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自己紹介~私自身と人生を変える生き方について~


ごあいさつ

初めまして!
星読み×タロット×オラクル占い師
セレナです。

このページにたどり着いてくださり、
ありがとうございます。


私は、子供の頃から
生きづらさを抱えていました。

内向的
集団になじめない
周りの目が気になる
落ち込みやすい

などの性格に加えて、
自分と真逆のタイプの母親との関係
で苦しんでいました。

家にも学校にも
安心できる居場所がない、
人と長期的で安定した関係が築けない、
学校や職場などの組織になじめず
学生時代は不登校
社会に出てからは派遣やアルバイトを
転々とする日々。

高卒のフリーターで
なんのスキルもないため、
いつも収入は少ない状態。

その上、疲れやすく情緒不安定だから、
空いた時間はぐったりしてしまい、
副業したりスキルアップするための
行動をする気力も湧きませんでした。

将来の夢や希望だけは一応あったけど、
時間もお金もエネルギーも
頼れる人も何もかもがないないづくしで、
お先真っ暗

細々とした地味な暮らしすら
維持できるかわからなくて、
この先どんな風に生きていけばいいのかと
悩む日々でした。

今だから言えることですが、
当時はもういつ人生が終わってもいい
と思っていました。

それが30代前半までのお話。

そこで人生最大の転機
「夫との出会い」があります。

もともと家庭環境も良くなく、
自分が結婚するイメージがわかなかったので、
一生独身だろうなと思っていました。

低学歴・低収入だし、
非正規雇用だし、
親との関係も良くないし。

加えて私は妊娠しづらい体質
というのもあります。

とにかくコンプレックスの塊で、
「こんな私と結婚したいと思う人なんて
いないだろう」
と婚活する勇気も
ありませんでした。

しかし、いまではそれは
すごく狭い考え方だったなと思います。

※高卒だから、非正規雇用だから、
不妊症だから結婚できないということは
全くありませんし、そのような境遇を
否定するつもりもありません。 
当時私がこれらについて
悩んだり引け目を感じていたということです。

とにかく、夫との出会いによって
私の人生は180度変わった
と言っても過言ではありません。

思えば、
過去に何度か
人生が変わった
価値観が変わった
自分らしくのびのび生きられるようになった

という時には共通点がありました。

それは何かというと

①好きなことや興味のあることに
勇気を出して飛び込んだとき 


②惰性で続けているルーティンから
思い切って抜け出したとき

つまり、今までとは違ったことを
やってみるということです。

選択が変わると人生って
けっこう大きく変わったりするのですよね。

当たり前に思えるかもしれないけれど、
人って慣れ親しんだルーティンから
抜け出すことがすごく苦手
だったりします。

頭ではわかってるけれど、
意外とできないということが多いんです。
それで何年も同じところを
ぐるぐる回ってしまったり。

そんな風に行き詰ったら、
繰り返す日々を思い切って打ち破ること
幸運のカギだったりします。

と、そろそろご挨拶の領域を超える
内容になってきましたので、
この先は本編と今後の記事にて
お話しようと思います。

ありとあらゆるものが
ないないづくしだった私が、
どんな風に生きて、
どのような出会いがあって、
今のように「毎日幸せ!」「長生きしたい!」
と思えるようになったのか。

そんなことをまずはこれまでの半生を通して
お伝えしていこうと思います。 

長くなりますが
少しでもご興味を持っていただけたら、
この先も読んでいただけると嬉しいです! 


これまでの人生

母子家庭・毒親・不登校な学生時代

私は一人っ子で、
年の離れた両親のもとに生まれました。

最初は
両親と3人で暮らしていましたが、
小学校に上がってしばらくした頃、
父と母が大喧嘩

父が母を殴ろうとしたのを私が泣きながら止め、
そのまま父は出ていきました。

後で知ったことですが、
母は宗教にハマっていましたので、
(おそらく現在も)
そのことで父と喧嘩になったようです。

「教祖と俺とどっちを選ぶんだ?」

と聞いた父に、母は「教祖様を選ぶ」と答えて、
父は母との関係に見切りをつけたのだそうです。
(母親談)

そもそもこれも
だいぶ後になって知ったことですが、
両親は籍を入れていませんでした。 

内縁関係だったようです。
(子供の頃は両親で苗字が違うことを
不思議に思っていました)

