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かなり年下の(恐らく)愛情豊かなイタリア男

私は今50歳で一度の離婚歴があります。
私が今交際しつつある男性は34歳、16歳年下です。

34歳の男性が今一番大事と考えていることはおそらく社会の中で早く確固たる地位を築き上げることでしょう。
そしておそらく彼は普通以上に、いや、かなりの野心家です。
食べることにも飲むことにも運動にもエネルギッシュで、プライベートでは入院しているお父さんのケアもしていて家族思いでもあるようです。
紳士的だし一緒にいる時間は少ないにしてもしっかり向き合ってくれる。
あまり欠点のない男性のように思えます。

ともかくキャリアアップに熱心です。
その隙間の時間に、ご家族との時間に加えて、私との時間も彼の可能な限り作ってくれたとは思います。
とはいえ一緒に過ごした時間はまだ本当に少なくて、彼は仕事でいろいろな国を転々としているので、一つの国からイタリアの故郷の町に戻ってきて次の国に行く前のほんの少しの間に3回だけ会ったきりの関係です。
一緒に過ごした時間は、3回分合わせて、多く見積もっても12時間ぐらい?
4回目は来年かな、4回目あるのかな。

と言うのも、8月には、10月頭にはイタリアにいるから会おう、と言ってくれてたのに、楽しみにしてたのに、ローマでの仕事が急に入った、ということで、明日の朝(9月25日)出発してしまうことに。。
このあと2月まで別の大陸に行ってしまうので(クリスマス休暇にまとまった日数帰ってこない限り)来春まで会わないことになります。

もちろん私は不満です・・
夏の余裕があったほんの少しの期間のアバンチュールの相手に過ぎなかったのかな、などと思ってしまいます。
じゃあもう会わないんだね、というトーンでメッセージを書くと、いきなり何言い出すの?今の自分の状況を分かってくれよ、的なトーンで返事が返ってくるので、彼の中では今私といわゆる付き合っている状況にある、という認識には、辛うじて、多分、あるようですが、会えない分こまめにメッセージをくれるわけではなく。
一方でfacebook やLinkedInなどのSNSでは彼の招聘先の大学や学術機関で撮った写真や発表した論文などを必ずポストしているし、仕事関係者を中心に頻繁にコメントを返しているので、私にはメッセージする時間が全然ないなんて私としては全然納得できない、全然大事にされていない、と卑屈になってしまいます。

彼にとっては、早くも遠くで離れて見守ってるお母さんみたいな存在になってるんじゃないか。
そして面倒なことを言っている私は彼からしたらいい歳して「構ってちゃん」の厄介な女になり下がりつつあるかもしれません。
こちらは悶々としているので、今は土曜の夜中だし、無駄にいろいろなことを手帳に何ページにも渡って書き殴ったりしてしまいます。
今日だって、ちっとも電話もしてくれないし。数分だっていいのに。

でも、一方で別の面を見てみる。
彼の言うことを信じるとするならば(当然信じなければいけませんね)、彼は今日は数ヶ月分の荷造りをしてから、月曜までに提出しなければならない論文記事を必死で書いている。
その先にある成功と幸せをがむしゃらに求めて。
私よりずっと若いのに今やるべきことを既に見定め、前を上を向いて、毎日闘ってる。
彼にとっての幸せと成功のビジョンとはとてもクリアなものなのだなあ、と感心する。
それに対して50歳の私は、何をがむしゃらに頑張ってるんだろう、そこまで必死で掴もうと頑張っていることってないんじゃないか、今なんてぐちゃぐちゃと非生産的なことを考えて、携帯音がすると彼からメッセージかなと一瞬期待して確認するとプロバイダーからのプロモーションメールでがっかりしてみたり。

彼が頑張ってる時間、私も同じように頑張ることで、きっと気持ちが分かり合えるはず。
この出会いというギフトを通じて私は彼の姿勢からせっかく学ぶ機会を与えてもらってもいる。
人生に対しての考え方のきっかけをもらっている。
今この時期にこの出会いがあったことは何らかの意味があること。
そして彼にとっても、私との交流というものは何らかの新たな考えのきっかけになっているのだろうと思う。
そうであってほしいし、きっとそうだろうと思う。
人との関係というのは双方のものでしかないから。
今更、こんなことは20代で思い巡らすべきことだったのではないかと思います。
とにかく50歳の私、もっともっと成熟した余裕のある大人の女性に早くならなければ、自分にとっての幸せも見極められないし、見極めなければ幸せになんてなれっこありませんね。
二人の関係がこれからどうなろうともならなかろうとも、これを自分をしっかりと考える機会にできるかできないかは私次第でしかないわけです。

中途ハンパですが(了)。


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