愛とは何か

嗚呼、寒い。
この消化不良のクリスマスの雰囲気に飲まれて赤玉のお湯割りなんかかっくらっている。
少しばかり洒落っ気なんて出してシナモンスティックなんて入れてしまってる。
柄にもなく浮かれてるなぁなんて思ったて年末なんだからまあ良いだろう。

こうしてホットワインなんて飲んでると僕は6年前の六本木の光景が思い出す。
キラキラしていて、それでも歪んでいたあのクリスマス。ホットワインを飲んで、2人で歩いたけやき坂。素敵だったな、今でも思い出すクリスマスはこれだけだ。

僕は当時、出会い系で出会った人妻と交際していた。背徳感に溺れて、向こうの旦那が寝静まった後に2人で通話なんてしながら、2人だけの秘事を重ねていた。僕は馬鹿だった。こんなことになんの生産性もないのに、まるで大人の階段を登っているような気分になって彼女と逢瀬を重ねては、己の欲を吐き出して彼女との関係に溺れた。
もう、深い海の底に沈んだ気分だった。このまま浮かばれなくて、浮遊物のように海を漂って最後は海岸に打ち上げられた死骸のように全てを失っていいとすら思えた。

ある時、行為の最中に彼女は僕の首を絞めた。
苦しくて、苦しくて、もがいている最中に彼女は「全てを失ってもいい。」、そう僕の耳元で囁いた。僕はもうその時、このまま死んでもいいとさえ思った。この人に殺されるのなら僕の命は最高の役割を果たすに違いない。この人に自分の命を捧げられるなら何よりの喜びだ。落ちかける意識の中で僕は微笑んだ。もうあと数秒で意識が途切れるそんなところで彼女は僕の首から手を離した。きっとその時、僕は悲しそうな目で彼女に訴えかけていたかもしれない。「何故、殺してくれなかったのか?これ以上に僕の命が役に立つ瞬間はないのに。」、と。

そして、クリスマスが来た。
僕らは六本木のけやき坂に行った。
それまでの20年間まともにクリスマスなんて迎えてこなかった僕が、初めて思い出に残るクリスマスを過ごした夜だった。
僕らは手を繋いで歩いた。街はキラキラして、能天気で、そして馬鹿みたいに明るかった。ここに不幸な人間なんていないみたいだった。僕は浮かれた。あの人とこの街を歩く権利を得たことが何より嬉しかった。こんな陳腐な感想しか出ないくらいに今でも鮮明に覚えている。
2人でホットワインを買った。ワインなんて飲んだことないのに無理して飲んだ。初めて飲んだワインの味は、苦くて、酸っぱくて、甘くてシナモンとグローブの香りがして。ちっとも美味しくなかった。でも、彼女に馬鹿にされたくなくて無理して飲み干した。僕がなんとか飲み終えて、顔を上げると彼女は「終わりにしよう。」一言さらりと僕に告げた。実際には僕には聞こえなかったと思う。ワインと街の空気に酔っていたから。何を言ってるのか分かりたくなかったから。それでも彼女の唇はその形に動いていた。僕らは黙ったまま手を繋いで歩いた。彼女の手はとても冷たくて、僕が大好きだった白く透き通った白い肌は雪女のように青白く、冷たくなっているような気がした。
いくつもの何故とどうしてを六本木から乃木坂へ向かう2人の帰り道の間に考えた。それでもわからなかった。分かりたくなかった。彼女は駅のホームで僕にキスをした。人目も憚らず。そして僕らは反対方向の列車に乗った。いつもの帰り道のはずなのに。
僕はもう人生でけやき坂に行くことはないだろう。あれ以上の思い出はないから。

人妻と付き合うのはよしなさい。
十字架を背負って生きることになりますよ。
それでも、僕はまだこの十字架を背負っていることを嬉しく思う。
「ありがとう」を人生のうち一度しか使えないのならあの人へ捧げたい。

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