私としては、
いまだに「私が生まれたのになぜ
両親は入籍しなかったのか」
という疑問が残っています。

今更確かめようとは思いませんが。

ともかくそれ以来
父はほとんど家に帰って来なくなり、
ときどき私のことを心配して
顔を出す程度になりました。

が、それも小学校高学年くらいまでのこと。
気づいた時には父は全く来なくなり、
そのまま縁が切れてしまいました

そのようにして
母と二人暮らしになりましたが、
父が心配したように、母との暮らしは
私にとって苦しいものとなります。

母は私とは対照的な性格で、
第一印象は人当たりが良く、
物事を気にせず、積極的。

しかしとにかく気性が激しく、
はっきりものを言い、すぐに怒り、
どんな相手にもストレートに
激しい怒りをぶつけます。

ですので、私とは違った理由で
仕事が長続きしませんでした。

今でこそ、親になるのも大変だろうし、
完璧な親なんていないんだから
「毒親」という言い方はあまりよくないかな
と思う私ですが、
それでも母は世間で言う
毒親に該当してるかなと思います。

過干渉
教育虐待
宗教にハマって子供にも強制する

などもそうですし、
感情的で激しい怒りをぶつけてきたり、
母親自身も両親と折り合いが悪かったため
しょっちゅう電話で喧嘩していたり、
「あなたのことを思って」という言葉を使って
自分の思い通りにしようとしたり・・・。

小さい頃はそれでも
頼れるのは母しかいませんでしたから、
見捨てられなように
なるべく逆らわないように
頑張りました。

でも、私なりに努力はしたつもりでしたが、
どうしても母が望むような人間に
私はなれなかった
のです。

母が望む人間とは、
明るくどこにでも馴染んでいけて、
積極的で、
物怖じせず人前に出ることができて、
勉強もできて、
いい学校に入り、
いい会社に就職できること。

世間に自慢できて、
なんなら将来お金を稼いで自分を助けてくれる、
そんな子に育てたかったようです。

しかし、現実の私は
内向的で引っ込み思案
集団には馴染めないし、
勉強もいまいちパッとしない

小学校6年間もずっと辛くて、
すごく長く感じましたし、
よく通いとおしたなと思います。

卒業式でみんなが泣くなか、
一人「やっと解放された」
晴れやかな気持ちになったことは
今でも忘れられません。

中学校は入学と同時に引っ越しをしたので、
転校生と同じ状態で
全く知り合いがいない中に入りました。 

その緊張のせいなのか、
入学してすぐIBS(過敏性腸症候群)
になりました。

授業中にお腹が痛くなったり、
お腹にガスが溜まって、
全く授業どころではありません

親にも友達にも誰にも相談できず、
その頃から少しずつ
保健室に行く時間が増えていきます。

いじめも経験し、
何人かの子たちと授業をボイコットして
学校から逃走しようとして連れ戻される
という騒動もありました。

そんなことがありつつも
なんとか3年間を切り抜けたのですが、 
高校ではもう限界でした。

学校に行きたくない気持ちが強く、
受験勉強をする気力もなかったので、
自分の成績で余裕を持って合格できそうな学校を
一校だけ推薦で受験し、合格しました。

ですが、これが大失敗

全く学校に馴染めず、
保健室登校もしましたが、
ある時限界を迎えて、
休み時間に何も言わずに家に帰りました。

当時の担任の先生は優しかったので、
怒らずに「心配するから次からは
一言言ってから帰ってほしい」
とだけ言ってくれました。

それから何度か先生に伝えてから帰る
ということをしていましたが、
それすら辛くなり、
ついに不登校になります。

2年生のクラス替えで
さらに馴染めなくなったため、
思い切って親に相談し、
定時制のかなり自由な学校に
転校することになりました。

今思えば不思議ですが、
母は私が学校に行けなくなっても
あまり気にしておらず、
どうしても無理ならと
転校することも許してくれました。
それについてはありがたかったなと思っています。

ただ、重要なのは高校ではなく、
大学さえいいところに行ってくれたらいい
という考えだったみたいです。

案の定、進路の話になった時に、
私はもう学校には行きたくない
(それに早くお金を稼いで家を出たい)
と思っていたので就職すると主張しましたが、
激怒されてしまいました。

母子家庭で大学まで行かせてあげようとする
親の方が偉いという意見もあるでしょう。

ですが、当時の私は
本当に学校という場所が苦手で、
学校に行くと体調が悪くなっていたので、
どんなに頼んでも絶対に大学に行く道以外
許してもらえなかったことで
すごく追い詰められてしまいました。

それもできるだけいい大学、 
短大ではなく四年制、
通信は絶対ダメで通学でないとダメ。

そうして何度も大喧嘩を繰り返しながら
気づけば高校を卒業する時を迎え、
(卒業するのにトータル4年かかりました)
そのまま浪人生という体の
ニートになったのです。


