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役に立たなければ、生きている意味はない

こんにちは。
セラとぴあ カウンセラーの
渋沢まるこ です。


冒頭からすごいタイトルですみません。
でも、これ、ほんの少し前まで私が持っていた
自分に対する「思い込み」なのです。

少し大げさに言えば、
私が人の役に立てないのなら
それはもうイコール死くらいに思っていました。

冷静に考えてみれば、
何をそんな大げさな!
となるのですが、
思い込みが怖いのは
割と無意識に思い込んでいるところ
なのですよね。


よく言えば「がんばりやさん」
悪く言えば「せかせか、せわしない」
詰め込みが好き
短時間でどれだけできるか
1人耐久レース開催。。。

もうね、完全にM子です。
修行とか立ち向かうとか
なにげに好きですからね。


でも、ある時、何だか違うかも、、と
思う時があったのです。
これは、年齢のせいもあるかもしれません。
何もかも若い頃と同じという訳には
いかなくなりますからね。

そうすると、出会う人も変わるものです。
いえ、実は人の言葉が受け入れられるようになった
というだけなのかもしれませんが。


私は日常的に早歩きしていました。
これにはハッキリと覚えている理由があります。
子どもの頃、祖父が

「早歩きは走るより健康にいいそうだ」

と言っていたのです。
テレビか何かで情報を得て話していただけ
なのだろうと思うのですが、
子どもの私にはこの言葉が強烈に入ってきて
忘れられないものとなってしまいました。

それからは、歩くときに早歩きを心がけました。
子どもの頃からですから、かれこれうん十年。
しっかり体が覚えてしまいました。

早歩きは健康にもいいし、合理的だし
目的地にも早く到着できるし、いいことばかり!
だと思っていました。


しかし、ある整体の先生に

「それは身体が望んでいないですね」

と言われました。

私には、結構衝撃的でした。
いやいや、身体にいいことしてるし!
速い方がいいこといっぱいあるし!
とアタマでは思ったのですが、
よく考えてみると、ゆっくり歩く利点だって
あるのではないかなと思うようになりました。

もっと考えてみると、
早歩きは「頑張らなければならない」という
思い込みがある私にはピッタリな
「修行」だったのかもしれないなと
思うようになりました。


こんな修行の話をしていたら
ある方から

「もしかして顔をシャワーで洗っていませんか」

と聞かれました。
はい、お風呂の時はもちろんシャワーです。

「顔はもっとやさしい刺激で洗わないと
脳が刺激(修行)が欲しいと勘違いするんです」

とのこと。
でも、これを聞いてもすぐにはシャワー洗いを
脱出できておりません。
そんなにすぐ修行はやめられないのですね(笑)


シャワーの話を信じるかどうかはあなた次第ですが、
あんまり修行ばかりも苦しいですので、
私は徐々にゆっくり周りの景色を楽しみながら歩き、
顔ももっとやさしく洗っていきたいなと思っています。


あなたの思い込みやそれに伴う行動には
どんなものがありますでしょうか?

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