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こころの花壇に花を植えよう(前編)

こんにちは、山田です。

少し前に、
「コンパッション フォーカスト セラピー(CFT)」
という心理療法のセミナーを受けました。
コンパッションとは、慈しみ、思いやり、などの
温かい、やさしい心の状態を表す言葉です。

CFTでは、
 ①自分が他の人に向ける 
 ②他の人が自分に向けてくれる 
 ③自分が自分に向ける、というように、
コンパッションを、3方向でとらえています。

③については、
「セルフ コンパッション」という言葉で、
耳にされたこともあるかもしれません。

これらの気持ちが少なかったり、キャッチする感度が低いと、
他の人や、自分自身に対するジャッジが厳しくなりがちです。
すると、何事も、✕が増え、苦しくなってしまいます。

逆に、コンパッションの気持ちや、その感度が高めなら、
その分、やさしさに包まれた状態になれるワケです。

ところで、私はとても自責的で、自虐的です。
(私と関わりのある人は肯かれると思います)
自分に対して、✕ばっかりつけています。

ところがナゼか、
自分が自分に向ける、慈しみの心が高いのです。

自分に対する目が厳しいのに、コンパッション高め、
という矛盾・・・。

あまりに自分がダメだと思い続けていると、
かえって自分が気の毒になり、
自分くらいは自分の味方になってあげよう、
労わってあげよう、と自然に思えてくるのです。

ただ、これって2人の自分の共依存ではなかろうか? 
そんな後ろめたさが、ないとは言えない。

そこでもう一個思い出したことがあります。

私は自責的で自虐的ですが、自罰的ではないのです。

自分がしたことの結果に、✕というジャッジは出します。
でも私が罰を受けることだけで、丸く収めようという思いに
留まることもありません。

申し訳ない、ホントにダメ、という気持ちが
心の中の8割を占めているのと並行して、
じゃあ、これを解決するのにどんな方法があるだろうか?
と考えることにも、心の9割を使っているのです。
・・・計算が合いませんが、感覚的にはこんなふうです。

以前の私は、ごめんなさい、ダメな人です、で9割以上。
そのまましばらく停止・・・。
そこから思えば、ずいぶん様変わりしたなぁと。

“ポジティブな人間”になったとは、到底思えません。
だって今でも8割は、✕のことを考えているのですから。

ただ一個、変わったなぁと自覚していることがあります。
そこは後編で・・・。
よろしければ、お付き合いいただければ幸いです。

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