家出・同棲・八方塞がりな20代

しばらくして
働きながら勉強することになり、
アルバイトを始めました。
そのアルバイト先で初めての彼ができます。

知り合ったのは
当時19歳ですが、相手は32歳

でも、
すぐに付き合い始めたというわけではなく、
極度の人見知りで体調も悪くなりがちだったため、
しばらくはメールだけのやりとりが続きます。

私が大学受験に失敗し、
もう受験にも疲れ、
母との関係にも疲れ、
どうにもならない状態の頃、
唯一の救いは彼だけでした。

相手は歳の離れた大人だし、
今思えば恋愛というより
父親的なものを求めていたように思います。

何度か母に内緒で会っていましたが、
ある時決定的に母とはもうやっていけない
という喧嘩
(というより一方的に感情をぶつけられる)
になり、彼の家に逃げ込みました。

友達の家に行くと嘘をつきましたが、
私が置いていった日記を母が盗み見たことで、
彼の存在が発覚します。

母から怒涛の長文メールが届きました

それにより余計に追い詰められる私。
以来母がいる間に
家に帰ることは一度もありませんでした。

最近もほとんど連絡はとっておらず、 
22歳頃に家を出てから38歳の今まで
トータルで3回ほどしか会っていません。

一方、彼の家では寝てる間に
しょっちゅう母が夢に出てきては
叫んで起きるという
夜驚症に苦しみました。

また、一緒に暮らしてみると
彼自身も性格的に少し難しい人だということが
わかってきたのです。

私も難しい人間だったので、
お互いに未熟者同士、
狭い部屋でずっと一緒にいるのは
なかなか大変でした。
(彼は在宅ワークの仕事をしていたため
基本的にずっと家にいました)

2人とも結婚願望はなかったので、
このままダラダラずっと一緒にいるのかな
と思った時期もあります。

しかし彼の冷たい部分や
情緒不安定な部分が見えてきたり、
「俺の言うことが聞けないなら出ていけ」
と喧嘩するたびに毎回言われていたので、

なんとなく
「この人とはこの先も
ずっと一緒にはいられないな」

と途中から思い始めました。

それでも母の時と同様、
他に頼れる人がいなかったのですね。

お互いに一緒にいるのがストレスでしたが、
かといって私は家に帰るわけにもいかない・・・。

どこにも行くところがない。
もう八方塞がりでした。


一人暮らし・クビ・友との別れ・崖っぷちな30代

そんな生活になんとかすがりついていましたが、
3年ほど一緒に暮らしたのち、
彼との同棲を解消して
私は一人暮らしを始めることになりました。

このままではまずいと思ったのですね。

その後もしばらくゆるく付き合いは続いて、
結局トータルで7~8年の付き合いで
関係に終止符が打たれます。

長く一緒にいたものの
その間はつらいことの方が多かった気がするし、

「人なんていつ離れていくかわからない」
「人間関係は不安定で不確かなもの」


というイメージが私の中で
すっかりできあがっていました。

だからその後も誰かと一緒にいることや
結婚というものに希望が持てなかったのです。

それでも彼には当時とても助けてもらったし、
私を受け入れてくれたことには
すごく感謝しています。


さて、
念願の一人暮らしが実現できるように
なったわけですが、
お金がかかって大変でした。

当時「貧困女子」という言葉もありましたが、
私はまさしくそれ。

月15万円前後の収入から
家賃、水道光熱費、税金、食費と
支払っていくとあまり残るお金がありません。

私はお金のやりくりも苦手でしたので、
貯金が全くできませんでした。
おまけに仕事も長続きせず、
ちょこちょこ辞めては
間が空いてしまう期間があるのです。

その頃20代後半だった私は、
アルバイト先の主婦の方に「結婚はしないの?」
と聞かれたことがありました。 

あまりその気はないというようなことを
答えた気がしますが、
「それなら正社員にならないとね」と言われ、
なんとも暗い気持ちになったのを覚えています。

結婚するのも正社員になるのも
私には到底無理
な気がしていたからです。
こちらも八方塞がり。

自分がこれからどうしたいのか、
どうすればいいのか全くわかりませんでした。

その後、その職場を辞めて
別の会社で契約社員として働いていたのですが、
人生で初めて自分から仕事を辞めるのではなく、
仕事の方がなくなって契約を切られるという
経験をしました。

また、ちょうどその頃同じ会社で知り合って
意気投合した年上の女性がいたのですが、
知り合って間もなく病気が発覚し、
あっという間に帰らぬ人になってしまいました。

一緒の時間を過ごした期間は短くても
とても大好きな友人だったので、 
本当につらく悲しかったです。

職を失い、友達も失い、
お金も経歴もスキルもなく、
30歳を過ぎていましたが結婚どころか
5年近く恋愛していない状態。

その頃はもう人生をだいぶ 
あきらめていたように思います。  

もうどうにでもなれ。 
いつこの人生が終わってもいい。


そんな風に思っていました。

だいぶ崖っぷちでしたが、
本当に大変な時ほど感覚って
麻痺するようにできているのかもしれません。

当時あまり危機感はありませんでした。
なんだかボーっとふわふわしている感じ。


安定・幸せ・自由になったアラフォー現在

それでもとりあえず
次のことは考えなくてはいけません。

当時の仕事は事務職でしたが、
新しい仕事もまた事務職で探すのか、
または別の職種を探すのかで少々悩んでいました。

というのも、
私は事務が全く向いていないからです。

経験上、
接客業は向いていますが
人間関係が大変で続かず、
事務職は向いていなくて
仕事としてはつらいですが
人間関係がわりと楽なので続きやすい、
という傾向がありました。

