心理学の歴史とアサーショントレーニング

こんにちは、山田です。

最近、「臨床心理学史」という本を読みました。
(サトウタツヤ先生著 東京大学出版会)
約500ページ、定価7700円という大作です。

心理学発祥前夜から近年の動向まで、
この学問が、いかにして哲学や精神医学とは別の、
科学的で、かつ有用たりえる物になっていったか。
その工夫と苦闘の歴史が描かれています

その中の一項目に、
「アサーション・トレーニング」がありました。

「上手に自己主張ができるようになるための
    コミュニケーションのスキル。
    それを習得・実践するための取り組み」です。

“自己主張”というのは、日本の価値観では強すぎるので、
「さわやかな自己表現」という言い方もされます。

私も、自分自身のコミュニケーションの範囲内では
実践できるように気を付けています。

ただ、1つ気になることがあって、
ご相談者への支援方法としては、
積極的には取り入れることができませんでした。

というのは、アサーションは、
「コミュニケーションのメンバーがお互いに、
   対等であるか、少なくとも相手を尊重し、
   仲良くやっていくつもりがある、
   そうしないといけないという認識がある」
という前提がなければ成立しないのでは? 
と思えたのです。

しかし世の中、
紳士協定を守る人ばかりではありません。
むしろ、
アサーションモードを成立させたい相手に限って、
かえって怒ったり、ノンバーバルな手段で
抑え込んでくることもある気がします。

ところが、「臨床心理学史」で
次の旨の説明を目にしました。

アサーション・トレーニングの元々の由来は、
「条件反応に対する『逆制止』」だと。

「逆制止」というのは
「両立しないことのどちらかをやったら、
   もう一方は抑えられる」
という考えに基づく、行動療法の技法です。

たとえば、不安な時にリラックスすることで、
不安を弱められるわけです。
(もちろん、事前に練習は必要です)

「アサーションは逆制止」だとすると、
不安や恐れに対するリラックス法に相当します。

何もせず、ただ恐れる・逃げる、などの代わりに行う
「それらとは両立しない(故に抑えられる)、別の何か」
という位置づけだったわけです。

私には今まで、
「アサーションの実効性は、相手次第」
というイメージがありました。

でもそうではなく、
「アサーションを身に付けること、試みることは、
   自分の反応をコントロールできる力を高める」
ことだったのです。

物事の説明は、一般に広がるにつれて
要点がしぼられていき、
その途中で省かれるものもあります。

それは、優先順や送り手の意図、
受け手の関心によるものであって、
意味がないから切り落とされたとは限りません。

だから本来は、発祥の文献からしっかり
読むのが一番良いのですが、
時間等の兼ね合いでそうとばかりはいきません。

そんな時、「歴史」から学ぶのがヒントになるのだなぁ、
と改めて思いました。

アサーショントレーニングも
もっと深く勉強したくなりました。

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