアンツ」。
こちらは大好き、なのだが、いかんせん長い。
3時間半の大作を気軽に観ようとする、と気が重くなる。でも、芸術の秋、重い腰を上げて棚を飾っていたDVDを取り出した。

もう冒頭から一気に画面に惹き付けられる。列車での長い旅をしてきたテキサス男が見る緑が広がる大地。演じるロック・ハドソンの、顔を斜にとらえるカメラショット。彼が降り立ったのは東部の知的な文明が漂う町。大牧場主の彼が、優秀な種馬を手に入れるためにやってきた東部の大邸宅で、彼は勝気な娘に一目惚れする。
その美しいエリザベス・テイラーにも惚れ惚れするが、それがあれよという間に恋に落ち、気づけば帰りの列車で抱き合う、というスピーディーさ。そして彼らが到着したテキサスは、埃と一面乾いた大地が広がる、冒頭とは反対の土地。それはまさにアメリカの究極の真反対の文明、価値観の出会い。
こうして東部の勝気な女は、男尊女卑が当たり前の大地で肝っ玉奥さんへと変貌する。
そこで出会うのが、家を守っていた男の姉、そしてロック・ハドソンに使われる牧童の青年ジェームズ・ディーン。ハドソンには嫌われるが、姉には信頼されるディーンの屈折した態度とテイラーを熱く見つめる視線。この三者の人生が、牧場がメインだった世界からオイル、石油をめぐるテキサスの世界へと変わるアメリカの歴史とクロスし、彼らの30年に渡る大河ドラマへと向かっていく。

「リメンバー、アラモ」
アラモの悲劇を忘れるな。日本が真珠湾を奇襲した時に語った「リメンバー、パールハーバー」と同じく、アメリカ人の心に刻み込まれた保守的なアメリカのマッチョ思想は、このテキサスから始まった、かの様な伝統的思想に、テイラーは真っ向から反論する。貧しい下働きのメキシコ人のために奔走し、男たちの政治論議にも参加する。まさにリベラル、の思想そのまま「女」である彼女は夫ハドソンと対立するディーンにも優しく接する。ディーンはそんなテイラーをに恋するも、保守的な土地柄に生まれた彼はテイラーをハドソンから奪う、なんて現代的な行動には移らない。
やがてディーンはハドソンの姉が死んだ事で、その遺言から土地の一部を手に入れる。小作人、貧しい牧童にとって土地は金よりも大切なもの。倍の値段で買い取ろうと申し出るハドソンに、大切にしてくれた姉の遺言に従う、と不敵に笑い出ていくディーン。
このシーン、のディーンの思わせ振りな演技はアクターズ・スタジオの演技スタイルが見えて、ハドソンらのハリウッド的演技と比較して実に面白いのだが、ともかく彼は土地を手に入れ、やがて石油を振り当てる。
当時のテキサスはまさにゴールドラッシュの如く、あちこちで石油成金が生まれていた。僅かな自分の土地にも可能性があるかもしれない。そんなディーンを内心、バカにしていた人々が石油を掘り当て、油まみれになってハドソンの前にやってくるディーン側へと傾く前半のクライマックス、ハドソンとディーンとの最初の殴り合いによってジャイアンツ(原題は単数のジャイアント)=巨人の世代交代を暗示する。
ここまでその演出の的確さ、細かさ、そして役者を勧善懲悪として描かない作り込みなど、ジョージ・スティーヴンスの監督ぶりに唸らされるが、後半は中年となった彼らの人生をこれまた見事に見せる。

彼らは白髪の混じる年になった。二人の娘と一人の長男に恵まれたハドソンとテイラーだが、没落寸前ながらもハドソンはその威厳を変えようとはしない。だが、周りはオイルラッシュに湧き、今やその盟主となったディーンに靡く人々も増えている。そんな中で子供たちはハドソンの考えに反する生き方を選択していく。長男は牧場を継がずに医者になる。さらにメキシコ人の妻を娶って。長女もまた、結婚する相手と「小さな」牧場を経営する。親が望んだ道にアメリカ人の子供は自立、という道で反抗していく。それこそがアメリカの伝統、とでもいうように。
アメリカの価値観、いや、テキサスがこの物語のバックボーン、戦争と共に変化していくアメリカ近代史。没落する古き良き西部が、一方で成金、としてのしあがっていくオイル長者に蹂躙されていく光景。走るのは馬やバッファローではなく、石油を積み込んだタンクローリー。今やここの支配者はハドソンではなくディーン、であった。

そんな中でテイラーはひたすら沈黙を徹する。彼女は夫に屈服したのか?
否。
子供たちの自立、の理解者として反対意見の夫を愛しつつ、テキサスの変貌を冷静に見つめている。次女がディーンに近づいて、自分の代替として振る舞う事に戸惑いを抱きながら。
対するディーンは有り余る金と権力を手に入れた。だが心は虚ろなまま。一番欲しいものが手に入らないからだ。
それは愛。テイラー、という女。
彼は孤独の象徴、として酒に溺れていく。
そんなディーンが名士として祝福される晴れの場、ハドソンの息子デニス・ホッパーがディーンに喧嘩を売る。妻が美容院で屈辱的な差別を受けたからだ。その会社は全てディーンが牛耳っている。だが、母親譲りの正論はこの西部では届かず、息子は叩きのめされる。そこに立ちふさがる父親ハドソン。彼はディーンと西部劇ならぬ一対一の殴り合いを演じて勝つ。だが、心は空しいままだ。所詮、私憤のために喧嘩をした事を彼自身も知っているから。息子の非難に未だに過ちを気づかないハドソン、そんな彼が息子の妻と子供、そしてテイラーと次女を連れてダイナー(簡易食堂)に入った時、人生は変わる。息子の嫁が店主に侮辱された事を一度はスルーしたハドソンが、他人であるメキシコ人への振る舞いに遂に立ち上がり、店主と殴り合いをして、そしてぶちのめされる。
彼は殴り合いに「負ける」のだ。
そんな姿にテイラーは初めて誇り、を感じる。
誰かのために、闘った夫への誇らしさに。所詮メキシコ人、とどこか下に見ていたか弱き人々のために体を張った男、こそがテイラーの愛した本当のジェントルマンだった。

対するディーンはどうか?
一人、誰もいないパーティ会場で酔いつぶれ、孤独な心を誰にも語れぬまま、最後はテーブルの山に崩れ落ちる。愛は金では買えない。金こそ全て、に突き進むアメリカ資本主義の本質を体現するかの様に。
まさにアメリカの光と影。

巨人、は倒れた。
そして立ち上がる。
それがアメリカ、という国の宿命であるかの様に。
テキサスを舞台にしながら、描かれるのはアメリカの本質、フロンティア・スピリッツの喪失と再生だ。
悲劇的なこの撮影直後のジェームズ・ディーンの事故死、という伝説とともに、やがてアメリカもまた倒れる、いや蹴つまづく。
ベトナム戦争、ニクソン辞任、そして9.11。
アメリカは何を手に入れ、喪ったか。

未だにこの映画の存在は大きい。ドラマ、としても、スターの魅力にしても、そして、後の映画への多大な影響にしても。

とにかく長い。それでもあっという間の3時間半。とにかく濃密で、人生にドカン、と来る傑作。こーいう作品を秋の夜長に見ること、こそ芸術の秋、映画の秋、だと思う。

「ジャイアンツ」
1956年アメリカ
監督 ジョージ・スティーヴンス
出演 ロック・ハドソン、エリザベス・テイラー、ジェームズ・ディーン、デニス・ホッパー、キャロル・ベイカー


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