他にも職種はあると思いますが、
スキルや経験がないし、
30歳を過ぎて自分が全くやったことのない道に
行く勇気もありません。

そして、どうも魅力を感じる仕事は
接客業ばかりでした。

ただ、お給料が安かったり、
シフト制だったりで、
一つの職場だけでは
完結できそうにないものばかり。
やるならダブルワークするしかありません。

その時の私は、
半分人生をあきらめていたというのもあり、
ある意味勢いがありました。

どうせ崖っぷちだし、
もうどうにでもなれ!という気持ちで、
思い切って魅力を感じる
接客業に飛び込んでみたのです。

事務職ならばもっと安定していたかもしれません。

でも、結果的にはあの時冒険してよかったー!
と心から思います。

この時の選択で
私の人生は180度変わったのですから。

ダブルワークやトリプルワークになり、
目の回るような忙しさでしたが、
様々な出会いや経験がありました。

インテリア雑貨のショップ店員、
美術館の係員、
そしてライブバーの店員。


全部自分の好きなことばかりです。
当時の自分のバイタリティは
なんだったのだろう・・・。

主にこの3つとそのほかにも
短期のバイトをしたりしていました。
いろいろあったけれど、
どれも貴重な経験で楽しかったです。

そして、このライブバーで
夫と運命の出会いを果たします。

ご縁て不思議なもので、
どんなに長く付き合っても
結婚に至らず別れてしまう相手もいれば、
初めてのデートで付き合うことになり、
その後も同棲→結婚と
スムーズに進む関係もあるんですよね。

夫と結婚してからも
最初はいろいろありましたが、
今は安定していて
とにかく毎日ラクに生きられて幸せです。

生活のために無理して急いで
仕事を選択する必要もなくなりましたし、
様々な不安から自由になりました。

当時の私には
今の私の生活は全く想像もつきませんでした

でも
心のどこかでは望んでいたような気もします。

そのあたりのことについては
また改めて別の記事にしようと思います。


変わったことと変わらないこと

という感じで私のこれまでの人生を、
かなり長くなりましたが
それでもざっくりとお話してきました。

私自身の持って生まれた
内向型、集団に馴染めない、生きづらい
などの性質は変わりません。

でも、これまで私は
考え方
住む場所
働き方や仕事
関わる人

を変えてきました。

それによって大きく人生が変わった
ということが何度かあります。  

考え方・環境・行動この3つを変えれば、
間違いなく人は変わると言えます。

持って生まれた気質を変えることは
難しいかもしれません。

でもそれ以外のものを変えることで
本当に信じられないくらい
人生が動き出すことってあるんです。

でも
わかっていてもそれを変えるのが難しい
という人がきっと沢山いるのも理解できます。

だから
私自身の経験や今後の実践を通して
皆さんの背中を押せたら、
一緒にハードルを飛び越えられたら
と思っています。


これからの生き方について

様々な不安がなくなり、
自由にこの先の道を選択できるようになった今。

今後は
自分がこれまでずっとやりたかったけど
金銭的・時間的に我慢してきたこと
やっていきたいと思っています。

そのなかには、
人を楽しませたり、
希望を与えることがしたいというのもあります。

子供の頃からの私の夢です。

夫と可愛いわんことの
幸せな暮らしを守るために、
そして私らしくやりたいことを実現するために、
楽しみながら頑張っていきます!


まとめ

長々と書いてきましたが、
ここまで読んでくださって
本当にありがとうございます。

私の人生なんて大したことはなくて、
もっとつらい方・苦しんでいる方は
沢山いらっしゃると思います。

それでも
どうか希望を捨てないでほしいと思っています。

人生は何歳からでも変えられると私は伝えたい。
変えようと思い立ったその日が吉日です。

当アカウントでは、
人生を変えるための考え方や行動をお伝えしたり、
私自身が実践を通してこれからさらに
どう変わっていくかを
お伝えしようと思っています。

今の自分に満足できない方
将来に希望が持てない方
生きづらくてつらい方
望む生き方にシフトしたい方

など現状を変えたいという方のお役に立てたり、
少しでも希望が湧いてくる内容をお届けいたします。

ぜひ、フォローして読んでくださると嬉しいです!

最後まで読んでくださって
ありがとうございます✨

私の記事をいいなと思っていただけたら、
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セレナ

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